第一話 虚現論
学ランを身に纏った男子生徒。ブレザーを身に纏った女子生徒。教室の中から見える桜の木が花びらを散らしていて初々しい彼らを飾っているようだ。
深い緑色の黒板に白い粉を舞わせて文字が書き込まれていく。
"虚現論"
黒板にはその単語が書かれていた。
この教室にいる少年……八坂颯太は正直言うと授業についていけそうに無さそうである。
「はぁ……調子に乗ってこんな学校を受験したものだからなぁ…」
溜息をつく颯太である。
「えーっと、あーだるい。なんで私がこんなことを説明せにゃならんのだ」
黒板の前に立つ教師、楠春香はチョークを雑に教壇に置きとても……とても怠そうに説明をし始める。
「虚現論ってのはさー、魔術において基本中の基本なのよ。この世界を現の世界とすると虚の世界ってのが存在するらしいのよ。数直線で考えるとわかりやすいわ。正の値が現で負の値が虚。原点は空間の間だわ。こんなのあたりまえのことじゃないの」
春香はそう言うとパイプ椅子を教卓から引きずり出すと空気が押し出された時の鈍い音を立てて勢い良く座った。
「あー楽だわ。座ってるほうが楽だわー。でさ、魔術ってのは虚の世界にアクセスして現の世界に影響を与えることなのよ。わかりやすく言えば方程式。中学でやったでしょ"x+y=5"だとさ"x=5-y"になるじゃん?」
春香はそう言うとチョークを再び手に持ち、黒板に白い文字を書いていった。
「で、魔術を方程式にするとさ左辺が現の世界で右辺が虚の世界。これを使って現の世界に10Nの現象を起こしたかったら虚の世界つまり右辺をどうすればいい?」
黒板には"10N="と書かれていた。
(こんなの簡単じゃないか、ただ移項するだけなのじゃないのか?つまり虚に-10Nすればいいだけの話だろ)
颯太は頬杖をつきながら黒板の文字を見てそんなことを思っていた。
「なんでこんな餓鬼レベルのことを教えにゃならんのだよ。この場合はさ、10Nを右辺に持ってきて……-10Nじゃん。」
春香はため息をつくと「めんどくせー」と呟いていた。
「虚現物理ってさ大抵落ちこぼれる奴が出てくるのよ。そういう奴ってこんな簡単な問題ができたからって甘く見てるのよねー。テスト前になってできないできないーとかってさ言うんだよ。できるできないじゃなくてさーやれよ。って思うよねー」
ワンピース姿の楠はパイプ椅子の上で体育座りをして人差し指で薄く赤味がかかった褐色なふわふわとしたボブな髪をぐるぐるとツイストさせて遊びながらそう言い放った。
まさに颯太のことを言ったようであった。余裕でついて行けるじゃんと思っていた颯太は内心、焦り始めた。
颯太は黒板に書いてあることをノートにメモするとため息混じりにつぶやいた。
「俺って……来るべき学校間違えてないよな?」
学ランの襟には京都魔術都市立桜花高等学校魔術科の生徒を表す桜の花びらを模した校章が光に当たりきらびやかに輝いているが、少年の心はとても輝きそうにないのであった。