第九話 七条大橋
香ばしい匂いを蒸気とともにあげ、工場にてつくられたのを感じさせないジューシーな味を持ったビーフパテ。ピクルスの酸味、とろりととけるチーズ。それらを楕円のバンズではさんで食べる……。1900年頃にアメリカにて発祥したハンバーガーは、敗戦後の日本にその味が持ち込まれた。そして1970年頃になると一気にハンバーガーという食べ物が一般化したのだ。今や、多くのハンバーガーショップが誕生し、味を競い合っているのだ。
彼らは口を大きく開けてかぶりつく。ワイルドに食べるその姿は人によって格好よく見えたり、逆に可愛く見えたりするのだ。
「うーん!やっぱりハンバーガーは美味しいなー。味も変わらないし」
エイルは口いっぱいにハンバーガーを食べると幸せそうな表情をした。
味が変わらないのは工場一括生産なのだからであるのだが、美味しいのだからこの店は人気が出ているのだろう。
「まったく……。エイルはどれだけ食えば気がすむんや」
「テラハンバーガーおいしいなー」
エイルは問いを完全に無視して、テラハンバーガーをおいしく頂いていく。
「比叡が買ったんやから、感謝し……!?」
喋っている最中に、重量のある金属同士がぶつかったような低くて鈍い大きな音が響いた。
「お、おい! 七条大橋の上で事故が起きてるぞ!」
外側に座っていた客の一人が叫んだ。
このハンバーガーショップの前には大きな橋がある。橋の名前は七条大橋。京都魔術都市の鴨川に掛かる橋の中で最も古い橋なのだ。そして、歴史ある橋の上でタンクローリーが誤って対向車線に侵入、不幸なことに対向車線を走っていた軽自動車と衝突し横転、炎上してしまったのだ。
「食べてる暇はないわね。とりあえず、交通整理をしましょう。実は、こういうことも風紀委員の仕事の一つだったりするのよ」
そう言ったエイルは、食べかけのハンバーガートレイの上に置き、鞄の中へと手を入れた。
「っと………あったあった。これで交通整理をするのよ」
手に握られていたのは警棒だった。警察官などがよく使う、伸縮する警棒である。エイルは、その警棒をサッと真下に振り下ろして、長さが20cmだった警棒を60cmの長さにまで伸ばした。その警棒の先端に赤布が巻き付いているアタッチメントを取り付けると、折り畳み傘を広げるかのように留め具を外して赤布を広げた。
「ま、八坂君に鴨里さんは見学がてらで歩行者の整理でも一緒にしよか」
比叡とエイルは、やけに落ち着いて冷静に行動を起こしていった。3年生ともなれば慣れが発生してくるのだろう。
「ほら、ぼけっとしとらんと、見に行くで?」
近くで起こった大事故に対して、どう対処していいかわからず見ることしかできなかった颯太と結衣の肩をポンと叩く。ポンと叩いた比叡の手は、闇夜の中に光る滑走路誘導灯のような心強さと信頼感が感じられた。
エイルは交差点の中央で手旗を使い交通整理を行い、颯太達はエイルの交通整理を見ていた。結衣の視線の先にはは橋の上で横転しているタンクローリーと、衝突した軽自動車があった。何かを見つけ目を丸くし、彼女は走り出した。タンクローリが横転している七条大橋の中央へと。
「お、おい鴨里! どこに行くんや!?」
「比叡先輩……あの車の中に、人がいます!」
「くそっ! 一言、比叡に言うてくれれば魔術使って救助したのに……」
鴨里が走る先にはタンクローリーと衝突した軽自動車があった。その中には、まだ幼い子供とその母親が確認できた。
「軸転送や……軸転送……。くそっ! なんで今日に限って転送できないんや!」
比叡が実行しようとした魔術は、軸転送という虚現物理魔法だった。空間をX軸、Y軸、Z軸に置き換え、対象の物体の軸位置を変更する魔法。一言で言えば、瞬間移動。しかし、比叡は発動することができなかったのだ。
「エイルの魔術やとこんな時はなんの役にも立たへんし……」
自問自答している比叡に向けて颯太が走ってきた。
「比叡先輩。あと頼みます」
「え、あ、ちょいまてや!」
颯太は追い抜き際に告げると、七条大橋の上へと駆け抜けていった。
「助けないと……助けないと……」
結衣は軽自動車の中にいる親子を助けることだけを考えていた。走り、辿り着いた軽自動車の中には、事故の衝撃で気を失っていた親子がいた。結衣は白い可憐な腕を使い軽自動車のドアを開けようとしたが、ドアは開く気配を見せなかった。形が崩れた自動車のドアは可憐な腕ではもちろんのこと、道具なしでは簡単には開かないのだ。しかし、ドアを開けようとする彼女の背後ではタンクローリーから漏れ出したガソリンが七条大橋の上に流れ、支配面積を広げていった。
「おい、ゆいにゃん!」
大きな、叫ぶ声が結衣の方へと近づいていった。声の主は颯太だった。体の中で、結衣を助けるというコマンドが働いた颯太。
「いいから戻ろう。救助なら消防とかがやってくれるからさ。俺らはただの学生なんだ」
「でも、助けないと……手伝ってよ! 八坂!」
颯太が戻ることを促したが、親子を助けることしか考えていない結衣には、なんの意味もなさなかった。しかし、結衣が放った言葉は颯太の思考回路のスイッチを切り替えた。
「ったく……しょうがないな。なんで風紀委員なのに助けなくちゃいけないのかはわからないが、目の前の可愛い子が困ってるなら……助けるしかねえな。ちょっと下がってな」
颯太は可愛い子が好きだ。だからなのか、颯太の信念は"可愛い子をこの手で助ける"というものだ。信念に動かされた颯太は、学生服で覆われた右腕を振り上げ、軽自動車のガラスに向けて加速しながら拳を突っ込ませた。
すると、ガラスにヒビが入り、大きな割れる音を立てて、大きな穴を開けてガラスが飛び散った。颯太の手が、鉄分を含んだ赤い液体で染まるのと引き換えに。
「……っと、ほら、子供は助けたよ。後は母親か……」
颯太が殴り、作った穴から子供を助け出し、結衣に渡した。なんとか、子供が通れるくらいの穴が開いたからできたのだが、母親が通れるほどの穴は開いていなかった。もし、助け出すならドアを外さなければ助けることができないのだ。
しかし、いくら押しても引いても金属でできているドアは外れる気配を見せない。外れないということは、助けることはできない。詰んでいるわけである。
「颯太ちゃん、ドア殴ってみて!」
叫ぶ声が聞こえてきた。声の主は七条大橋の外にいたエイルだった。風になびく薄い桜色の髪に包まれた顔の表情は凛々しく、格好よかった。
颯太は、可愛さを持った表情から凛々しさを持った仮面に付け替えたエイルを信じ、赤く染まった痛む手を振り上げ、鉄でできたドアを思いっきり殴った。
「……!?」
目の前で起こったことは、信じることができなかった。ドアは殴られた衝撃により、紙のようにへなへなとしなり、車体から外れて地面に落ちた。奇跡のようであったが、そんなことを考えている余裕はなかった。タンクローリーから石油が漏れている。更に、バチッバチッという電気の弾ける音が支配を続ける石油に挑発するように鳴っている。バッテリーが漏電を起こしているのだろう。もしも、バチッと鳴る電気火花がガソリンに飛んでしまったら、七条大橋は業火に包まれてしまうだろう。
「ね、ねぇ……! ガソリンが漏れてる……」
子供を抱えていた結衣は支配面積を広げていく石油に恐怖を感じていた。
「別に火がつく前に逃げれば問題はないだろ……っと、よし! 逃げるぞ、ゆいにゃん!」
颯太は車の中から母親を引きずり出した。そして、母親を背負うと結衣と一緒に七条大橋から離れるために走り出した。
そのときであった。電気火花は石油に飛び、小さな炎をあげた。小さな炎は瞬く間にと石油の上に広がり紅蓮の炎を描いた。描かれていく紅蓮の炎は累乗のように増していく勢いで颯太と結衣を包み込もうとしていた。
「やばい……。もっと早く走らないと……。どうすれば……どうすればいいんだ!」
瞬間、颯太の脳内に1つの答えをはじき出した。速度制御魔法だった。速度を制御する物体を颯太と結衣に当てはめればいい。
颯太は軽く目を閉じ、脳内でイメージをする。颯太と結衣の速度を変化させることを。
(どんな速さでもいい。ただ、この炎から逃げれればいいんだ)
すると、突如として颯太と結衣の走る速度が上昇した。疾風の如く七条大橋を駆け抜ける姿は、まるで風を切りながら水平飛行をする雨燕のようだった。
必死で走り、辿り着いた先には比叡とエイル、そして1台の治安維持委員会と側面に書かれた軽装甲機動車といい名の小型車両。更にはいくつかの大型の装甲車が来ていた。
軽装甲機動車の助手席から降り立った人物は、意外な人だった。
「まったく……事故が起きてるようだったからひめっちと一緒に野次馬に来たら、おまえらがいるなんてなー」
楠春香。その姿が現れたのだった。面倒くさそうにしながらも、橋からやってきた颯太と結衣に視線を当てた。
「八坂。お前が背負ってるの誰なの」
「橋まで行って助けてきました。アハハ」
颯太が笑いながら答えると、春香の表情が一気に険しくなった。眉間にしわをよせた、いつもの面倒臭そうな緩やかな表情から一変した表情。
「お前さ、なにヒーロー気取って危ないところに突っ込んでるの? なんで消防とかを待たないわけ?」
「楠先生、それは私が助けようとして橋まで行っ……」
自分に一番の罪があると主張しようとした結衣は話の途中で遮られた。
「先生。困ってる人助けて何が悪いんですか? 先生は目の前に困ってる人がいたら助けないんですか? 俺はただの風紀委員をやってる学生ですけど、困ってる人がいるなら助けますよ。可愛い人に限りですけど」
颯太の放った意見は、春香に届くとなにか嫌なものを見るような顔をした後に、ふふっと笑い、いつもの面倒臭そうな表情をして「私、しーらない」と言い残すと、軽装甲機動車の助手席へと戻っていった。
「君、その子供と母親、救急車に運んでおくから渡してくれるかな」
艶めく黒髪をなびかせ、極寒の地の中で暖かさを与えてくれる日の光のような優しさを持った目、小さな鼻、大人びた口元、知性的な輪郭、小さすぎず大きすぎない胸、すらっと伸びた脚、そしてそれらを包む特殊部隊などで使われていそうな黒い戦闘服、美しく綺麗な人とはこのような人のことを言うのだろうかと思えるほどの美人であった。黒川姫子だ。風紀委員会の時にたまに来ていた人という記憶が思い出される。その横にはストレッチャーを広げた男性の治安維持委員と思わしき人がいたので、颯太は男性の治安維持委員に母親を託し、結衣は姫子に子供を託した。託された姫子と治安維持委員は治安維持委員会により封鎖された交差点の中に停められた救急車へと運んでいった。
「あの、八坂くん……」
「ん? ゆいにゃんどうした?」
機嫌良さそうに鼻歌を歌っていた颯太に結衣は話しかけた。
「庇ってくれたり、助けてくれたりして………その………あ………か、感謝してるんだから、喜びなさいよっ!」
「え、あ、おう……」
結衣から出た台詞に驚く颯太。
「別に庇ったつもりなんてないし、助かったんだから別にいいんじゃな……いててててて、俺の右手掴んでどうした? というか、痛いって!」
「うるさい、右手貸してもらうから!」
結衣は颯太の血で染まった右手を雑に引っ張ると、結衣の左手を颯太の右手にかざした。颯太の右手と結衣の左手の間で空気の流れが変化しているような感じがしている。
「くっ………っと………。八坂くんが別にいいって言うなら、これ、貸しだから! 絶対に貸し返してよ!」
颯太に向けて指を指して言い放った結衣はくるっと後ろを向くと、エイルに呼ばれたらしく、声がした方へと小走りで向かった。
「貸し……か。って、メールアドレスでも聞いておけばよかったじゃん!」
颯太の右手は血に染まっていたが痛みが感じられなかった。
火災に関しては、治安維持委員会の大型装甲車から降り立った治安維持委員が魔術を使い鎮火させたようだった。タンクローリー爆発という最悪の結果にならずに済んだことは幸いのことだ。そして、今回の事故は負傷者は出たものの、死者はでなかった。タンクローリーの運転手は車内から脱出し、橋から飛び降りたようだ。運転手に関しては治安維持委員会が警察に引渡した後に取調べなどを行うべく警察署へと送られた。
颯太達が帰宅についた時刻は夕日も沈んでいき、暗さが強く広がっていく頃だった。時間が深まれば更に暗くなり、月夜に照らされた京都魔術都市に変わっていく……。
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