底知れぬ闇【3】
バイブレーションクルーエルの誕生である。
「君に呼ばれた覚えはない! 私は、初日からのボイスチャットでここに……」
「うちがかけることを許したんや。普通だったら、連絡なんてさせへんて」
トライデントを構え直し、チトセは首をかしげてから楽しそうに笑う。
チトセの表情は何かを企んでいるようにも見え、クルーエルはその笑顔を見ると汗が滴れた。
その頃、少しだけ動けるようになった月子は、自分の首を回収すると、初日とフィラのもとへ駆け寄った。
痛みを堪えながら、フィラに支えられて初日はゆっくりと起き上がる。
「初日、大丈夫? 少し離れよぉっ!」
「うん……」
月子は初日の脇に自分の腕を入れ、もう片側をフィラが初日の腕を担ぐようにして、壁を伝いながら出入口に向かってゆっくりと歩き出す。
三人は少しだけ前へ進むと、フィラは突然に鼻をすすりだすと下を見ながら悔しそうな表情で口を開いた。
「僕のせいで、お姉さん達を巻き込んじゃったね……。本当にごめんなさい……」
「気にしないで! フィラ君が悪いわけじゃないよ、あの人が悪いんだから」
「そーだよぉ! 月子は気にしてないし、初日も気にしないよっ」
初日を支えながら歩く月子とフィラは、神殿の出入口付近まで来れたが、痛みの走る体をそれ以上動かす事ができずにその場に座り込んでしまう。
その様子を見ていたクルーエルは、三人にチトセを近付けないように立ちはだかる。
その場所は調度地下迷宮へと続く道で、松明の光が二人を照らした。
その光に照らされるチトセの姿は、よく見れば皮膚が鱗におおわれていて、耳の代わりに生えているヒレがぴくぴくと動いている。
「いったい、何が目的だっ!」
クルーエルの問い掛けに、チトセは片方の耳……いや、ヒレに手を当てて首をかしげて見せた。
聞こえませんよ、と言わんばかりの表情でチトセはクルーエルを見つめる。
「また、アカウントハックをしようと言うのかっ!」
チトセの挑発的な態度に、眉間にしわをよせながらクルーエルは吼えた。
そんな彼女を見ても、チトセは動じることもなく楽しそうに笑う。
「あー、懐かしいなぁ。……その節はありがとうございまた。あのアカウントは高額で売れてな、その実績のお陰で、パラシティックの支部長にまで昇進できまして」
そう言うと、満面の笑みでクルーエルを見るチトセ。
その悪ぶれもしない態度に、心底怒りを覚えるクルーエルは、口よりも先に体を動かしてしまう。
クルーエルが《瞬速》を使いチトセの前に現れると、そのまま力ずくで攻撃を当てにいく。だがチトセの《見切り》が発動し、その攻撃はあっさりと避けられてしまう。
それでもクルーエルは攻撃を止めようとはしなかった。
片手で悠々と大剣を持つと、クルーエルはもう片方の手に光を集め始めた。その光は段々と大きな剣の形になり、その装飾はいつも人目を奪うほどに美しい。
チトセはその武器を見た瞬間、瞳を輝かせながらも、怪しげに笑い始めた。
「ひっ……いひひ、それや、それ。うちが今、目ェつけてるヤツや……」
とても嬉しそうな表情で、チトセはその大剣を見る。
だがクルーエルは二つの大剣を使い、舞うようにチトセに攻撃する。
チトセ自身も、その武器に斬られればすぐにでもこのゲーム世界から消えてしまうことを知っているので、瞳を輝かせながらも、軽やかに攻撃をかわしていく。
「なぁ、クルクル。もうそろそろ遊ぶのやめてええか? うちはな、クルクルと話に来ただけなんや」
「ふざけるな! お前と話すことなど……っ!」
これでもかと言わんばかりの力を込めて、クルーエルは大剣を振り回す。
だがチトセは軽やかに攻撃を避け、クルーエルから距離を置こうと、地下迷宮へ続く階段の方へと逃げる。
チトセを追いかけようとクルーエルは走ろうとするが、彼女の目の前に上からトライデントが落ちてきた。トライデントは大理石の床に突き刺さることはなく、床に転がる。
それを見たクルーエルは唾を飲み込むと、チトセを睨み付けた。
「うちは交渉しに来ただけや。だから一番話が通じそうなクルクル、あんたに来てもらったんや」
「交渉だと……? それを飲むとでも思っているのかっ!」
「クルクルは飲むで? 正確には、『飲み込まざるを得ない』……やけどな」
チトセは話終えると、クルーエルを見ながらせせら笑う。
不快感を覚えるクルーエルが顔をしかめると、チトセは話を続けた。
「まず始めに、うちらの組織……、いや、あんたらが俗に『業者』や『チーター』と呼ぶ者達の存在を黙認すること。どうせイタチごっこになるだけやし、その方が運営費も安くなるはずやで?」
チトセは優しそうに笑い、人差し指を天井の方へと伸ばしながら言う。
クルーエルは「誰がそんな話を……」と言いかけるが、その声よりも大きな声でチトセは話始めた。
「そしてもうひとつ。『GNOSIS』で使われている『KS』……『神システム』を、うちに提供することや」
「馬鹿も休み休み言え! そんな交渉、誰が飲むものか!」
「クルクル、あんたに拒否権は無いんや」
不敵にも笑みをこぼすチトセの力強い発言に、少しだけ押されるクルーエル。だが、負けじと二本の大剣を構えてチトセが居る場所まで走り出す。
「私に拒否権が無いだとっ! 笑わせるな!」
「だって、クルクルには大きな弱点があるやないか」
「弱点だと? 私に弱点などな――」
「あんたの『現実』……や」
チトセが片方の頬を吊り上げ、にやりと笑って見せた。
その言葉を聞いたクルーエルは、全力で動かしていた足を止めてしまう。彼女の額から汗がまた滴れ、目を見開きながらチトセを見つめた。
「クルクルは当然の事ながら、『RPG』と言う言葉の本来の意味を知っているやろ?」
チトセは淡々と話を進めるのだが、クルーエルは目を見開いたまま動くことも、喋ることも出来なかった。
クルーエルは歯をガタガタと震わせ、ただチトセの言葉に耳を傾けるしかなかった。
「『ロールプレイングゲーム』……、日本語に直訳すると『役割を演じる遊び』……。そうやな?」
チトセがクルーエルに話を振るが、本人はうんともすんとも言わず、チトセを見つめている。
それをいいことに、チトセは楽しそうに笑いながら話を続けた。
「クルクルは『クルーエル』と言う役割を演じているだけや。現実の自分を隠すための『着ぐるみ』……それが『クルーエル』……」
チトセのその言葉を聞いたクルーエルは、急に息を荒くする。二本の大剣を床に落とし、崩れるように座り込む。
「ちっ……ち、がうっ……」
クルーエルは声を震わせながらも否定するが、震えのあまり呂律が上手く回らない。
その尋常ではない態度に、楽しさを覚えるチトセは少しずつクルーエルに近付き、優しく話しかける。
「強がらなくてもええねんで? 下調べは全てしたんや、クルクルの『現実』、ぜーんぶ……」
「う、そ……っだ!」
「往生際が悪いなぁ、クルクルは。うちの組織、『パラシティック』を舐めたらあかんで?」
チトセはクルーエルの側まで来ると、しゃがみこんでクルーエルの顔を覗く。
人より大きなクルーエルの顔を見てからその顎をがっしりと掴むチトセは、ガタガタと震えるその表情を楽しみながら眺めた。眺めてからすぐに、クルーエルの耳元で本人にしか聞こえない声で言葉を囁く。
その言葉を聞いたクルーエルは余計に震えだし、目に涙を溜め始めた。
「まぁ、このネットワークの海にバラすことも可能なんやけどな、チトセさんは優しいからしないんや。だからその優しいチトセさんの顔に免じて、この交渉を飲んでくれへんか?」
「……飲め……ない……」
「なんやて?」
「そ……っれは……の……めな……」
泣きながらも抵抗するクルーエルに、溜め息を漏らすチトセは初日達の方へ視線を向けた。初日達は身を寄せ合いながも、チトセを睨み付ける。
「じゃあ先に、あの子らに教えたるわ」
「や……めっ! 嫌、や……っ!」
「どっちやねん、クルクルは欲張りやな」
「ごめ……なさ……っ! ……それ、だ……は」
クルーエルはチトセの服を掴み、泣きながら言う。
親に叱られた子供のように泣くじゃくるクルーエル。
それを見るチトセは高々と笑いながら、その姿を楽しんでいた。
その光景を見る初日達にとっては、何が起こっているのかすら分からないでいた。特にクルーエルが初日達を見る目が怯えているのが、三人には分かることがなかった。
「ど、どうしたんでしょう、クルーエルさんは……! は、初日、どうにかしなくちゃ!」
「どうにかするって……」
戸惑う月子は慌てふためき初日に詰め寄るが、初日にもどうすれば良いのかと頭を悩ませる。
フィラも一緒になって考えるが、この状況をどう打破すれば良いのか分からない。
そんな三人の様子を静かに見ていたチトセは、目元にしわが出来てから、口元がうっすらと笑う。
「ほら、あの子らが困ってるで! チトセさんは優しいからな、説明してあげなあかんと思うねん」
「や……やめ、ろ!」
チトセはクルーエルの顔を掴んでいた手を離すと、わざとらしく手を口元に近付けて声を響きやすくする。
クルーエルは涙を流しながらも、すがるようにチトセの足を掴んだ。
「あんたらに説明してあけるでー! クルクルはな、現実世界の――」
「やめてくれ! わかったから、わかったから……それ以上は……っそれ……い、じょうは……」
チトセが話している途中でクルーエルが声を張り、話を遮った。
何に怯えているのか分からないが、クルーエルは息を荒くし、呼吸をするのがやっとのように見える。
ここに居るクルーエルは本当にクルーエルなのか……と、初日は目を疑いながら見ていた。
その時にクルーエルと視線が合うと、遠く離れている初日の目にも分かるほど、クルーエルの体は震えだしていた。
「交渉成立やな」
「わかっ……た、から。おね、が……い……おねが……」
クルーエルは震えながら言うと、座ったまま首から上半身が崩れるように床に倒れる。クルーエルは顔が見えないようにひんやりとした床に額を当てて、顔の回りを両腕で隠した。
その姿を見て喜ぶチトセと、それを目の当たりにして、信じられないと言わんばかりの表情の初日達。
神殿の中は湿った空気が漂い、水滴が落ちる音だけが響き渡る。
その音は神殿の中で反響と残響を繰り返し、そこに居る者達を煩わしい気持ちにさせる。
そんな束の間の沈黙は、すぐに終わりを迎えた。
「もしゲームマスターをやめるんやったら、『パラシティック』に来ればいいからなぁ。クルクルなら、ボスは大喜びやで」
チトセは満足そうな顔をして辺りを見回してから、クルーエルを見下すように言う。
クルーエルの呼吸は一向に整わず、ただ息を荒げていた。
「ほな後日連絡するさかい、その頃までに『KS』と『黙認』の許可とっておいてなぁ、クルクルっ! ……にゅはは、これでまたがっぽり儲かりますなー」
人差し指と親指で円を作り、残りの指をまっすぐ立ててから、チトセは心の底から嬉しいと言わんばかりの笑みをこぼす。
そして、クルーエルの頭を足で軽く蹴ると、鼻歌を口ずさみながら軽い足取りでスキップをしだす。
チトセはそのまま松明に照らされた道を通り、神殿の出入口まで足を運ぶ。
あと一歩で神殿を出ると言うところでぴたりと止まると、初日達の方に首を向け、満面の笑みでこう言った。
「おおきに」
後ろに腕を組み、ご満悦な表情のチトセが神殿の外へと行ってしまった。
それを見た初日達は、自分達の痛みを堪えながらもクルーエルの元に向う。
「クルーエルさんっ! 大丈夫ですかっ」
「クルーエルさぁん!」
「クルーエルお姉さんっ!」
三人はクルーエルを囲むと、泣きじゃくりながらクルーエルの体を揺する。
初日達は決して『交渉』のことを攻めてるわけでも無く、ただ自分達が無力だったからそれが悲しくて泣いていた。
だがクルーエルにとって、その涙は『自分を責めている涙』としか捉える事ができず、三人の声を聞く度に震えが増していく。
そうともわからない初日達は、必死にクルーエルを揺すった。
「やめてくれ……もう、やめてくれ……」
三人の言葉に耐えかねたクルーエルは、弱々しい声を発する。拳に力が入ると、その拳ですら小刻みに震えた。
その時、クルーエルの耳元で機械音声が聞こえてくる。
『アト一分デ、限度時間デス。あいてむろすとナドニ、ゴ注意クダサイ』
エゼフィールと対決してから一度もログオフしていないため、クルーエルは今日の限度時間……八時間を迎えようとしていた。
機械音声はそれを告げる警告である。
クルーエルはそれを聞くと、徐ろに顔を上げ始めた。
「クルーエルさんっ!」
嬉しそうにする初日は、クルーエルの顔を覗き込む。だが、クルーエルの表情はまるで別人のようで、初日は絶句してしまう。
そんな初日を見たクルーエルは、覇気の無い声でただこう言った。
「――ごめん」
『限度時間ニナリマシタ。強制ろぐあうと致シマス』
機械音声はそう告げると、クルーエルは光に包まれ消えていく。
クルーエルの肩に触れていた初日の手はすり抜けてしまい、ただ消えていくクルーエルを眺める事しかできなかった。