仮想と現実の世界で【1】
最終話に限り、ルビが多少暴走しております。
ご了承ください。
「――――その事件が起こった翌日だったかな、くーちんが『Blood Rain』で湧いていたBOT達を、次々と倒していったの。くーちんに関して出回っている動画って、大体がこの出来事じゃないのかな?」
神様の話に、食い入るように耳を傾けるマサムネとエゼフィール、月子とフィラ、そして初日。
初日は事の全てを聞くと、暗い表情で重い口を開く。
「それで、クルーエルさんに昔の話をすると、時折暗い顔をするのですね……」
「多分……ね。あまり、自分のことを話してくれる子じゃないからねー。大抵は憶測でしかないけど」
神様は、初日に困った表情で答えると、しばらく周囲は沈黙に包まれた。
「懐かしい話だな。もう戻ることのない、過去の話だ」
その時、近くにある木の陰から、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
草を踏みつける音が近付いてくると、そこに姿を現したのは他でもないクルーエルであった。
クルーエルの表情は何故か寂しげで、いつもならばその大きな身長が一際目立つというのに、気のせいか小さく感じる。
「私も、その当時は不正行為をしてまでチーターを殺した。……そのお陰か、今までやってきた全てのVRMMOでBANされたがな」
「……クルーエルさぁん!」
クルーエルの姿を見て安心したのか、初日は目に涙をためてから叫ぶ。よっぽど嬉しかったのか、勢いよく立ち上がり、クルーエルの大きな胸めがけ飛び込んだ。
「クルーエル……さん! クルー……さ……んっ!」
「すまなかった。……すまなかったな、初日」
クルーエルの胸に飛び込んだ初日は、溜め込んでいたものを全て出すかのように泣きじゃくる。
そんな初日を見たクルーエルは、困った表情をしながらも初日の頭を優しく撫でた。
そんな光景を見ながらも、神様は腰に手を当てて頬を膨らます。
「遅刻だよー、くーちん! ところで、いつから居たのかな?」
「……神様が、あの事を話し始めてすぐ」
「それもログイン状態を隠していますよね、おねー様」
「……すまん」
明るい表情で神様とエゼフィールが声をかけるが、クルーエルはその全てに苦笑しながら答える。
そんなクルーエルを横目で見ながら、マサムネも嬉しそうに話す。
「……くー様が来たのなら、話は変わるな」
「そうだね。『パラシティック』に対抗するための作戦も、練っておかないと……」
マサムネの言葉に、神様も同意する。
その言葉を聞いたエゼフィールや初日、月子やフィラも優しく微笑んだ。
……だが、神様の言葉を聞いたクルーエルの表情は硬く、寂しそうに笑った。
「……その事で、皆に話しておきたいことがあるんだ」
クルーエルはそう言うと、ゆっくり深呼吸をしてから言葉を続けた。
「私は、今日をもってゲームマスターを辞職させてもらう」
悲しそうな表情をしながらも、クルーエルは笑ってみせる。
その言葉を聞いた六人は、目を丸くさせて驚いた。
「昨日、ずっと考えていた。元はと言えば、私の弱さが招いたこと……。私がゲームマスターを辞めることで、取引は成立しなくなる。それに、今後ネットから手を引こうと思っている。……そうすれば、私の事をばらされたところで、誰にも迷惑をかけることがない」
クルーエルはそう言い終わると、皆に笑いかける。
だが他の者達には、その笑顔が無理矢理に作っているようにしか見えなかった。
そんな中、クルーエルの言葉に一番に反応したのが、初日であった。
初日は抱き付いていたクルーエルの胸元から離れると、歯を食いしばりながら小刻みに震えだす。そして、自分の髪に飾られた赤いリボンにそっと手を触れてから、口を開く。
「…………私は、私は反対ですっ! クルーエルさんが辞める必要はないっ!」
「わかってくれないか? 初日……」
「わかりません……わかりたくもありません! それに、そんなに寂しそうに笑うクルーエルさんなんて、見たくない!」
初日は力強く叫ぶと、クルーエルを見つめた。初日の目からは大粒の涙が溢れてくる。
泣くばかりの初日を見て、クルーエルはただ困り果てながらも、苦笑するばかりだった。
「すまないな、初日。……私には、これしか思いつかないんだ」
クルーエルがそう言った、次の瞬間だった。
パァン、と音が鳴ったと思えば、クルーエルは腹部辺りに痛みを感じる。
「くーちんは、ボクとの誓いを忘れたの?」
それは神様の仕業だった。
神様はハリセンを片手に持ちながら、真剣な眼差しでクルーエルを見つめる。
クルーエルは、神様の眼差しに耐えかね、視線をそらしてから呟いた。
「忘れてなどいない……」
「だったら、どうして? 君はボクに『二度と、あのような思いをする者を出さない』って、そう誓ったよね?」
神様の真っ直ぐな視線は、クルーエルを捉えて放さない。
クルーエルにとって、その視線があまりにも痛かったものだから、神様に背を向けて震えだす。
「だったら……だったら、私にどうしろと言うんだ!」
そう叫ぶと、クルーエルはその場に座り込み体を丸めた。
「……クルーエルさん」
そんなクルーエルを見て、初日は言葉を失う。
初日にとって、あんなにも大きかったクルーエルの背中は小刻みに震えて、必死になって声を押し殺して泣いている。
そんなクルーエルを見ているだけで、胸が引き裂かれそうだった。
突如、近くで鈍い音が響く。
皆がその方向に視線を向けると、マサムネの拳が木の幹にめり込んでいた。
「……俺の嫁をこれほど泣かせるとは、黙っちゃおけねぇ。ぶっ潰してやる」
マサムネが木の幹から拳を離すと、そこにはくっきりと拳の跡が残っている。
怒りを隠しきれないマサムネの姿を見ていたエゼフィールは、溜め息を吐いてから笑顔を作った。
「おねー様はあんたの嫁じゃないけど、その意見には同意するわ」
エゼフィールは、マサムネの肩をぽんと叩く。
マサムネは、エゼフィールの顔を見るとにやりと笑った。
「すまないが神様、俺達は先に行ってるぞ」
「おねー様の説得を頼みます。……その間にエゼ達が、あいつらを二度とこのゲームに来られないようにしてやりますよ」
マサムネとエゼフィールはそう言うと、ゆっくりと歩き出す。
「……待ってくれ!」
声を押し殺して泣いていたクルーエルは、今出せる精一杯の声で二人を止める。
その声を聞いたマサムネとエゼフィールは、立ち止まると後ろを振り向いた。
「止めたって無駄さ。……きっとお前も、逆の立場だったらこうしてるだろ? それにな、お前が居ない仮想世界なんて、俺にとっちゃ耐えられないほどつまらなくなる」
「おねー様が何を抱えてるかは知らない。でも、エゼもこの変態と同じ事を思っていますよ。おねー様の居ない仮想世界なんて、つまらないわ」
マサムネとエゼフィールは、泣き疲れたクルーエルの顔を見ると、とびっきりの笑顔でそう言い残してから再び歩き出す。
その言葉を聞いたクルーエルは、眉間にしわを寄せてから、大きな声を上げて泣き出した。
「マサ君、エゼっち! ボク達もすぐ行くから、少しぐらいは楽しみをとっておいてよね!」
マサムネとエゼフィールに向かって、神様はそう叫ぶ。
それを聞いたマサムネは、振り向きもせずに手を上げる。そしてエゼフィールと共に、そのままチトセの居るパレストア神殿に向かって歩いて行った。
二人の姿を見送ると、神様はクルーエルの様子を見て溜め息を吐く。
座ったままのクルーエルは鼻をすすりながら、俯いて誰とも視線を合わせようとはしなかった。
「くーちんは、自分が辞めればどうにかなると思っているのだろうけど。……彼らはそう甘くないって、君がよく知っているよね?」
「……だが、私には他に方法が思いつかないんだ」
「もし君がゲームマスターを辞めて、仮にネットワークを遮断しても、彼らはまたここに来るよ?」
神様の声に、クルーエルは耳を傾ける。だがまったくと言って良いほどに、クルーエルは地面をただ見つめていて、誰も見ようとはしない。
「でも……私には……――」
「『でも、私にはこれしか思いつかない』……って、何回言うつもりなの?」
痺れを切らした神様は、俯き座るクルーエルの頬を両手で掴むと、強引に自分の方に向けた。
神様の手から逃れようと必死に抵抗するクルーエルだったが、この世界の『神』には敵うはずもない。彼女の目には涙が溜まり、血のように赤い瞳は、水面に反射する日差しの如く輝いていた。
「だが……」
「なんでボク達に相談してくれなかったの? そんなにも、ボク達を信用できないの?」
「それは違うっ!」
神様の言葉を聞いたクルーエルは、すぐに否定する。
二人のやり取りを見ていた初日は、優しく微笑みながらクルーエルに近付いた。
「だったら話してください。クルーエルさんの心の内を」
そう初日が言うと、クルーエルは唇を少し噛んでから、ためらうように話し出す。
「…………わいんだ」
「え?」
「話すことが、怖いんだ……」
クルーエルは弱々しく言うと、神様の手を握る。彼女の潤んだ瞳の奥には、寂しさが滲み出ていた。
「話すと嫌われてしまいそうで、今までの関係が壊れてしまいそうで、怖くて怖くて仕方がないんだ」
そう言ったクルーエルは瞼を閉じると、溜まっていた涙が目元から零れ落ちて頬を伝う。そして、彼女はそのまま言葉を続けた。
「私が怖れているのは、私自身なんだ……」
そう呟くように言うと、クルーエルは体を震わせる。
その時、今まで一言も発することがなかった月子がそっと口を開いた。
「もしかして、クルーエルさんは自分自身を嫌っていませんか?」
月子が真面目にそう話すと、クルーエルはぴくりと反応する。
クルーエルは反応はするが、何かを言ってくる気配もない。月子はそのまま、座り込むクルーエルの近くまで歩く。
「その気持ち、わかるんです。怖くて仕方がなくて、自分を思うように出せなくて……。頑張ってみたけど上手くいかなくて、逆に嫌われてしまって、自分の殻に閉じこもった……昔の月子みたいです」
月子はそう言ってから初日を見た。
初日は、月子と目が合うと微笑んで見せる。そんな初日の笑顔を見ると、月子も自然と笑顔を見せた。
「でも、月子は変われました。高校生になって……初日と出会って、変われたんです」
神様に頬を掴まれたクルーエルの顔を覗き込む月子は、にっと笑うとクルーエルの頭を撫でる。
頭にふわりと触る感覚がして、クルーエルは少し怖くなった。だが、月子が優しく撫でるので、不思議と暖かい気持ちになる。
「もっと、月子達を信じてくださいっ」
月子の一言は、クルーエルの心の内に引っかかっていたモノを取り除いていく。
クルーエルは止めどなく溢れる涙を手で拭うと、神様の手を掴んでから呟いた。
「……私は、嫌いなんだ」
「……嫌い?」
「ああ、月子の言うとおりだ。私は、自分自身が……現実の自分が嫌いなんだ」
神様はクルーエルの頬からそっと手を退いた。強引に掴まれていたせいか、クルーエルの頬にはくっきりと赤い手形のような跡が残っている。
クルーエルは頬を擦りながら、初日の言葉に頷いた。
「チトセの言っていることは、間違いじゃない。現実の自分を隠すための『着ぐるみ』……それが、仮想世界に存在する『クルーエル』の姿なんだ……」
それ以上は言いたくないのか、クルーエルはまた黙り込んでしまう。
だがそれだけでも、その場に残っていた四人にはその言葉だけで大体の察しがついた。
神様は指を顎につけると、考えながらクルーエルに聞く。
「つまりは、ここに居る仮想世界での『クルーエル』と、現実世界の『クルーエル』の中の人は、全くもって違う……ってこと?」
「……性別以外は、な。自分に似せたキャラクターを作る者が居たら、逆に見てみたい。……私はまさに、その逆だ。『着ぐるみ』だったら、可愛かったかもしれん……。私のこれは、きっと『甲冑』だ」
座り込んだクルーエルは、自分の体を撫でるように触りながらそう言う。
言葉を発する度に、クルーエルの唇は震えて、それを話すのが彼女にとってどれだけ怖ろしいのかが窺えた。
「こんな『甲冑』を着なければ、自分を好きになれないんだ……」
クルーエルは、自分の肩を抱くとまた少し震えだす。
そんなクルーエルを見ていた初日は、少し微笑んだと思ったら、突然口を開いた。
「仮想世界でも現実世界でも、クルーエルさんはクルーエルさんじゃないのですか? たとえ、クルーエルさんが現実世界の自分自身を嫌っていたとしても、私は嫌いになんかなりません。……嫌いになんてなってあげません」
「初日……」
未だに晴れぬ顔をしたクルーエルに、初日は満面の笑みで言う。
その言葉に感銘したクルーエルは、大きな胸に手を当ててから周りを見た。
「初日の言う通りですよぅ! 現実世界のクルーエルさんも、仮想世界のクルーエルさんも、どっちもクルーエルさん自身なんですっ」
「『甲冑』なんかじゃないと思います。そのキャラクターは仮想世界での有りのままの姿……、クルーエルお姉さんそのものなんだって。僕はそう思います」
「君は昔からそんなこと思っていたの? ボクが君を『GNOSIS』のゲームマスターに勧誘したのは、そもそも君だったからだよ。もうちょっと自分に自信を持ちなってー」
月子にフィラ、そして神様がそれぞれ笑顔で言うと、クルーエルはまた目に涙を浮かべる。
「…………私は、私は、なんて馬鹿なんだ……」
クルーエルの目からは涙が零れ落ちそうになったが、とっさにクルーエルは空を見上げた。その涙が零れないよう、ゆっくりと深呼吸する。
四人はそんなクルーエルの姿を、ただ黙って見守った。
「すまない……」
ぽつりとクルーエルは呟くと、目尻から乾くことのない涙を一粒零す。
クルーエルの顔付きはあんなにも弱々しかったのに、今では凜々しさを取り戻していた。
「私は、私とのケリもつけなければならないな……」
ゆっくりと立ち上がったクルーエルは、そう言うと四人に笑いかける。
そのクルーエルの表情はとても自然で、いままでと変わらないクルーエルの笑顔であった。
「…………行こう、パレストア神殿へ」
それを聞いた四人は頷き、笑顔でそれぞれに返事をする。
「私が絶対に守ってみせる。この仮想世界を、君達を。……絶対にだ!」
クルーエルはそう決意を示すと、先陣を切ってパレストア神殿へと歩み始めた。