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獣王の息子  作者: 日向夏
1/32

1、転校初日は長い一日

 五月の大型連休が終わった翌週の月曜日。


 こんな時期に転校するなんて悪目立ちもいいところだ。教壇の前に立たされ、好奇の目が集まる。


 先生がホワイトボードにきゅっきゅっと名前を書く。『山田 紅花』、見慣れた自分の名前を「ベニバナ」と呼ぼうとしたので訂正する。もう慣れたことだし、「ホンファ」なんて呼びが一般的じゃないことくらいわかっているので怒ろうとも思わない。なにより、読み仮名がついていない名簿も悪い。もう十数回やったやり取りだ。

 

 クラスの皆は、ちょっと驚いた顔をして顔を見合わせている。縦横六×六プラス三、机が並んでいた。紅花はその端数に当たる中央の一番後ろの席に座れと言われる。


 ちらちらと周りを見渡すと、不可思議なものがいくつも見える。ものというか者というか。まず、先生から変だ。頭にやたら長い角が生えている。伸びすぎた角は先がくるんとなっていて、その横で耳がぴくぴく動いている。


 山羊型の獣人だけど、種族名までわからない。名字は織部といたって普通だけど。


 現代社会、人外は昔と違い、けっこう当たり前に生活している。この国における外国人の比率並にはありふれていた。


 だけど、その人数がクラスの三分の一だと、多すぎる。ちょこちょこと鱗が見えたり、尻尾が動いていたりする。

 

 そうだ、今回の学校はそういう学校だと知らされていた。

 

 私立東都学園、人外生徒が多く通うことで有名な学校だ。基本、一般人に合わせがちな教育を人外にも適応したものに変えたことで、多くの人外たちの支持を得ている。


 もっと普通の学校が良かったんだけど。


 紅花は口をつぐんだまま、与えられた席に座る。

 

 円筒状のスポーツバッグから、教科書、ノート、筆記用具一式を取り出す。バッグは邪魔になるので後ろの棚に置く。

 前の学校とほとんど使っている教科書が同じでよかったと紅花は思いながら、一時間目の数学の授業を受けることにした。


 今度こそは、ちゃんと学校生活をおくるぞ。


 ぎゅっと拳を握りしめながら、教科書を開く。

 

 すると……。


 ぱりっ、ぽりっ、かさかさ。


 先生の声と、筆記の音、それ以外に明らかに変な音が混じっていた。なにか生臭さが漂ってくる。


「この公式はちゃんと覚えるように。絶対だぞ」


 織部先生の少し甲高い声が響く。髭も生えておじいちゃんっぽいのに、背が小さいためか、なんだか可愛らしく見える。


 ぽりぽり。


 やっぱり、聞き違いではないようだ。紅花はそっと左横を見る。 


 窓際の一番後ろの席、カーテンがはためくその席から音が聞こえる。


 紅花はなんだろうと目を細めた。


 ふんわりした栗毛がちょこんとはねている。椅子にブレザーの上着をかけ、ちょっと背丈に合わない大きめのシャツを着ている。

 教科書を立てて勉強しているように見える。見せているが、音からしてバレバレだった。


 なにか食べていた。

 

 早弁なんて、古風なものを紅花は初めて見る。つい、じっと見てしまった。


 すると、アーモンドのような目がこちらを向いた。

 髪もだが、目の色素も薄い。一瞬、外国人のハーフに見えたが顔立ちは平たんだった。典型的な島国国家の顔立ちだ。可愛いと言えば可愛いが、スラックスを穿いた生徒に向かっていう言葉じゃない。


 中性的な見た目の男子生徒だった。座っていて正確にはわからないが、背丈は紅花と同じくらいかそれより小さいだろう。裾上げした制服がいかにも成長期前という感じだ。

 そんな少年が口をもごもごさせている。


 やっぱり、魚臭かった。


 少年の右手には、筆記用具の代わりに煮干しが握られていた。


 臭いと音の正体はこれだろう。


 思わず口をぽかんと開けて見てしまう。


 少年は紅花と目があったことが気まずいのか、首の裏をかいた。そして、机の引き出しからガサゴソ何か取り出す。

 

 煮干しの詰まった袋だった。高級煮干しと書かれてあるので、お高いのだろう。だから、どうだと思っていると、少年はそれをひと掴みすると、紅花のほうへと手を伸ばした。


「なに?」


 思わず聞いてしまった。


「食べたいんじゃないの? おいしいよ」


 少年は首を傾げてみせる。声変わり前なのか女の子っぽい。

ぽりぽり魚をかじっている。どこか猫を思い出す仕草だ。


「……」

 

 つまり、紅花が物欲しげな目で見ていたと勘違いしたらしい。


 紅花は少し顔を赤らめて、「そんなわけないじゃない!」と否定しようとしたが、そこまで至らなかった。


「なーに、食ってるんだ? 日高」


 ぽくぽくと蹄の音を立てながら、青筋を立てた先生が目の前にいた。


「保険の先生が、成長期に朝ご飯を食べないのは良くないと言っていました」

 

 至極真面目そうに日高と呼ばれた少年が言った。


「ゆえに現在、摂取しています」


 もちろん、そんな言い訳は聞き入れられず、ぽっくりした前蹄で煮干しは奪われた。


 どうやって掴んでいるのか、と紅花は妙なことが気になった。蹄にはもちろん指はない。


「ひどい、先生」

「がんばって授業している先生の話を聞かないほうがひどい」


 織部先生は煮干しを持って、また教壇に立った。日高少年はだるそうに机にへたりこみながら、先生を見ていた。


 やっと静かになると、紅花はまたホワイトボードを板書しはじめた。


 むしゃ、むしゃっ。


 また、妙な音が聞こえてきた。


 横を見ると、日高少年が今度は鰹節を食べていた。


 その後、先生がまたポクポクこちらまでやってきたので、以下略とする。






 転校生というものは、初日くらいかまわれるものだって、紅花はよく知っている。そして、素っ気ない態度を一週間ほど続けていれば、自然と皆離れていくことくらいわかっている。


 というわけで、休み時間ごとに親切に話しかけてくる女子グループに生返事をするお仕事に疲れながら、ようやく昼休みになった。


 この学校は、昼食はお弁当か学食だ。そういう食事形態のところしか、通ったことがないので、給食というものはわからない。


 チャイムとともに、紅花はスポーツバッグを抱えて教室を出る。学校案内してあげるという親切な同級生の提案を受け入れる気はなかった。すでに、転入手続の際、学校の主な場所は案内されたし、人がたくさんいる食堂には行く気はない。


 誰か人がいないところ、そして――。


 そんなときだった。


 ぞくっと背中に視線を感じた。


 首筋を舐められるような気持ち悪さ、ぬるくそしてべたべたしたもの。


 紅花はそっと渡り廊下から見える中庭に目をやった。

 池があった。蓮の葉が申し訳程度に浮かんでいる藻で緑色に濁った池だった。


 やめてよ。


 視線をそらす。でも、横目でそれをとらえてしまった。


 ぎょろりと蓮葉の下から目が二つ見えた。

 濁った白目と白濁した黒目が、ぐるぐると動き回り探っている。


 見るな、見るな。


 肌がゆっくり粟立ってくる。でも、足を止めない。止めたらだめだ、捕まってはだめだ。


 それが、紅花の今まで十二年の人生の中でわかっていることだった。

 あの視線につかまると、ろくなことがない。それが経験上わかっている。


 転校初日に来なくてもいいのに。

 入学から一か月で転校する羽目になったのも、アレを見た日の出来事が原因だった。


 かつかつかつかつ……。


 自分の足音だけが響く。


 渡り廊下を通り過ぎると、紅花はふうっと息を吐いた。ようやく視線から逃れた。


 アレはなんでもない、なんでもない。

 ただの錯覚。


 ぎょろりとアレの目が大きく一周した。


 見えなくとも感じる。実に嫌な感覚。


 しかし、目は紅花に気づかなかったようだ。次第に離れていくのがわかる。

 

 実際、紅花以外は誰も見えない。理論上、ありえないものだという。

 だから、紅花さえ視野に入れなければ問題ないのだ。


 気づかれなければ、なんとかなると安心したそのときだった。


「どうかしたの?」

 

 後ろから急に声がして、心臓が口から飛び出しそうになった。そんな古風な表現をしてしまうくらいびっくりした。


 仰け反って奇妙な姿勢になる紅花に対し、声をかけた人物はきょとんとした顔で首を傾げている。


 ご丁寧に、脇には弁当箱と煮干しと鰹節の袋、それと何故かクッションを抱えていた。


 たとえ転校初日でも、この魚くさい奴が誰かわからないほど、紅花はお馬鹿じゃない。


「……日高くんだっけ」

「そうだよ、日高颯太郎ひだかそうたろうだよ」

 

 フルネームを言われたところで下の名前は呼ぶことないだろう。日高少年は、猫っ毛をぴょんぴょん跳ねさせるように首を揺らしている。


「山田さん、今からお昼? 食堂はあっちだけど」


 馴れ馴れしい奴だと紅花は思った。別にかまわないでほしいのに。


「静かなところで食べたいの」

 

 正直、中庭も視野に入れていたが、さっきのアレを見た時点で駄目だ。もっと別の場所にしなくては。


「じゃあ、温室がいいんじゃないかな。あそこはお日様が気持ちいいよ。お昼寝には最適だ」


 その様子だと、日高少年もそこで食べる気だろう。脇のクッションはそのためか、と納得する。


「私は一人で食べたいの」

「そうなの?」


 日高少年は、妙に残念そうな顔で見る。


「そうよ。日高くんが温室で食べるなら、他に静かなところはない?」

「そう言われても」


 日高少年は悩んだように腕組みして見せる。


 別にこいつに聞かなくても、紅花には当てがあった。

 

 紅花の体質のことはもうこの学校は知っている。そのため、なにかあったら相談に乗ってくれる先生がいる。

 前回の出来事も踏まえて、わざわざ遠くから引っ越してきたのだ。


 今度こそ、大丈夫よ。


 そう言い聞かせるが、大丈夫なんて自信はなかった。ただ、それでも紅花を普通の中学生として育てようとしてくれる家族たちに報いたかった。


 紅花は芸術棟の三階に向かう。美術室と音楽室が並ぶ中で、そのあいだにある部屋に入る。

 扉には安っぽく紙がテープで張り付けられていた。『文芸部』と丸文字で書かれている。


 トントン、ノックすると「どうぞ」と声がする。

 中に入ると、山羊型の獣人がいた。織部先生だった。


 狭い部室内には長テーブルが二つつなげられて、ノートパソコンが二つとデスクトップが一つ置いてある。部誌が乱雑に積み重ねられ、棚には部員たちの私物が無造作に置いてある。


 他に一人、先生によく似た女の子がいる。角も髭も生えていないが、先生と目がそっくりで何より手足の先が蹄だった。髪の毛をしめ縄みたいなおさげにしている。


 誰か別に人がいたことに、紅花は身構える。


 織部先生は、女の子の肩を叩きながら「大丈夫だ」と言った。


「うちの娘で、千春ちはるっていう。山田より二つ年上だ。事情のことはよく知っているし、もめごとには慣れているから」


 もめごとには慣れている、なんだか妙な話だと思う。それを説明するように、織部先生が付け加える。

 

「うちの学校は昔から、人外が多いから、もめごとも多少あるんだ。こいつはこれでも、そういうのをまとめている風紀委員だから」

「山田さん、よろしくお願いします」


 丁寧に頭を下げる少女に、紅花も頭を下げる。おもわずさん付をしたくなるほんわりした雰囲気だった。織部先生は名前をはじめから間違えていたので少し不安だったが、ちゃんと要望には応えてくれるようだ。


 この学校に来たのも、実は身内がここの卒業生で、先生が知り合いだったこともある。


「それにしても……」


 先生が髭を撫でながら、紅花をまじまじ見る。


 紅花はむすっとする。目をそらすと、壁に鏡がかかっていて、自分の姿を映し出す。黒髪直毛で、そのまま腰まで流している。東洋人の様相なのに、目だけは金色をしていて、名前のこともあり国籍不明だと言われる。父も兄姉たちも皆、同じ色彩を持っている。

 

「似てないなあ、あんまり」

「誰にですか?」


 思わず聞いてしまった。不機嫌だと聞くだけでわかる声だ。


 織部先生は昔、紅花の身内二人の同級生だった。そして、似ていると言ったら血縁のほうを意味しているだろう。


「愚兄と一緒にしないでください」


 それだけは断言したかった。


「わかってる、あいつに似ちまったら大変だからな。それより、昼飯は食べないのか?」

「食べます」


 千春さんが気を利かせてテーブルの上を片付けてくれる。ものを食べるには少々不衛生な気がするが、贅沢は言えない。


 紅花は、スポーツバッグから、弁当箱を取り出す。

 お重で五段、三段がおにぎり、残りがおかずだ。それとは別にバケットが二本ある。本当は休み時間に食べたかった。すごくお腹が空いている。


 だけど、こんなに食べるところをクラスメイトに見られたくないのでずっと我慢していた。初日から大食らいに思われたくない。


「……やっぱ血筋だな」

「似ていません!」

「おいしそうねえ」

 

 千春さんはにこにこ微笑みながら、自身の弁当箱を取り出した。中を見ると、野菜がもりもり詰め込まれていた。

 見た目が山羊なので、食性も草食らしい。


 なんか妙に納得しながらおにぎりを頬張った。


 




 食事が終わったら午後の授業はあっという間だった。

 

 転校生ということで今日はホームルームのあとの掃除は免除してもらい帰ることになった。

 紅花としては早く帰りたい気分だったし、都合がよかった。


 昼休みに見たアレがまだ気になっていたからだ。

 

 どうしようかな。


 靴箱がある玄関まで来て、立ち止まる。


 紅花は携帯電話を取り出す。


 指先で画面に触れ、着信履歴を見る。『若ママ』の名前が並んでいて、その間に『姉』と『兄』、『ニート』とある。履歴にないもので『愚兄』があるがそれは、排除する。アイツにはできるだけ頼りたくない。


 姉と兄は、仕事中で忙しいし、ニートはニートでどうせ外でぶらぶらしているはずだ。迎えに来てくれる足もないだろう。


 そうなると若ママしかいないのだが、若ママは、引っ越しの片付けで忙しい。朝、迎えに行こうか、という若ママに「大丈夫、ちゃんと一人で帰るから」と胸を叩いたのは紅花自身だった。


「ちゃんと自分で帰らないとね」


 そう言って自分の靴箱を開けたときだった。


 ぎょろり。


「っ!?」


 目があった。


 外靴に覆いかぶさるように、アレがいた。

 

 思わず声を上げてスポーツバッグを落とした。簀子の上で、がしゃんと重箱がぶつかる音がした。


 わ、割れてないわよね。


 紅花は震えながら、しゃがみ込んだ。

 

 見ている。じっと見ている。


 寒天質の濁った眼球が二つ、こげ茶のローファーの上でぐるぐる動いている。


 やめろ、やめろ。


 私は見ていない。


 言い聞かせるがそれは次第に動きを激しくする。狭い靴箱からにょきりと生えてくる。目だけ見えていたのに、それは次第に輪郭を持ち始める。

 

 カチカチカチッ。


 歯の音がする。紅花のものじゃない。輪郭を持ったことで、アレに口が形成された。それが、並びの悪い歯を打ち鳴らしている。


 にゅにゅっと首が伸びる。胴体はなくただ靴箱から顔が伸びる。それが、少しずつ紅花へと近づいてくる。


 嫌だ、ここ最近、どんどん図々しくなる。


 曖昧なもやみたいなものが、どんどんリアルに形作られていく。


 カチカチ音を鳴らしながら、紅花の顔を覗き込む。

 

 ヤメロ、あっちへいけ。


 声を殺すので精いっぱいだ。

 だめだ、叫んじゃダメ、と言い聞かせる。


 平静を取り戻せ、そういう場合、どうすればいい。

 次第に、細長い身体は紅花に巻き付くようにしていた。

 触れるか、触れないかぎりぎりの位置。


 触れたところで問題ない。あいつらは実在しないのだから。

 

 ごくりと唾を飲みこみ、ぎゅっと唇を噛む。

 

 コレは実在しない、あるわけないものだ。

 頭の中で反すうしたときだった。


 とんっと、肩に重みがかかった。


「っ!!」


 顔の筋肉と言う筋肉を駆使し、紅花はどんな表情を作っていたのか明言したくない。とても乙女とは言い難い顔だったと、目の前の人物の反応を見ればわかる。


「……これはひどい」


 そこにはまた、魚臭い少年がいた。そっと天井を仰ぎ、十字を切り今見たものをなかったことにしようとしている。それだけひどかったらしい。


 失礼な奴だ。


 肩に学生鞄を抱えているところをみると、紅花と同じく帰るところだろう。


 紅花は、顔をかなりひどいものから、ややひどいものへと変える。ぷうっと顔を膨らませそうになるが、大人げないので我慢する。


「なにか用なの」

 

 なんだ、本当にこいつ。

 またいきなり来て紅花を驚かせて。


 むすっとしていたが、身体にからみつきそうになっていたアレは消えていた。ほっとしながら、紅花はスポーツバッグを肩にかける。


「用がないなら帰るわ」

「あっ、ちょっと!」


 日高少年が、紅花を引き留める。なに、っと剣呑な顔をして紅花は振り返る。


「気を付けてね」


 なにがよ。


 紅花はローファーを履くと、玄関を出た。アレがこの上にいたと思ったら気持ち悪いけど、裸足で帰るわけにはいかない。

 

「やっぱり若ママ呼ぼう」


 思わず口にして携帯を取り出した。


 あれ?

 

 さっきまで電波は良好だったのに、今は圏外だ。いぶかしみながら、紅花は歩きはじめる。少し移動しても、アンテナは立つ様子はない。


 おかしいなあ。こんなに電波悪かったっけ?


 紅花は歩きながら首を傾げる。

 

 外ではいろんな掛け声が響き渡っていた。


 校庭では野球部とサッカー部が練習していた。テニスコートも新入生らしきジャージの子たちが借り物のラケットで素振りをしていた。

 

 前の学校でも見た光景だが、紅花にはそれはとても遠く感じた。一枚、薄い膜のようなものがあって、触れようとするとそれが肌にまとわりついて近づけようとしない。 

 

 そんな壁があった。


 紅花は興味ないふりをして歩き続ける。


 自転車置き場を通り過ぎても圏外のままだ。校門までに電波がないようなら、玄関のところまで戻らなきゃと思っていた。


 あれ?


 見たことのあるシルエットが見えた。


 耳がぴくぴく動いている女生徒だ。お昼に織部先生から紹介された千春さんだった。木の下に立っていて、手招きしている。


 紅花はどうしたのだろうと近づいていく。


 にこやかに笑うおさげの少女は、手招きするともう一つの手でどこかを指さしている。そのまま歩きはじめる。付いて来いということか。


 織部先生と違って千春さんの足音は静かだった。あの蹄で音を立てないなんて、舞踊でも習っているか、それとも忍者のどちらかみたいな雰囲気だ。


 織部先生か誰かが用でもあるのだろうか。


 紅花は歩く。

 携帯はまだつながらない。


 部活動の練習風景は少しずつ遠ざかる。

 

 校舎の脇をすりぬけて、千春さんが止まった。そして、こっちこっちともう一度手招きする。


 一体なんだろうと、紅花は近づいた。


 あれ、と違和感に気が付く。


 校舎の裏側を通っていたので気が付かなかったが、出たのは見たことがある場所だった。昼間、通った渡り廊下が見える。


 そして、千春さんの横には、緑色に濁った池があった。


 なんで、こんなところに連れてくるのだろう。


 紅花は、全身がむず痒くなった。小さな視線の針に何度も突き刺されている気がする。

 

 何かがあるわけではないのに、何かを感じている。


 それが、紅花をからめとり、動けなくする。地面に縫い付けられたように、足が動かない。


 運動部の掛け声は聞こえるのに、それはとても遠く、この空間だけきれいに切り取られたようだ。


 誰も来ない。


 誰も気づかない。


 まるでそう言う場所におびき寄せられたみたいで、嫌だなと千春さんを見た。


 千春さんはにこやかに笑っていた。耳をぴくぴくさせて、なぜか生臭いにおいを発していた。


 !?


 違和感に気づいた。


 なぜ、彼女は一言もしゃべらなかったのだろう。なんで、足音をさせていなかったのだろう。


 気づいたが、もうおそかった。


 ああ、もう駄目だ。


 アレにもう見つかっていた。

 アレは紅花を見逃すつもりはない。


 アレは紅花をつかまえていた。

 

 またいつも通り、紅花に残されたのはバッドエンドしかない。いや、今回は誰も助けに来ないだろう。いつもなら、姉や兄たちに連絡をして、最悪の事態は避けていた。

 

 今回はそれがない。


 千春さん、いや千春さんに似せた何かが大きく口を歪める。中から乱杭歯が見えてかちかちと音を鳴らす。涎とも粘液ともいえない液体が口からあふれ出し、糸を引いて落ちる。

 眼球が一気に濁り、ぐるぐると回転する。


 化け物と形容しないで、なんといえばいいのだろう。

 人と異なる姿をする人外だが、人外のそれとはまったく違った。


 狂ったように指先を動かす手が伸びる。


 逃げたいのに、逃げられない。


 恐怖と不可視の力が働いて、がたがたと震えることしかできなかった。


 化け物が大きく口を開く。開いただけでは飽き足らず、両側の頬が裂ける。

 

 いただきます、といわんばかりの涎を垂らし、紅花の頭に食らいつこうとした。


 その時だった。


 学生鞄が見えた。特に教科書も詰まってなさそうな薄いもので、それが紅花の眼前を通り過ぎた。


 まるでバットを素振りするように、鞄がきれいにスイングされていた。


 そして、化け物は吹っ飛んだ。


 あっけなさ過ぎた。


「っ!?」

 

 この反応は、今日で三度目だ。一回目、二回目同様、唐突に現れたのは奴だった。


 猫っ毛をふわふわ揺らし、日高少年が鞄を振り回していた。

 

「うわっ、なんかついた」


 ぶん殴った鞄の角を見ながら、少年は言った。まるで、血を吸った蚊を叩き潰したような感想だった。


 一体、なに?


 吹っ飛ばされた化け物は地面に倒れていた。

 ぐちゃりと形を崩し、不定形の何かがちりぢりになっていく。


 アメーバのようなそれは、日高少年を恐れるように避けて逃げていく。


 なんでこんなものを怖がっていたのか、紅花は不思議で仕方ない。


 金縛りが抜けて、紅花はがくっと地面に座り込む。


「変形菌の一種だね。一つ一つは弱いけどかたまってモンスター化したら、ネズミなんかも襲うんだ。あんなに大きいのは初めて見た。しかも、さっきのは幻術使っていたかな。業者呼んで駆除してもらわないと」


 日高少年はゴキブリ相手みたいに言ってのける。先ほど、紅花を食べようとしたものを。


「もっと知性が低いものだって思ってたんだけどなあ。新発見だねえ」


 面白いなあと、日高少年は落ちていた小枝を拾い、必死に逃げるスライム状のなにかをつついて遊んでいる。その背中には、見慣れぬものが揺れていた。


 大きめのシャツがだらしなくスラックスから出ていると思ったら、そのついでに長くてシマシマのものが動いていた。白と黒のそれは日高少年の髪の毛と同じように揺れていた。


 道理で猫っぽいわけだった。


 猫型の獣人、山羊に比べたらいくらかポピュラーな種族だ。

 魚ばっかり食べているわけだ。


 尻尾がメトロノームのような動きをしているのを見ていたら、だんだん紅花の心も落ち着いてきた。


 顔を上げ、少年を見る。


「……助けてくれて、ありがとう」


 素直にお礼が言えるくらい落ち着いている。


「どういたしまして」


 日高少年はアメーバいじりに飽きたのか、鞄から鰹節を取りだし口に入れる。


 そして、満足そうに目を細めた。


「どうして、助けてくれたの?」


 違うな、聞きたいのはそんな質問じゃなくて、もっと具体的な話だけど、混乱しているのか上手く口が回らない。もどかしくて仕方ない。


「フラグが見えたから」


 意味が分からない答えが返ってきた。


 ふらぐ?


 どういうことだろうか。


 紅花が首を傾げているのに、日高少年はそのまま続ける。


「山田さんの死亡フラグが見えた。だから、助けた。それだけ」


 死亡フラグ、とても不吉な言葉だ。


 そうだ、フラグとはそういうことか。


 紅花がいつも見るアレ、アレを日高少年の言葉で言えばフラグというのだろう。


 思い返すと、少年が紅花に声をかけたのはアレ、つまり死亡フラグが見えたときだった。


 ドクンと、紅花の心臓がはねる。


「山田さんも見えているんでしょ。自分のフラグがさ」


 見えている。

 

 もう何十回も見ている。


 そして、十数回回避できずにいた。


「ねえ? 山田さんももしかして人外?」


 紅花はそれに即答できない。できれば、黙っておきたいというのが、紅花の意向だ。


 ずっと普通の人間がやりたかった。

 けれど、できなかった。


「人外だったら、どうする?」


 紅花は、質問を質問で返した。


 相手はどうでるのか、それを確かめたかった。


 そうでないといけない、自分のような人外には友だちはできない。できたとしても、すぐ友だちじゃなくなる。


 普通の人は、日常を好む。

 非日常の紅花が混ざったところで、それは荒波にしかならない。


 誤魔化したところで、すぐばれる。もって一年、早ければ一か月。


 紅花が前の学校を転校した理由、それは死亡フラグを見たからだ。

 

 そして、回避出来なかった。


 山田紅花、十二歳と十か月。


 通算十七回の死亡記録を持つ中学生である。


 ゆえに、他人の接触を避けて生きてきた。





 


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