仮想と現実の世界で【3】
【4】あります。
「現実世界の私は……女だ」
クルーエルが震えながら言葉を漏らすと、ウイルスに侵されたマサムネは体がぴくりと動く。
そんなこととも知らず、クルーエルは言葉を続けた。
「…………女、ということ以外、現実の私と真逆なんだ。胸も身長も、そして性格でさえ、仮想の私とギャップが有りすぎるだろう……」
クルーエルがそう言い終えると、その次の言葉が見つからない。言葉に詰まってしまったクルーエルは、大きな胸に手を添えてゆっくりと息を吸い込んだ。
その言葉を聞いていたエゼフィールも、倒れたままぴくりと反応する。そしてすぐにぷるぷると震えだすと、エゼフィールは口を開いた。
「真逆……? そう言うことだったの。そう……現実世界のおねー様は、貧乳ってワケね……」
「……クルーエルが、おん、な……」
エゼフィールが口を開いて言えば、その言葉に続くようにしてマサムネも口を開く。
そんな二人の反応に動揺を隠せなかったのが、クルーエルであった。
二人の言葉を聞くと、クルーエルは目を閉じてから余計に震えだす。
――自分のことを話したから、嫌われてしまうのではないか。
そんな不安が、クルーエルの心を支配した。
「現実世界の、クルーエルが……女で、良かった……! 現実に男、だったとして……やはり、難があったから……な」
「現実世界のおねー様が貧乳なんて……素晴らしい! 嬉しい! 貧乳、万歳!」
予想にもしていなかった二人の言葉を聞くと、クルーエルは目を開き、きょとんとした顔でマサムネとエゼフィールを見る。
「嫌いに……ならないのか……?」
クルーエルは恐る恐る聞いてみると、二人はにっこりと微笑むと、彼女の問いにそれぞれ答えた。
「……なるわけ、ないだろ」
「むしろ、エゼにとっては嬉しいギャップですね。……男とかじゃなくって良かった! エゼみたいにネカマを演じていると、どん引きされちゃいますからねっ」
「マサムネ……、エゼフィール……っ!」
上手く呂律が回らないマサムネは、苦しそうにも満面の笑みを見せた。一方、エゼフィールは倒れながらも、瞳を輝かせながら嬉しそうに笑う。
そんな二人の姿を見て、クルーエルの瞳の奥が次第に熱くなってきた。
そんな時、神殿の入り口付近から賑やかな声が聞こえてくる。
「私達だって、嫌いになんてなりません! なってあげません! 何があったって、私達はクルーエルさんの仲間……いえ、お友達ですよ!」
「以下同文っ!」
「そんな言い方で良いんですか? ……月子お姉さん」
「だって、月子もそう思ってるんだもん! 間違ってないでしょっ」
その声に聞き覚えのあったクルーエルは、後ろを振り向く。
すると、そこには三つの人影があった。
クルーエルは目を凝らして、三つの人影を見る。彼女の目が入り口の光に慣れて、はっきりと人影の姿がわかった。
それは翼を大きく広げて腕を組む初日と、首を脇に抱えて仁王立ちする月子。そして、小さいながらもその二人の間に佇んでいるフィラであった。
「危ないから来るなと言っただろう!」
「嫌です! 私も戦います!」
「月子もぉ!」
「僕も、やられっぱなしは嫌ですから!」
クルーエルの心配も余所に、三人は反論する。
「だが――」
「……いいじゃない、ボクも居るし」
三人の声とはまた別の声が、入り口の方から聞こえてくる。すると、初日の隣に新たな影がひとつ現れた。
その影は、クルーエルにどんどんと近付いてくる。
クルーエルはその声を聞くと、困った表情をしながら頬を膨らます。
「初日達を巻き込みたくないんだ」
「本人達がそれを強く希望したんだ、ボクにそれを止める権利なんてないよ。……それにボクが居る。大丈夫さ、ボクはこの世界の創造主だよ? この世界の住人は、ボクが守ってあげるよ」
「神様…………」
影の正体は神様であった。
姿を現した神様は、クルーエルの隣に立つとにっと笑いかける。
神様の深い青色の瞳を見て、クルーエルは安心するのか笑顔を見せた。
「それに、くーちんの素性がやっとわかった。……その点に関しては、『パラシティック』に感謝しないとだね」
神様は少し低い声でそう言うと、チトセを笑いながら睨む。
神様からの威圧を感じた春梅はとっさに、倒れていたエゼフィールの髪の毛を掴む。
「あぅっ……!」
「ネェさん、なんかいっぱい来たアルよ! どうするアルか!」
動揺を隠せない春梅は、エゼフィールの首を腕で抱えるとチトセにそう言う。
チトセは苦笑しながらも、睨んでくる神様から視線を離そうとはしなかった。
「……うちが一番動揺したいわ」
「ネェさん?」
「一番会いたくない……いや、厄介な奴が来たっちゅうことや」
神様と睨み合いを続けるチトセは、身構えながら顔を引きつらせる。
「お久しぶりだね、チトセ。当然、ここがボクの世界だとわかって来てるんだよね?」
「お久しぶりやね……。当然、知っててここに来てるんや」
神様は笑いながらチトセに話すと、チトセもそれににこやかに返答した。
そのやり取りを見ていた他の者達は、息を飲んで見守ることしか出来ない。
神様は指の骨をポキポキと鳴らしながら、怪しげに微笑みながら口を開く。
「ボクは優しいから、昔のことは許してあげるよ。……でも、今回のくーちんとフィラ君に対する暴挙、ボクは断じて許さない」
神様は目を見開くと微笑んで見せた。だが、その瞳は決して笑ってなどいない。
春梅は神様からの威圧感に耐えかね、腕に力が入ってしまいエゼフィールの首を締め付ける。
「ぅ……ぐっ……」
「ネェさん!」
脅しの効かなくなったクルーエル、そして予期していなかった神様の出現。
彼らが来たことによって、チトセの計画は狂い始めていた。
チトセはこめかみ辺りから汗を流すと、溜め息を漏らす。そしてチトセは思いの外冷静な顔付きで、春梅にこう言った。
「作戦は失敗やな……。春梅、撤退や。その子を離してやりぃ」
「大丈夫アル、ネェさん! アタイが全員まとめて――」
「春梅が誰より強いんは、うちがわかっとる。せやけどな、引き際っちゅうもんがあんねん。……わかるやろ?」
春梅はチトセの言葉を聞くと、まだ何かを言いたそうに口をパクパクさせる。
だが、チトセの余裕のない表情を見ると、言葉を発することもなく頷いた。
エゼフィールの首に巻き付けた腕を緩めると、春梅はそっと背中を押しエゼフィールを解放する。
むせ返るエゼフィールは、まだまともに身動きのとれないマサムネの側で膝をつくと、呼吸を整えた。
その様子を見ていたチトセは、自分のソフィアの箱を取り出すとログアウトと言う文字に触れる。
だが、その文字に何度触れてもログアウトする気配が無い。
「逃がさないぞ」
「神の権限により、君達をログアウト不可にしておいたよ。……まだ『パラシティック』について、わからないことだらけだからね……。それを教えてもらってから、ログアウトしてもらわないと、ね」
クルーエルと神様の言葉を聞いたチトセは、彼らがこれから自分たちに何をしようというのかがすぐにわかった。
彼らはそれぞれのソフィアの箱から武器を取り出すと、それを徐ろに構える。
その光景を見たチトセは、高々に笑い始めた。
「にゅ、にゅははは! そう言うことやろうと思ったで! うちに拷問することで、『パラシティック』の全貌を吐かせようという魂胆……まさに外道やな、にゅ、にゅははは!!」
突如、腹を抱えて笑い出すチトセを見て、クルーエル達はおろか春梅も驚きを隠せない。
「手段は選ばない。……君がしてきたことだ、チトセ!」
「手段は選ばない……って。ヒィ、わらかしてくれるやん」
クルーエルの言葉にも、目に涙を溜めながら答えるチトセ。
その態度を見たクルーエルは、大剣を構えると険しい表情で叫んだ。
「チトセぇ!」
その声と共に、大きな体を走らせてチトセと春梅の所に向かうクルーエル。
チトセを守ろうと春梅は、クルーエルの前に立ちはだかる。
クルーエルは迷うことなく、春梅にその大剣を降り下ろした。
その攻撃を受け流そうとするが、攻撃力の高いクルーエルの一撃を凌ぐことは難しい。
春梅は声をあげて、その一撃を一身に受ける。
「ぅ…………、ネェさんっ……、にげ……て」
春梅が苦痛の表情を浮かべながら、膝を床につく。
それを聞いてかチトセは後退り、その場から離れようとするが、他の者はそれを良しとはしなかった。
「クルーエルさん、援護します! 《クイック》!」
初日は、ステータス「素速さ」を上げる魔法をクルーエルにかける。
速さを増したクルーエルは《瞬速》も併せて、チトセとの距離を縮めた。
近付きつつあるクルーエルに、チトセは苦笑しながら話しかける。
「本当に、現実世界のことを話して大丈夫だったん?」
「……君には関係の無いことだっ!」
――あと少しで、チトセに攻撃が届く。
そう思ったクルーエルは、大剣を構えてなぎ払う。
だがその攻撃は、チトセにかすることもなかった。
クルーエルは軽く舌打ちをすると、その様子を見たチトセは鼻で笑う。
だが、クルーエルの攻撃を避けて気の抜けていたチトセは、自分の背中に違和感を覚える。
「捕まえました!」
チトセの背中にしがみついていたのは、フィラであった。
フィラは自慢の俊敏性を活かし、上手くチトセの背後に回って彼女の背中にしがみついたのだ。
予想だにもしなかった出来事に、さすがのチトセも慌ててみせる。彼女は、振り落とそうとフィラがしがみつく背中に手を伸した。
「月子お姉さん、今です!」
チトセの背中に必死になってしがみつくフィラは、月子に向かってそう叫ぶ。その声を聞いた月子は、笑顔で「りょーかいっ!」と大声で言う。
月子はチトセとの間合いを詰めると、スキル《影縫い》を使い、チトセの動きを見事に封じた。
「ぐっ……!」
チトセと月子を、黒い影が繋ぐ。
チトセは体全体を動かそうとするが、微動だにもしない。
表情を強ばらせるチトセの元に、神様はゆっくりと近付いていく。
「さて……形勢逆転とは、このことを言うのかな?」
「……さて、どうやろうか」
神様は勝ち誇った笑みをこぼして言うが、チトセは彼の表情を見ても臆することなく言った。
「こんな状況でも余裕そうだね……?」
「まぁ、こういう事は案外慣れてるんや」
チトセは苦笑しながらも答える。
そんな態度のチトセを見かねたクルーエルは、彼女の胸ぐらを掴もうとした。
その時だった。
辺りは黒い閃光に包まれ、そこに居る誰もがその光に目を眩ます。
クルーエルは必死になりチトセを掴もうとするが、掴むことは出来なかった。
やっと視界が見渡せるようになると、クルーエルの目の前に居たはずのチトセは消えていた。
それも《影縫い》でチトセを足止めしていた月子が、気絶したように倒れていたのだ。
「……悪い、手間取った」
「ほんま……遅いで」
いつの間にか神殿の入り口に移動していたチトセは、春梅と見慣れぬ黒髪の男を連れて、その場に立っていた。
前髪で瞳が確認できないが、黒髪の男もチトセの仲間なのだろう。
「ほんま、いつも申し訳ないわー」
「……慣れてる」
チトセは申し訳なさそうにしながら、手を合わせて言う。
男はふてぶてしい態度でチトセに言うと、手に黒い光を集め始めた。
「『パラシティック』の全貌を話せんくて、堪忍なー。……お先に失礼します。また来るさかい、楽しみにしててなー。……あー、アカウントは消しておいても、かまへんからなー」
「アタイは暴れたりなかったアルーっ!」
チトセは満面の笑みを見せながら、手を大きく振る。
その横で、春梅は不満そうに叫んでいた。
「待てっ、チトセ!」
「ほな、さいなら」
クルーエルは逃がすまいとチトセのもとに急いだが、瞬く間に黒い閃光が走る。
そこに居た者達は、黒い閃光にまた目が眩む。
やがてそれぞれの視界が開けた頃には、チトセ達『パラシティック』はこの『GNOSIS』の世界から姿を消していたのだった。