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……親父が真っ当だったら、俺も普通の人間に育っていただろうさ。
個室をあてがわれた哉斗には、考え事をする暇がいくらでもあった。そこで思い出すのは幼いころに行方不明になった父の事である。
(アレはまったくひどい男だった)
彼の父は浮気性で、母の他に愛人が何人もいた。そして哉斗はアリバイ作りのための良い道具であった。
休日になると、父は幼い息子を遊びに連れ出す。しかしそれは口実で、哉斗は少々値の張る菓子など買い与えられ、女の家へ連れて行かれるのだ。小さなアパートのこともあった、大きな白い塀に囲まれた豪邸である事もあった。いずれの場合も哉斗にはテレビのある部屋があてがわれ、菓子を頬張りながら待つ。その間、父親は隣の部屋でセックスに励む。
これが尋常な人格を育てるわけが無いだろう。哉斗は、自分が女にだらしない性格に育ったのはそのせいなのだと、そうおもっている。
本命である嗣美の他にセックスをするだけの女が固定で二人。他にもチャンスがあれば行きずりの女だって構わない。それを知った医師が、梅毒の検査を特に念入りに行ったほどだ。
「まったく、ご大層なことだよ」
白いだけのベッドに横たわっていると、苛立ちばかりが募る。
あれだけの検査を繰り返しておきながら原因は未だに不明である。それでも腐敗は進行しているのだ。
昨日は右の脛が破れ、腐汁を流した。その前は左の肩甲骨の下だ。どちらの傷も筋組織という中身を失って大きく陥没し、皮膚の下には骨しか残らなかった。
「薬なんて効きやしない」
すでに『生体』に施すには限界の投薬量なのだが、それさえも上回る速度で彼は腐れてゆく。部屋には腐敗臭が満ちている。看護師たちが耐え難い悪臭につけた蔑称を彼は知っていた。
――おクサレ様
だが、これが腐臭だけを指してのものではない事を彼は知らない。
哉斗は病院のシステムことごとくに文句をつける、いわゆる『お客サマ』である。先日は食事が味気ないとご高説をかました。
曰く「入院患者の全てが食事制限を必要としているわけではない。いくつかあるメニューの中から好きな物を選ぶ、そういった選択の自由さえ奪う管理中心の体制は人間の尊厳を著しく損なう」ということらしいが、これは実際に調理に当たる者たちの失笑をかった。それでも説明のためにと、調理の担当者が腐敗臭漂う病室に呼ばれたのだが、真夏の生ごみ置き場に慣れているその男でさえ、哉斗の放つ悪臭に鼻先を押さえた。
哉斗が喚く。
「ずいぶんと失礼な態度だな! 高い入院費を払っている相手に向かって、金をもらう側としての礼儀がなってない!」
「はあ、すんません」
「だいたい、俺がここに入れられているのはそっちの都合だ。俺が医療費を払う言われは無いはずだろう?」
確かに、原因不明の病原を保有しているかも知れない人間をうかつに表にはだせない。新種の伝染性の病などであれば感染源となるからだ。
「あんたのところのセンセイが融通きかなすぎるんだよ。なんかの法定伝染病だとかにしてくれればいいものをさあ」
しかし未だに病原が見つからないのだから十分な診断書も作成されないと、その杓子定規は医者の怠惰であると、そういった戯言を延々と聞かされる調理師は終始、「はあ」しか答えさせてもらえなかった。
結局のところ、哉斗は自分の鬱憤を聞く相手が欲しかっただけである。身内のいない哉斗の病室を訪れる者は誰もいない。何人もいるはずの女友達でさえ、それが性病の恐れもあると聞き及んで哉斗との関係を隠そうと、見捨てたように連絡を断った。
ただ、恋人である嗣美だけは足しげくここを訪れている。今日の午後も面会に来ることになっていた。
「俺に残ったのは、あの不細工だけか」
面会室に向かうため、ベッドに身を起こしながら、哉斗はひとりごちた。