三日前の話
三日前
ここは銀河系に浮かぶとある星。そんな星にある国、シトラスブルク王国。僕はそんな名前の国の国民だ。ちゃんと税金も年金も払っている、国民としては何一つ恥ずかしい所がない、国民の鑑のような存在だ。
そんな僕は、国のために―いや、正直に言おう、自分の生活のために、今こうして汗をかいていた。
そして、僕は限られた視界から彼女の姿を視認した。
(ストライク…ッ!)
彼女を見た瞬間、脳がそう言った。些か古い表現かもしれない。だが今の僕にとってそんなことはどうでもいい。彼女は可愛い。その事実だけが、僕の心臓を揺らしている。
長い栗色の髪は下の方だけカールしていて、目は大きくくりくりとしている。上品で清楚な、嫌らしさを感じさせない白いワンピースを着て、僕のことを見ている。その表情は明るく輝いていた。
彼女が僕に近づいてくる。僕の顔を見ながら、ゆっくりと。
僕は考えた。このチャンスを逃したら、きっとこの名も知らぬ彼女とは一生お近づきになれないだろう。だが、いきなり声をかけて相手は不審がらないだろうか。ちゃんと僕の話を聞いてくれるだろうか。
一抹の不安はある。だが、男たるものここで引いてどうするのだ。ここで決めてこそ、腹を痛めて産んでくれた母親に顔を向けられるというもの。
そして僕は、頭部を取った。
「あなたに惚れました。僕と付き合ってください」
彼女は、驚いた目で僕を見た。彼女は固まっている。周囲では子供の泣き声が聞こえるが、それはどこか遠い所で聞こえているような、まるで夢を見ているような心地だった。
しかし、夢心地の中でも、彼女が言った言葉だけははっきり聞き取れた。
「はい」
たった一言、たった二文字。
その一言で、僕は一体どれだけ有頂天になったことか。僕は両手でガッツポーズを決めて、雄叫びのように「よっしゃああああ!」と叫んだ。
二人の間に、妙な沈黙と時間が流れる。お互い頬を赤らめて、上目遣いで相手を見る。このまま抱きしめてキスをしたいところだ。僕が腕を軽く広げて一歩踏み出すと、相手も恥ずかしそうに笑いながら一歩前へ出ようとした。
その瞬間。
「ちょっと、事務所まで来てもらうよ」
僕は首根っこを掴まれ、そのままずるずると引きずられるようにしてその場から強制退場させられた。彼女は何のことかわからないように、驚きながら慌てている。
「ちょ…ちょっ、何!?」
「いいから、事務所まで来いつってんだ」
振り返って見ると、そこには僕の上司。僕は一気に現実に襲われて、顔面蒼白になった。しかし、その視界の隅にちらっと映った彼女を見て、僕は急いで顔を上げた。
「待ってて、必ず見つけるから!」
今は遠く離れてしまった彼女にも聞こえる声量で僕は叫んだ。彼女は僕の声を聞き届けると、パッと笑顔になって力強く頷いた。
「君にはね、ぬいぐるみとしての自覚がないんだよ」
事務所にて。僕は上司に責め立てられていた。今思えば、こうなってしまったのもしょうがないと思える。
僕は遊園地でぬいぐるみの中に入る仕事をしていた。遊園地のマスコットキャラクターの中身。大きな身振り手振りでおどけて、子ども達とふれあう。僕がちょっと頭を撫でれば、子ども達は大きな笑い声を出して僕に抱きついてくる。…まぁ、あまり小さな子供だと泣き出すこともあるが。
そんな夢のない仕事をしている僕にとって、彼女は現実に舞い降りた一筋の光に思えた。彼女は僕に近づいてきた。…いや、マスコットキャラクターに近づいてきたのだが。でも、肝心なのはその後だ。僕は我慢できなくなって、ぬいぐるみの頭部を外して素顔を見せた。そして、彼女に言った。「付き合ってください」と。そしたら、どうだ!彼女、「はい」と返事をしたじゃないか!つまりOKということだ!僕はそのまま彼女を抱きしめようとした。彼女もそれに応じてくれそうだった。
だけど、愛に邪魔はつきものだ。今回の場合で言えば、太った僕の上司。彼は今、汗がたっぷり染み込んだ白いシャツ一枚の上半身と、キャラクターのぬいぐるみの下半身といった何とも威厳のつかない格好で僕を見下ろしている。そんな彼に見られている僕は事務所の硬い床に正座をしている。
「君が素顔を見せたせいで、子どもが泣いていただろうが。君は子供の夢を壊すためにこの仕事に就いたのか?」
がっしりと太い腕を組んで凄まれると、格好はどうであれ少し怖い。僕は目を合わせられなくなって、項垂れた。
「いやでも僕にとっては運命の出会い…」
拳骨が降ってきたのは言うまでもあるまい。僕はその痛みに泣きそうになりながら、頭を押さえた。頭蓋骨がじんじんと痛む。
「お前はもうクビだっ!」
止めの一言を放った上司の顔は憤怒に満ちて、僕は次の拳骨を食らう前にさっさと立ち上がって事務所を飛び出した。




