船乗りの男
思えば、スコットの襲来の時、あのライオンに馬が食い殺されなかったのが不幸中の幸いだった。僕達は国境を越え、隣国のヨーグ王国に入った。
「お疲れ様でした。宿を取りましたから、ゆっくりと休みましょう」
「はい」
カレンさんはそれだけで元気が出たように笑った。僕は宿の外に馬をつないで、宿の中に入った。僕が部屋の状況を聞きに来た時は怪訝そうな表情を浮かべた宿の主人だったが、カレンさんのような麗しい女性が一緒ということを知ったからか、快く迎え入れてくれた。
「夕飯は六時から、一階の食堂で。明日の朝食は朝六時半から、同じく食堂で。大浴場はいつでも入っていいよ」
「わかりました。ありがとうございます」
「お世話になります」
僕とカレンさんは二階の与えられた部屋に向かい、鍵を開けてそこに入った。
「えー、と。まぁ、その…節約です!お金も限られているわけですから、しょうがなく、こうなりました」
僕は必死に弁明する。同じ屋根の下、しかも同じ部屋に男女が一組。そう、仕方なかったのだ。何せお金がない。カレンさんは勿論現金など持っていないし、僕が貯めていた貯金も雀の涙だ。結果、節約のために二人で一部屋という状況になった。
「大丈夫です、僕は誓います。決して男として恥ずかしい真似はしません」
「誰に…誓うんですか?」
「…。…お腹を痛めて産んでくれた母に」
お母さん、勝手に誓われて困るとか言わないでください。息子は立派にやっています。このくらいは見逃して。
「わかりました。私はニルさんのことを信頼していますから」
「…!カレンさん」
僕は感動してカレンさんの手を取った。カレンさんのその無垢な笑顔は、僕にとって天使の羽よりも美しい。
「僕、あなたのことを守り抜きますから」
「はい」
僕達は夕飯の前に風呂に入ることになった。大浴場は勿論男女別に分かれていた。別にがっかりなどしていない。断じて。
「ふぃ~。疲れた…」
この数日間、日中は馬に跨って移動をし、夜は寒い中で野宿。時折追手との戦闘もあった。疲れない方がおかしい。しかも僕は四天王と言われる国の暗部の連中と二度も戦っているのだ。体はボロボロで、熱めの湯が傷に染みる。
「兄ちゃん、傷だらけだな」
肩まで湯につかっていたら、不意に声をかけられた。声のした方を見ると、胸板の厚い、とても屈強で頑強で筋骨隆々な髭の男が同じく湯につかっていた。よく日に焼けているせいでより筋肉の凹凸がはっきりと見える。一生喧嘩をしたくないタイプだ。
「ちょっと、色々ありまして」
僕が控え目に、そして大分オブラートに包んで言うと、髭の男は豪快に笑った。笑い方が体格にとても合っている。
「若い時にゃ色々あるもんだ。俺だってそうだった」
「そうですね」
僕は心の中で「他の人とは『色々』の規模が違う」と密かに思った。
「ところで兄ちゃん、金欲しくないか?」
「欲しいですっ!」
僕は即座に言った。体を動かしたせいで湯が跳ねる。だが考えてみれば、初対面の人に「金が欲しいか?」などど聞かれるなんておかしい話だ。何か裏があるのだろうか。
「俺は世界中の海を旅してる船乗りでな。この国にも寄港したんだが、如何せん船がくたびれてきている。そこでどうだ、俺の船の修理と掃除を手伝ってくれんか?勿論、日当は払う。兄ちゃん見たとこ細いが筋肉はしっかりあるし、訳ありって顔してるからな。訳ありな人間は大抵金に困ってる」
そして彼はがははと笑った。
「つまり、バイトとして僕を雇うってことですか?」
「そういうことだ」
「やらせていただきますっ!」
僕はその話に飛びついた。金が足らないと思っていたところだ。しかし駆け落ち中の身ではちゃんとした仕事なんてできるはずもない。とてもありがたい話だった。
「じゃ、決まりだな」
「よろしくお願いします!」
僕は頭を勢いよく下げて、そして強かに顔面を水面に打ち付けた。




