第十六話 風紀棟の教室で
結衣は颯太が解くのに詰まっていた問題を指差すと言った。
「それは普通に因数分解すればいいの」
「へ~そうなのか~」
「つべこべ言わずに早く解くの! それ終わったらこの問題集ね!」
結衣は颯太に、A4サイズの問題集を押し付けるように渡した。受け取った颯太は、それを机の端に置くと「もっと優しく教えてくれたらいいのに」などと呟きながら、プリントの問題を解いていった。
「よし、全部解けた! これでいいか!?」
颯太と向かい合わせの位置に椅子を置き、座っていた結衣は「どれどれー……」と言いながら、颯太が解答した問題集を覗き込んだ。
「意外……。全部あってるけど」
「おい、まて! 意外って何だよ、意外って!」
颯太は結衣の発言に突っ込んだ。
「言葉の通りだけど? あんたがこのプリント全問正解するとは思わなかったもん」
「やけに腹立つな……」
「そっか、私の教え方がよかったんだよ! 感謝してもいいんだから」
「してもいいって……上から目線にも程があるぞ」
颯太の言葉に、結衣は頬を膨らませた。
「うるさい。終わったんならこの問題集もやりなさい!」
「わ、わかった。わかったから! やるからっ!」
結衣の威圧感に負けてしまったのか、颯太は引き気味に言うと、問題集を開きペンを走らせていった。
「ところでさ、ゆいにゃん」
「なにかわからないところでもあるの?」
「いや、そういうわけじゃなくてさ、ゆいにゃんって何でそんなに頭がいいのかな?」
結衣は、颯太の言葉に少し悩むと、口を開いた。
「小さい頃から、真面目に勉強してきてるから……じゃないかなっ」
結衣はそう言うと笑った。その笑顔はどこかぎこちない感じがしていた。
颯太は結衣のぎこちない笑顔を見て、何かあるのかなと感じつつも「そっかー」と言うと、視線を結衣から問題集へと落とし、ペンを走らせていった。
「あ……これわかんないなー。教えてくれない?」
「どれ? どの問題なの?」
「あぁ。これなんだがな」
颯太がそう言うと、分からない問題を指差した。結衣はその問題を覗き込むように見た。
それからしばらくした頃。
「できたー!」
颯太は勢いよく立ち上がると、声高に叫んだ。
「はいはい。よく出来ましたねー」
結衣は面倒くさそうに返事をした。
「もう、今日のところはいいだろ?」
「そうだね。よく頑張ったね」
「巡回も無いことだし、俺は帰るとしようかなー」
颯太は鞄を机の上に置くと、筆箱や問題集を鞄にしまった。
「んじゃ、帰るからー」
鞄を持ち、出て行こうとする颯太の学ランの裾を結衣は引っ張った。
「まって」
後ろから裾を引っ張られた颯太は、振り返り、結衣を見た。
「ゆいにゃん、どうした?」
結衣の顔が少し赤く見える。
「……私ってさ、治癒魔法を使えるの。でも、まだまだ未熟なの」
「うん?」
「……もし、あんたがいいってんなら、私の治癒魔法の練習台になりなさいよ!」
「練習台……!?」
「そう。練習台。……あんたが怪我とかしたなら、私が治すから。別にあんたに気があるわけじゃなくて、治癒魔法を熟練させたいからだから!」
顔を紅く染めている結衣を見た颯太は「ははは」と笑った。
「そっかそっか。んじゃ、怪我したときは、ゆいにゃんに治してもらうとしますかー」
「それとさ……」
結衣は紅く染めた顔を軽く俯かせた。
「ん、なんだ? 治療費をよこせっていいたいのか?」
「……あのさ!」
結衣が言おうとした時だった。風紀棟の教室のドアがガラガラと音を立てて開けられた。
「今日も今日で、特に変わったことがありませんでしたわね。香凛さん」
「えぇ。そうですわね。ですけれど、巡回においては何も変わったことがないということも重要だと思いますよ」
教室に入ってきたのは香凛と琴音だった。
「あら、先客がいらしたのですか。……なんだ、鴨里さんでしたか。つまらないですわ」
長い髪を揺らしながら言う香凛に、結衣は少し苛立ちを覚えた。
「あ、ゆいにゃん。何を言おうとしてたんだ?」
「もういい!」
結衣の苛立ちが颯太に向けて発散させられているかのようだった。颯太は「お、おう」とだけしか言えなかった。
「えっと、鴨里さんと……誰でしたっけ?」
太い赤縁のメガネをかけた琴音は颯太に名前を訪ねた。あまり聞かない名前だとすぐに忘れてしまうのも無理はないだろう。
「八坂だ。まぁ、あまり会う機会がないから忘れられてるか」
「そうですね。会う機会がないと忘れてしまうものですよ人間というものは。パソコンでさえ、あまり使わないデータとよく使うデータでは表示する速度が違ってくるものですからね」
「そうなのか。パソコンでもそういう差があるものなんだな。なかなか物知りだな」
「そうでもありませんわ。多少知識があるというくらいですの」
琴音は嬉しそうな顔をすると、赤縁メガネを軽く上げた。
「見たところ、お二人は勉強をしているのですか?」
「あぁ、そうだ。ゆいにゃんが風紀棟なら空調も効いてるって言うからな。それに、人も来ないから静かでいいよ。風紀棟は風紀委員用の建物だからな」
「へぇー。結衣も勉強してるの?」
香凛が結衣に問いかけた。
「そうよ! 勉強しちゃ悪いって言いたいの?」
「えぇ、悪いですわね」
結衣と香凛の間では視線がぶつかり合い、衝突地点ではバチバチとプラズマ放電をしそうな勢いだった。颯太は、以前もこのような光景を見たことを思い出し、結衣と香凛を例えるなら、犬猿の仲なのだろうなと思った。
「香凛さん抑えて抑えて……」
琴音が止めに入ってきた。香凛をなだめている姿は、まるで猛獣をなだめることに慣れた飼育員のようで、少し微笑んでいた。
「ところで、八坂さんって頭はいい方なのですか?」
琴音は話を切り替えるように、颯太に問いかけた。
「あー……。よくないな。というか、悪い方だな」
「そうでしたか。もし、わからないところがありましたら、私が教えますよ? ほら、困ったらお互い様といいますしね」
琴音は優しく微笑んでいたが、どこか颯太を馬鹿にするように笑っているようにも感じられた。
「いや、今のところはいいよ。ゆいにゃんが教えてくれるからね」
「あら、結衣が教えているの!? あなた教えられるのですか」
香凛は笑いながら、結衣に言った。
「うるさいわねー。これでも、馬鹿に教えれるぐらいの知恵は持ってるんだから! 少なくとも、あんたよりはマシに教えれるし」
「そんなに言うのなら、どちらが教えるのが上手いか勝負しようじゃありませんか!」
収まっていた視線のぶつかり合いが、再開されてしまったようだ。
「望むところよ! あんた、教えられる方になりなさい!」
結衣は颯太をビシッと指差した。
「え、俺!? ちょっと待て、また勉強しろってのか!? 佐伯さん……だっけ? この二人を止めてくれよ」
「ふふ……。仲良きことは美しきことですわね」
琴音は微笑みながら、結衣と香凛の勝負の餌食にされる颯太の末路を想像していた。颯太が考えている勉強しなければならないという事態よりも、酷い結果になることを予想できるのだ。結衣と香凛との付き合いが長い琴音には、これぐらいのことなら予想がついてしまうのだ。
「香凛、まずは何で競うの?」
「確かに勝負するといっても詳しくは考えていませんでしたわね……。琴音さん何かいいアイデアある?」
「そうですねー……」
琴音は「うーん」と悩み始めた。
「そうですわ! 三本勝負で、三つほど教科を選択して競ってはいかがです?」
「さすが琴音さん。いいアイデアを出してくださること。鴨里さん、異論はないですわね?」
「えぇ。望むところよ。全部この私が勝つんだから! 香凛には負けないから!」
結衣と香凛の視線のぶつかり合いが更に強まっていった。
「ねぇ琴音。どの教科で競うの?」
「そうですね……」
琴音は少し悩んだ。
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