初心者とチーター殺し【1】
改めて、この世界が本当にゲームの中なのかと疑う。
ここは注目度急上昇中の、VRMMORPG『GNOSIS』という仮想世界。
その中の『始まりの場所』と言う、ゲームを始めたばかりの初心者が集う場所。その『始まりの場所』の中心部には緑が生い茂った広場があり、広場の真ん中には大きな木がぽつんと佇んでいる。
その大きな樹の下に、一人の女が仁王立ちしていた。
女の目は、くるりとまん丸でまつ毛が長い。
髪の毛は尻の少し下まで長く、髪と瞳の赤黒い色は、どちらかと言えばの乾いた血の色に似ている。
女性の割には身長が非常に大きく、背丈は約三メートル近く――成人女性の二倍ほど――の高さはあるだろうか。
胸にも巨大と言える膨らみが二つあり、腹の辺りは綺麗にくびれが出来ていて、尻の辺りも胸と同じくらい出ていた。
完璧なる八頭身で、案外女性らしい肉付きのその女……いや、巨女は、その赤黒い長髪をなびかせる。
「今日も平和だ」
彼女がそう呟くと、近くの木の上で羽を休めていた小鳥たちが、一斉に羽ばたいていく。
――ここの空気は都会と違って、空気が美味しく感じる。
そう思ってしまった巨女は、大きく呼吸をすると緑の香りが鼻を抜けていった。
彼女はふと上を見ると、大きな木の葉っぱの間から木漏れ日が降り注ぐいでくる。
よく見ると、その木には赤い実がなっていた。彼女はその実を採ってみると、実は固く、甘い香りがした。
巨女は美味しそうに見えるその実にかぶりつく。その実を噛みちぎると、気持ちいい音が辺りに響き渡る。それと同時に、口の中には甘い味と香りで満たされた。
その実の美味しさに自然と顔が綻ぶ。
すると、巨女の頬を心地の良いそよ風がふわりと撫でていく。
心もお腹も満たされた巨女は、「初心者強化月間! 手とり足とり色々なコト、大きなお姉さんが教えちゃうから、気軽に声をかけてね」と書いてあるプラカードを持ち挙げると、ぶつぶつと呟き始める。
「仕事の無い日は、普通にゲームを楽しんでもいいと言っていたではないか……。VRMMOは一日に八時間しか出来ないんだぞ? その八時間を無駄に使っているとしか思えん。まったく……、何が『仕事が無いなら、初心者をサポートしてきてよ。……ちゃんとやらないと減給だからねっ』……だ。私は何でも屋ではないぞ……。それに、このプラカードはなんだ。私はこんな事を決して言わないのだが……」
息継ぎをほとんどせずに言葉を吐き捨てると、巨女は不機嫌そうにそのプラカードを見て、頬をフグのように膨らます。
「大体……運営側の人間がこんなハレンチな服を着ていたら、少年少女の発育上、問題になりそうな気もするが」
巨女は自分の服装をまじまじと見てしまう。
彼女の巨大な胸の谷間を見せびらかすように開いている服。へそは丸見えで、とても短いスカートから伸びる長い脚にはガーターストッキングと言う、世の男性を魅了するアイテムを装備していた。
現実世界で例えるとすれば、夜の仕事をしている人達が着ていそうな服であった。
「……まぁ、個人的には嫌いじゃないがな」
巨女は顔を赤らめ、体を捩りながら嬉しそうに言う。
巨女の奇妙な行動と独り言が多いためか、他のプレイヤーがチラチラと彼女を横目で見ては通り過ぎて行く。
普通であったら、こんなに奇妙な言動と行動が多い人間を見たら、誰しも声をかけたくないと思うのが普通だ。
そんな声を掛け難い彼女に、恐る恐る声を掛ける者が居た。
「あの……すいません」
可愛らしい声が巨女の耳に入ると、彼女は声のする方向にとびきりの笑顔で振り向く。
「おお! 『GNOSIS』の世界へようこそ」
巨女は張り切ってその声の主を見た。
そこには、身長が三メートル近くもある彼女からしたら、小柄な女が立っていた。
「あの……、オンラインゲームやるの初めてなので、質問だらけなのですが……いいですか?」
「構わない。どんな些細なことでも聞いてくれ」
そう笑顔で巨女が言うと、女は安堵の表情でまた口を開いた。
「聞いた話によると、他のオンラインゲームって始めてすぐに名前と性別、そしてキャラクターを作成するみたいですが……。このゲーム、キャラクター作成が無かったんです。……キャラクターはいつ作成出来るのですか?」
巨女の身長が高いというのもあるが、初心者の女は上目遣いで訪ねる。
よく見ると、その初心者の女と同じ背丈で同じ顔、同じ服を着た者達がこの場に溢れかえっていた。
唯一見た目で違うところと言えば、胸のあたりに膨らみが有るか無いかだろう。
「ああ。私みたいになるには、少しメインクエストを進めなければならない。此処は物語の都合上、少々従来の物とは違うんだ」
「メインクエスト……?」
初心者の女は何のことやらと首を傾げると、その様子を見た巨女は声を出し笑った。
「本当に君は分らないのだな。……まぁ良いだろう。私が文字通り、手とり足とり色々な事を教えてやろう」
巨女は腰に手を当てふんと鼻を鳴らすと、それに合わせて彼女の巨大な胸が上下に揺れる。
「私はこのゲームのゲームマスターをしている、クルーエルという者だ。宜しく」
巨女――クルーエルは初心者の女の背丈に合わせしゃがみ、手を差し伸べた。
「私は、初日と言います! よろしくですっ」
初心者の女――初日は、クルーエルの大きな手を握り、軽く握手をする。すると、初日は顔を赤らめながら視線をそらし、口を開いた。
「……ところで、ゲームマスターって何ですか?」
「はははっ……。君はオンラインゲームが初めてだと言っていたな。チート……いや、不正行為を行うプレイヤーの事をチーターとも言うのだが、そのチーターを対処し、普通にゲームを楽しむプレイヤーの要望などに適切に対応するプレイヤーの事をゲームマスターと言う」
「そうなんですか。では、ゲーム会社の人って言うことでいいんでしょうか……?」
「ああ、そうだ」
「はわわ……、私本当になにも知らなくて、ごめんなさい」
そう初日が言うと、また顔を赤らめる。
そんな姿を見て、クルーエルはくすりと笑った。
「気にすることはない。今は初心者強化月間中だから、些細なことでもどんどん聞いて欲しい」
そう言うと初日から手を離したクルーエルは、胸元からおもむろに何かを取り出した。
クルーエルはそれをいじりだすと、その場にほったらかしになっていたプラカードが音を立てて消えていく。
「あああ……。本当に、本当に質問ばっかりでごめんなさい。今クルーエルさんがいじってる、それは何ですか?」
初日はクルーエルが持っている物を指差す。それは、どことなく現実世界でよく使われているスマートフォンに似ていた。
「これか……。これは『ソフィアの箱』と言う。実を言うと、他のプレイヤー達はこれのことを携帯か、スマフォとも呼んでいるがな」
「ソフィアの箱……?」
「ああ、君も所持しているはずだ」
初日は、自分の胸元をぽんぽんと触れてみた。
その行動を見たクルーエルは、大きな声を出して笑う。
「私の入れ場所が悪いようだな。最初はズボンのポケットにでも入ってないか?」
クルーエルに言われたとおりに、初日は自分の着ているズボンのポケットを調べてみる。よくよく触っていくと、初日の手に堅い感触が触れた。
「あ、ありました」
初日は、ポケットに入っていた堅い物を取り出す。そのソフィアの箱と呼ばれる物は、近くで見ると現実世界でお馴染みのスマートフォンによく似ていた。
初日は自分のソフィアの箱の画面に触れてみる。使い方は、スマートフォンと同じで画面に触れて操作する物であった。
「『アイテム』や『設定』や『クエスト』……。『装備』に『メール』……。これって、画面でするゲームで言うと、ステータス画面みたいなものですか?」
スマートフォンの扱いには慣れているらしく、初日は軽快な動きでソフィアの箱の画面に触れながらクルーエルに問い掛ける。
「そうだな、そのようなものだ。……そうそう、友達登録なんてものをしておけば、登録した友達の居場所もログインしているかもわかるんだ。……案外便利だぞ?」
クルーエルは、楽しそうにソフィアの箱を触る初日を見ながら答える。
「アイテムや装備も、ここで簡単に取り出し可能だ。ここ『GNOSIS』は、装備やアイテムが大量にあるゲームだから、ソフィアの箱を使えば入れるも出すも簡単便利に扱えるぞ」
そう言ってクルーエルは立ち上がり、自分の衣装を何着か変えて見せた。
ボーイッシュな服から、フリルのあしらった服まで。
クルーエルは自慢するように初日に見せつける。だが、初日の瞳は輝いていて嬉しそうだった。
「なるほど。これなら煩わしさがないですね」
「だが、今回はこのハレンチな装備をしていないと、どこかの誰かに怒られるのでな……」
クルーエルは吐き捨てるように言うと、すぐ元の服装に戻してしまった。
「さて……君は、一番最初の説明ですら聞き逃していたらしいし、メインクエストの説明をさせてもらうぞ」
クルーエルは真剣な顔付きで腰に手を当て、凛とした声で初日にメインクエストの説明を話し始めた。
「そのソフィアの箱のクエストと言う所に、指を触れてみてくれ」
初日は、言われたとおりにクエストのアイコンに触れてみる。すると画面に『メインクエスト』と書かれた欄が現れる。
「それがメインクエストだ。さらにその『メインクエスト』と言う文字に触れると、『神樹(しんじゅの果実』というクエストが出てくるはずだ。そこに書いてあるダンジョンに行ってもらう」
初日が『メインクエスト』と書かれたところに触れると、クルーエルが言っていた『神樹の果実』というクエストが出てきた。
そして『神樹の果実』と言う文字にまた触れると、そのクエストの詳細が出てくる。内容は「始まりの森へ行き神樹のもとへ」……と、そう書いてあるだけであった。
「始まりの森……」
「ああ、そこに案内しよう。……といっても、一本道なのだがな。……こっちだ」
クルーエルが歩き始めると、初日はそれに続いて歩き始める。
クルーエルは身長が大きいので、足も長い。そのため一歩一歩が大きいので、初日はどんどんクルーエルに置いていかれる。
数歩進むとすぐにそれに気付いたクルーエルは、初日が追いつくまで待った。
そんなクルーエルの姿を見た初日は、少しばかり気が焦り、小走りでクルーエルの元に駆け寄った
「大丈夫か?」
「は……はい……」
初日は息を切らせながら言うと、クルーエルは頬笑みながら初日を持ち上げた。
「わわ……」
「ここに乗せれば、置いていくこともなかったな」
クルーエルは楽しそうに笑うと、初日を自分の肩に乗せて再び歩き始めた。
初日を乗せたクルーエルは雑談をしながら、始まりの森へ向かって歩く。
その道中はのんびりとした田舎道で、間隔を開けてしだれ柳のような木が道の両側に植えられていた。
「クルーエさんに会えてよかったです……。あのままだったら、全然進んでませんでした」
「なに、礼には及ばんさ」
「……私のクラスで、VRMMO……特にこの『GNOSIS』が最近流行っているんです。友人がやり始めたって言うから、友人を驚かせようと思ったんです。だがらVRMMO専用の本人認証カードを申請して、ゲーム機を買って始めたのに……いざやってみたら、思ってたよりも難しくて……」
本人認証カードとは、「VRMMOは一日に八時間まで」という法律が立案された後に、他のゲームを行き来することによって結局八時間以上ゲームができてしまったため、考案されたカードである。
ゲーム機にカード差し込み口があり、それを挿入しないと起動しないシステムになっているのだ。
初日は間を開けてから、俯いて溜め息を吐くと言葉を漏らす。
「あそこに四時間ほど居ましたよ……」
また顔を赤らめながら苦笑する初日を、横目で見ていたクルーエルは声に出して笑った。
「八時間しかない貴重な時間を、あそこに四時間も費やしたのか。勿体無いことをしたな。……では、なるべく早めに行こうか」
そういうと、クルーエルの足取りは次第に速くなる。
「風が気持良い……」
初日の頬を風が掠めていく。
目を細めて先を見つると、その先に木が生い茂る場所が見えてくる。初日には、すぐにそこが始まりの森だということがわかった。
迷うほどでもなかったはずなのに、何故迷ってしまったのか……。そう考えると、初日は恥ずかしくなり、顔を手で覆い隠した。
「本当に一本道……。そして、案外近かった……」
「最初だから、そんなに遠くには設定してない」
クルーエルはからかう様にして言い、初日を肩から下ろした。
その言葉を聞いた初日の顔はみるみる赤くなり、覆い隠すことができない耳まで真っ赤になる。
「ここが始まりの森だ。チュートリアルも兼ねてあるから、分かり易いと思うぞ。戦闘の仕方もここである程度覚えていけばいい」
そうクルーエルは言うと、満足気な表情をして始まりの場所に戻ろうとした。だが初日は慌ててクルーエルの足を止める。
「え、もう行っちゃうんですか?」
「うん? 何かまだ分からない事があるのか?」
初日を見て、少し困り果てた表情でクルーエルは言うと、初日はその表情を見て口を閉ざす。
少ししょんぼりとしている初日を見て、クルーエルはふうと溜め息を吐くと笑顔で初日に声をかけた。
「困った初心者だな。仕方がない、『グノーシスを得る』所まで付き合おう」
初日には『グノーシスを得る』なんてわからなかったが、そのクルーエルの言葉を聞くといるみる笑顔になっていく。
「あ、ありがとうございます!」
「では進めていこうか」
クルーエルはそう言うと、始まりの森へと足を進めた。初日も笑顔でそれに続いた。