血塗れの過去【3】
過去編②です。
色んな意味でドキドキしています。ハイ。
***
その悲劇の事故から五日が経つ。
少年がVRMMOが原因で死亡したことは、ネットでも大きな話題になっていた。
それは、ここ『Blood Rain』でも同じ。
「そいつのせいで、政府が動いているらしいぞ」
「『一日に八時間まで』しか、VRMMOは出来なくなるんだってよ。それも、その事故の死因は栄養失調だとか。どんな生活してたんだよ、そいつ……」
「まぁ、今までも同じような事例があったしなぁ。起こったもんは仕方がねぇんだけど」
「ふざけんな! ぼくちゃんのゲーム生活を……!」
それを口々にしていたのは、『片翼の天使』のメンバー達であった。ルニャスの酒場でも、その話題で持ちきりになっている。
「それも噂では、そいつ『Blood Rain』のプレイヤーらしいぞ」
「はっ! ふざけやがって! ぶちのめしてやる! ……って、死んでるんだっけか。ぎゃはは」
心ない言葉が飛び交う中、クルーエルは酒場の隅で一人佇んでいた。
音信不通のカミナと、多忙の神威。
彼女にとって、二人の存在は大きく、二人が居ないこの場所は窮屈で仕方が無かった。
最近になって心を許せるようになったチトセの姿も、ここ最近見る事がない。
ほぼ一日ログインしているクルーエルにとっても『八時間制』は辛かったが、それ以前に寂しさが彼女の心を支配していた。
クルーエルは気を紛らわそうと、無言でルニャスの酒場を後にする。
「……ダンジョンでも攻略しに行こうか」
酒場の外へ出たクルーエルはぽつりと呟くと、ゆっくり歩きながらルニャスから離れた。
***
……ダンジョン攻略をし終えたクルーエルは、ルニャスの街の近くまでやって来た。だが、一時間も経っては居ないはずなのに、なんだか街の様子がおかしい。
ルニャスは連日、大勢の人で賑わいを見せる場所。それなのに、こんなにも静まり返るルニャスは、クルーエルにとって初めてのことであった。
「緊急メンテが入る……訳でもないな。第一、アナウンスが無しでの緊急メンテは、信用問題にも関わるしな」
クルーエルは門を潜り抜け、街の中へと足を踏み入れる。毎日のように、門の下で元気よく挨拶してくれるNPCの子供の姿がない。
クルーエルは街の中に入ると、自分自身の目を疑った。
「何故『非PKエリア』である街の中に、血痕があるんだ……?」
辺りを見渡せば、無数の場所にこびり付く血痕。
街の中ではPKが出来ないはずなのに、この光景は異様だった。
クルーエルは街の至る所を見回しながら、『片翼の天使』の拠点である酒場に足を進める。
その道中には、建物の壁や置物、腰掛けに至るまでの血の痕。時間が経てば消えていくが、ここまでの夥しい血痕を見たのは、クルーエルも初めてだった。
少しずつ酒場に近付くにつれ、悲鳴のような声が聞こえてくる。
クルーエルは、その声を聞いた瞬間に足を速めた。
いつもならば、酒場の壁の隙間から漏れる音の殆どは、くだらないような談笑ばかり。
不安を覚えたクルーエルはそっと酒場の扉を開き、中を覗き込んだ。クルーエルの目に飛びこんで来たのは、床一面の夥しい血と、室内の真ん中に佇む銀髪の男が一人。
その佇んでいる男の後ろ姿に見覚えがあったクルーエルは、みるみるうちに笑顔になり、その男に声をかけようとした。
「神威――」
「ひぃぃいい! ど、どうしたんですか、神威さんっ!」
クルーエルは声を発するが、他の者の悲鳴によって掻き消されてしまう。
異変に気付いたクルーエルは、神威と呼ばれた男が握りしめている刀、『千人切』をまじまじと見た。その刀は赤く染まり、ポタポタと赤い液体が滴り落ちている。
「ど、どうして、どうして……チームメンバーを斬ったんですか……っ!」
クルーエルの視線からは見えづらかったが、神威が見つめる方向には男がいた。彼は『片翼の天使』を設立したときからの、古株のメンバーだ。
その男が震えながらもそう言ったが、神威は聞く耳も持たなかった。
そのまま『千人切』を振り上げ、躊躇することもなく降り下ろす。鈍い音がしたと思えば、瞬く間に神威に血の雨が降り注ぐ。
神威はその光景を見ると、腹を抱えてクククと笑い始める。
クルーエルは、そんな神威の姿を見て言葉を失う。
――あの優しかった神威が……、面倒見のよかった神威が……。
想いを巡らせるクルーエルは、口元に手を添えてから息を殺して俯いた。
「……にゅは、にゅははは! おもろいなー、人様のキャラ使うんは」
神威が発した言葉を聞いた瞬間、クルーエルは耳を疑った。
神威はこんな喋り方などしない……。頭の中によぎる嫌な予感が当たらないことを願い、クルーエルは意を決して扉を開き、酒場に足を踏み入れる。
扉の開く音に気付いた神威は、振り向きクルーエルを見つめた。クルーエルも、険しい顔つきで神威を見返す。
蜘蛛の糸のように輝く銀色の髪。深海のごとく青色の瞳。その人物は、間違いなく神威であった。
神威の整った顔には、返り血がべったりと付着している。彼は血が付着していることを気にもとめずに、クルーエルに笑いかけた。
「……やあ」
見た目や声は、明らかに神威そのものだった。だが違和感を感じたクルーエルは、近付いてくる神威と一定の距離を保ちながらしかめっ面で聞く。
「……君は、誰だ?」
「……あちゃー、もしかして聞こえてたん? やってもうたー! うちは喋ることが好きやから、ついつい喋ってしまうねん」
神威は頭を掻きながら、困った顔をする。
だが、そんな表情を見てもクルーエルは動じることはなかった。
「君は誰だと聞いている」
「……神威です。と言ったところで、信じてもらえへんな。それに、バレてもどうってことない。……お久しぶりやな、クルクル」
クルクル……と聞いた瞬間、クルーエルの瞳孔が大きくなる。
クルーエルにとって、関西弁を喋り、自分のことをクルクルと呼ぶ者は、一人しか心当たりがなかった。
「チトセ……か」
クルーエルは残念そうに言う。
そんなクルーエルを見ても、神威……いや、チトセは、へらへらと笑って見せた。
「何故、君が神威さんのキャラを使っている」
「あー……それはな、神威さんに頼まれてなー。経験値上げてんねん」
「嘘を吐くな! 頼まれているなら、何故こんな事を……!」
「にゅはは、冗談やー。気にしんといてーな」
楽しそうに笑うチトセは、誤魔化すように喋る。
その態度を見たクルーエルは、嫌悪感を露わにしながらチトセが操る神威に向かって一喝する。
「本当の事を言え!」
「本当の事……か。『金儲けするために、神威のアカウントをハックしました』……これでええか?」
チトセは、神威と言う仮面をかぶりながら、悪びれもせずにさらっと言う。それを聞いたクルーエルは、目を丸くして驚いた。
「『Blood Rain』はセキュリティが高いはずだ! そんなことは簡単に出来るわけが……」
「人間が作ったセキュリティなんて、高いもへったくれもないわ。こんなヒヨコ騙しは、その道のプロに任せれば、ちょちょいのちょいに決まってんねん」
「う、嘘だっ! こんなこと……」
「嘘じゃ無い事ぐらい、わかってんやろ? 嘘やったら、うちが神威と言うキャラクターを操っている訳がないやないか」
信じようにも信じれなかったクルーエルは、チトセの言葉を聞いてから慌てて目の前に指を出し、ゲームのメニュー画面を開いた。
確かに、『神威』という名前のキャラクターがログインしている。
クルーエルは、言葉を発する事が出来なくなった。そんなクルーエルを見たチトセはにっこりと微笑むと、クルーエルに近付き、彼女の頭をぽんぽんと叩く。
「信じられへんのも無理は無いが、これは正真正銘の神威のアカウントのキャラクターや。信じてくれな」
「だが、だがっ! 何故、神威さんのアカウントなんだ……」
クルーエルは唇を噛みしめながら、チトセに聞いた。チトセは、にっと怪しく笑ってから喋り出す。
「既存のオンラインゲームを凌駕する『神威』のアカウントを売れば、高額になること間違いないで。神威に負けた奴なんて何万と居んねん。そいつらにこのアカウントを売りつけたって、憂さ晴らしに丁度ええとか言って、喜んで買うやろう。それに、このあまーいマスクをした神威さんのファンがぎょーさんおる。そのファンも、高額で買い取ってくれるやろうな」
それを聞いたクルーエルは、拳を握りしめた。
――このままでは、本当の神威がログイン出来ない。
そう思ったクルーエルは呼吸を整えると、チトセを説得しようと思った。
……だが言葉を発することもなく、『千人切』の刃がクルーエルの体を切り裂く。
クルーエルが目にした神威の瞳は、とても冷たく感じた。
このゲームは痛覚だけは遮断されているから、痛みを感じることは無い。だが自分の体から溢れ出る血を見て、クルーエルは硬直してしまう。
「すんまへんな、クルクルと話していたいねんけど、そんなにお喋りもしてられへんのや。『パラシティック』の皆が、首を長くして待ってんねん。……ほな、さいなら」
育て上げられた神威が振りかざした一撃は、見事にクルーエルを仕留める。
クルーエルの目の前は真っ黒になり、『Blood Rain』の世界から意識を投げ出された。
***
それから十分後、クルーエルは『Blood Rain』に再度ログインする。
『Blood Rain』では、PKに負けてしまうとペナルティとして十分間、ログインできなくなる。
クルーエルは、神威に斬られた場所に戻ってきていた。
同じく戻ってきていたメンバー達は、困惑した表情で話をしている。
クルーエルは、戻ってきているメンバーのことより、神威の行方が気になっていた。彼女は必死に目を凝らして見るが、そこにはもう神威の姿は無かった。メニュー画面を開いても、神威はすでにログアウトしている。
「なぁ、クルーエル。神威さんは、どうしてあんなことをしたか……わかるかい?」
メンバーの一人がクルーエルに話しかけてきたが、彼女にその声は届かなかった。
クルーエルはその言葉に応えること無く、メンバーを手で退けて酒場の外に出た。街にも人々が戻り、困惑しながらも普通にゲームを楽しんでいる。
「……どうしてだ」
当たり前のように過ごす人々を虚ろな瞳で見つめ、クルーエルは呟く。
音信不通のカミナ。
アカウントハックされた神威。
……そして、チトセの裏切り行為。
いつもと変わらない街の様子を見て、そこに居たたまれなくなったクルーエルは、目的地も無いまま走り出す。
何も出来なかった悔しさと、二人に会えない寂しさと、チトセに対する怒りがクルーエルの心を支配した。
「どうしてなんだっ!」
風を切って走るクルーエルの目からは、止めどなく涙が溢れ出る。その滴は風に乗り、宙を漂う。
クルーエルはあてもなく走っていると、見たことのある大きな岩の所まで来ていた。
……そこはクルーエルが、神威とカミナに出会った場所。
その岩を見つめていると、いつかの光景が脳裏をよぎる。
神威の困り果てた笑顔と、馬鹿にしたように笑うカミナ。
その光景が浮かび上がれば浮かび上がるほど、涙は余計にクルーエルの頬を伝い、流れ落ちる。
そんなクルーエルの涙を洗い流すように、しとしとと雨が降り出す。次第にその雨は強さを増し、あっという間にクルーエルの体を濡らした。
クルーエルは、大きな声を上げて泣きじゃくる。その大きな声を掻き消すかのように、雨は大きな音をたてて大地へと降り注いだ――――。