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休暇はすぐにもらえた。
なにしろ上司にわざと見せた左頬は大きくこけ落ち、傷口からはじゅるじゅると膿を垂れ流しているのだ。熟しきった柿の、柔らかくなったものをつつき破ったことがおありだろうか? ちょうどあんな感じで、液体状になった中身が皮の破れ目から流れ出した、そんな様相である。
「ちゃんと大きい病院で検査してもらおうと思っています」
「そのほうがいい。窓口は人と対面する仕事だからな。その顔ではまずいだろう」
哉斗はその足で総合病院へ向かった。
彼は大病院と言うものが嫌いだ。第一に、いつ行っても込み合っているのが気に入らない。常連みたいな爺さんが看護婦相手に軽口を聞く、あの雰囲気も嫌いだ。
何より、検査のために体のあちこちをいじられ、ぐったりと長椅子に座りこむだけで浪費される一日がもったいない。
むずかる子供と、病気自慢を滔々と語る爺さんの間に挟まれると言う苦行にどれほど耐えただろう。やっと名前を呼ばれて診察室に通されたころには、精神的な疲弊がいらだちに変わろうとしている頃合であった。待合室のシステムについて文句のひとつも言ってやろうと口を開く。
しかし、若い医師の言葉はそれよりも早かった。
「検査の結果が出ました」
低く押し込められた声音、言いよどむ語尾は、彼がこれから言わんとしている言葉が凶報であると、哉斗に知らしむ。
「皮下組織の大半が腐敗しています」
「は?」
「ですから、皮下組織の……」
「病名は、なんですか」
「そんなものありませんよ」
「ない? あんた、医者だろ!」
「医者だから、『腐敗』は専門外なんです」
白衣の色が蛍光灯に照り返されて、ぼんやりと光っているように見える。だから、これは夢なのだと、哉斗は思った。
「生体組織が腐れる病気はいくつもあります。だが、あなたの傷口の菌を調べたが、そのいずれにも当てはまらなかった。いくつかのカビと、嫌気性微生物……いわゆる、生ごみを腐らせる類のものです。培養に回しますが、結果は同じことだと思いますよ。」
自分のキャパシティを超えた事実に対面したとき、人は無口になる。実際には自分の理解可能な事象として再現しようと、脳内にある知識を総覧して類似の事例を探すという高速処理に、言語をつかさどるための能力さえも総動員するからなのだが、その結果、哉斗がやっと思いついた一言は凡庸なものであった。
「マンガじゃあるまいし……」
ぎし、と椅子を鳴らして、医者は哉斗のほうに体を向ける。
「まさしく、マンガのような話です。あなたの体は医学的な不調ではなく、冷蔵庫の外に放置しておいた食物が腐敗するのと同じ、ごく自然な自然の摂理に蝕まれている。ただ、異常なのはそれが生体の内部で起きており、おまけに、あなたの活動の何をも阻害していないと言うことだ」
「……つまり?」
結論は解っていた。それでも聞きたい。
「肉体的には既に死んでいるのと同じです。なのに、あなたは生きて、診察を受けに来た。非現実的な事を言いたくはありませんが、ゾンビと言うものが実在するなら、こういう状態を指すのではないでしょうか」
実に納得のいく説明だ。
「念のため、隔離病棟に入院してもらいます。同時に殺菌剤による治療を行いましょう。その旨、ご家族にご連絡を」
そんなものはいない。
父は幼い哉斗と母を残して蒸発した。もともとが女癖の悪い男だったのだ、駆け落ちだろうと、母は早々に夫をあきらめて勤めに出た。
その母も三年前に他界し、現在の哉斗は天涯孤独である。
(……俺がこんな風になったのは、すべて親父のせいだ)
入院の手続きのため、のろのろと立ち上がりながら、哉斗は思った。