仮想と現実の世界で【2】
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「ところで、あんな臭い台詞はどこから出てくるのかしら?」
「うるさいぞ、ネカマ」
先にパレストア神殿に辿り着いたマサムネとエゼフィールは、入り口に佇んでいた。
相変わらずこの近辺には人の気配が無く、効果音として流れている鳥の囀る声と、木々のざわめく音しか聞こえない。
「……おねー様、辞めないわよね?」
「辞めないさ。いや、辞めさせない。……だから俺達はここに来たんだろ?」
不安がるエゼフィールに、マサムネは微笑みながらそう言う。
マサムネのその態度を見たエゼフィールは、鼻で笑うと、あしらうような態度で口を開いた。
「変態がそんな格好いい台詞を言ったって、変態に変わりないわよ?」
「いやいや、この俺の愛情込めた台詞だぞ? くー様に言えば、一発でときめくに決まってるだろう」
「はいはい、言っていれば……」
真剣な表情で熱弁するマサムネを、エゼフィールは呆れた顔をしてまたあしらう。
少しの間、静寂に包まれる。だが二人はすぐに失笑してしまい、お互いの顔を見て笑う。
そんな中、マサムネは懐からソフィアの箱を取り出して画面に触れた。
「……まぁ、そんな話は仕事が終わってからだ。例の業者もちゃんと居るようだし、行きますか」
「そうね。早く終わらせて、おねー様を安心させてあげましょう」
二人は真顔になると、その白い煉瓦作りの神殿へと足を踏み入れた。
神殿の中はいつも通りで薄暗く、悠長に響く水滴の音はやはり耳に付く。
一本道を照らす松明は、相変わらず不気味な雰囲気を醸し出している。
そんな一本道の真ん中で、あぐらをかいて座っている人影を見つけた。その人物は、嬉しそうに声を張り上げて叫ぶ。
「まっとったでー、クルクル。…………って、クルクルちゃうやん」
マサムネとエゼフィールは特徴的な喋り方を聞くと、その人物がチトセであることを認識した。
薄暗い中、ほんのり見えるチトセの顔は少し困ったような表情をしている。
マサムネとエゼフィールの二人は、そんなチトセのことを黙って直視していた。
「新人のゲームマスターさん達が、こんな所までご苦労さんやねー。うちはあんたらに用はないんやけど……」
「お前になくったって、俺達にはあるんだよ」
「ネズミを駆除しに来ましたー。……ってことよ!」
チトセを直視しながら二人は手に光を集め、『BANプログラム』の武器を作り出す。
マサムネは両手に刀、エゼフィールは左手にロングボウを作り出すと、いつでも戦えるように身を構えた。
その光景を嬉しそうに見ていたチトセは、あぐらをかいたまま二人を眺めている。
「あんたらでもええんやけど、『KS』……『神プログラム』を提供してくれへんか?」
自分の太股の上に肘を置き、手のひらに顎を乗せて喋るチトセを見たマサムネとエゼフィールは、それぞれ声を上げて言った。
「断る!」
「拒否するわ!」
そう言うと、エゼフィールは《ハイド》を使い姿を消す。
エゼフィールが姿を消すと同時に、マサムネはチトセの元に突進する。
そんな状況でも、チトセはあぐらをかいたまま座り込んでいた。
「随分と余裕だな!!」
マサムネはそのまま舞うようにして、両手の刀をチトセに振り下ろす。この状況で、チトセが避けることは不可能に近い。
手応えを感じたマサムネは、ニヤリと笑う。
だがマサムネはニヤリと笑うと同時に、手元に違和感を覚えた。
「余裕に決まってるやん。今日は護衛もいるんやで?」
……手応えを感じたのは錯覚だったのか。
あぐらをかいたままのチトセが口元を歪めたまま、マサムネと視線を合わせた。
マサムネは自分の目を疑ったが、見えているのは幻覚ではない。
よくよく自分の手元を見ると、両手に握られていたはずの刀が無いことに気が付く。マサムネには持っているような感覚がするのに、その両手に持たれているはずの刀の姿が無かったのだ。
驚いたマサムネは後ろを振り向き、自分の走ってきた場所を見ると、持っていたはずの二本の刀が無造作に落ちていた。
「ネェさんは、すぐ無茶するアルよ! アタイが居るからって、無茶は良くないアル!」
マサムネは後退してから体制を立て直すと、チトセの居る方を見る。その近くにはチャイナドレスのような服を着て、スリットから生足を覗かせる女のクエレブレが立っていた。
マサムネは落ちている刀を拾おうとするが、刀を掴むことができない。違和感を覚えたマサムネは、いつも通り手を開いたり握ったりしてはみるが、どうやっても思い通りに動かせなかった。
「どうして感覚がおかしいんだろう……、とか思ったアルか? あなたの五感を麻痺させたアルよ」
「いつの間に……っ!」
「あなたがネェさんのところに走っている時に、五感の伝達を狂わせるウイルスを打ち込ませてもらったアル」
お団子頭で琥珀色の髪をしたクエレブレが、片言で説明する。
マサムネは思い返してみるが、その間に触れられた覚えもない。尚且つ、「五感を麻痺させるウイルス」なんて聞いたことも無かった。
「五感を麻痺させるウイルスだと……?」
「『パラシティック』特製のウイルスアル。実は試作段階で、実験に使ってくれって頼まれていたアル。現実世界に影響はないはずだから、安心してほしいアルっ」
女のクエレブレは太い尾を振ると、楽しそうにマサムネに言う。
手の感覚が戻らないマサムネは、さすがに苦しい表情を見せる。
片言に喋るクエレブレが言う通り、ウイルスに感染しているようだ。時間が経つにつれ、目が霞み、耳の聞こえが悪くなっていく。
マサムネはチトセ達の方を向くと、不敵に微笑んで見せた。
「まぁ……いい。俺だけ、じゃない……」
ウイルスの効果なのか、呂律すら上手く回すことが出来なくなってきたマサムネがそう言う。
すると、チトセの頭上高くにエゼフィールが姿を現す。
エゼフィールは光る矢を引き、チトセに狙いを定めるとすかさずその矢を放つ。
未だにあぐらをかくチトセは、エゼフィールの存在に気付いたのか顔を上に向ける。光る矢は、確実にチトセに近づいていく。
だが、チトセはそんな状況でも余裕の表情で笑っている。
「あんたらに春梅は倒せんで」
チトセはその矢を見つめながらそう言った。
その瞬間、春梅と呼ばれたクエレブレの女が落ちていた石を投げると、光る矢にぶつかる。その矢は折れることは無かったが、進路を変えるとチトセの体をかすめることもなく大理石の床に落ちた。そしてその矢は、光を帯ながらも儚く消えていった。
それを見て驚きを隠せないエゼフィールに、春梅が《瞬速》で近付いてくる。
「……ネェさんには、指一本も触れさせないよ」
春梅は呟くように言うと、宙に浮かぶエゼフィールめがけて強烈な蹴りをお見舞いする。
その蹴りを受けたエゼフィールの体には激痛が走り、その痛みに声を上げた。
「あ……うぁ、がっ!」
「おっと、キャラを作っていたのに忘れてたアルっ! ネェさんはアタイが守るアルよ!」
「ネカ……マっ!」
そのまま落ちていくエゼフィールの姿を見ていたマサムネは、助けようと足を動かす。だが思うように体を動かせないマサムネはその場に膝をつくと、その光景をただ見つめることしかできなかった。
大理石の床に叩き付けられるようにして落ちたエゼフィールは、痛みを堪えながらも立ち上がろうとする。だが、木の葉が落ちるように舞い降りてきた春梅が、必死に起き上がろうとするエゼフィールを足蹴にした。
「春梅の身体能力を最大限にまで発揮できるように、改良したゲーム機を使ってるんや。春梅は中国武術を極めた逸材や、敵うはずがあらへん」
「オンラインゲームでも、アタイに敵う者はいないってことアルよ!」
あぐらをかいていたチトセは、徐ろに立ち上がる。
目が霞み、身動きがとれないマサムネは、歯を食いしばりながらチトセを睨む。
紫紺の瞳をマサムネに向けて見つめるチトセは、薄ら笑いをして見せた。
「ネェさん、このエルフも実験しておいた方がいいアルか?」
「んー、多分したほうがいいやろな。データは多い方がええ」
「はいアル!」
春梅は嬉しそうに返事をすると、エゼフィールの髪の毛を掴もうとした。
「そこまでにしてもらおうか」
刹那、凜としたその声は神殿の中に響き渡る。
その声を聞いたマサムネとエゼフィールは、にやりと笑ってみせた。
「遅い……ぞ」
「本当に、遅いですよ……おねー様」
「……待たせてしまったようだな、すまない」
パレストア神殿入り口に佇む大きな人影は、腰に手を当てながらこちらを見ているのだろう。
逆光でその姿はよく見えないが、大きな体のシルエットと凜とした声は正しくクルーエルであった。
「……ほんまに遅いで、クルクル。さて、うちに話すことあるやろ?」
その様子を見ていたチトセは、待っていたと言わんばかりに嬉しそうに笑う。
足を進めてから姿を見せるクルーエルは、とぼけ顔でチトセに言った。
「話すこと……? さて、なんのことだ」
「下手なとぼけ方やなー……。黙認と提供の話や、忘れたとは言わせへんで」
クルーエルの態度に不快感を覚えたチトセは、険しい顔付きで言葉を放つ。
そんなチトセの表情を見てか、クルーエルはふんと鼻を鳴らすと、とびっきりの笑顔でこう言った。
「ああ、その話か。……その話だが、無かったことにしてもらおう」
それを聞いたチトセは、余計に表情を険しくする。
「ふざけんのも大概にしてくれへん? うちはな、クルクルの事思って言ってんねん。あの事は黙っておいて――」
「あの事……か」
チトセが話しているにも関わらず、クルーエルは途中で口を挟んだ。
クルーエルは大きく息を吸い込むと、続けて喋り出す。
「黙っておかなくてもいいぞ。なんなら私が話そうか?」
クルーエルは、笑みを溢しながらそう言う。だが、その笑みも口元がひきつっていて、無理に笑っているように見えた。
そんなクルーエルの言葉を聞くと、チトセは少し困った表情をしながら、まさかと思う。
「考え直した方がええで? うちも確かに色々言ったんやけど……、あれは脅しであって……」
「脅しだったのか……。だが、あれは的を射ていた」
チトセは、苦笑を浮かべながらクルーエルを宥める。だが、クルーエルは喋ることを止めようとはしなかった。
「確かに君が言っていた通り、私は仮想世界で、『クルーエル』という着ぐるみ……いや、甲冑を纏っている」
そう口にしたクルーエルの体は、遠目からでもわかるほど小刻みに震えている。
だが、クルーエルは目には涙を溜めながらも、話すことを止めない。
「纏うだけで、憧れ続けた理想の自分になれてしまう……。まるで、お手軽な整形のようだな」
クルーエルはそこまで話すと、話すことをためらってしまう。
彼女にとって、現実世界の話をすることは恐怖でしかない。
がたがたと震え始めたクルーエルは躊躇するも、意を決して口を開いた。