底知れぬ闇【1】
最後の息抜きです。この次からシリアスかなぁ……
ラクナノに重い空気が漂う。
いつもの広場には、クルーエルとマサムネ、そしてエゼフィール。そして彼等が取り囲む中心には、エゼフィールを雇っていたチーター三人衆が座り込んでいた。
「もう一度話してくれないかしら?」
「だ、だだ、だから掲示板に『高額アルバイト』って書き込みがあって、そ、その内容が『VRMMO『GNOSIS』のレアアイテムを、当社パラシティックに売っていただければ、高額で買い取らせていただきます』……って、書いてあって」
「その後の事を聞いてるんだけど」
「そそ、それでこのゲーム内にいるパラシティックの支部長さん? と、あ、会ってアルバイト契約したんスよ……」
エゼフィールの冷ややかな視線が、三人に容赦なく突き刺さる。
三人はエゼフィールの冷たい表情に怯え、身を寄せ合い、震えた声でリーダーはその質問に答えていた。
「支部長……。そいつの姿を覚えているか?」
クルーエルがしゃがみこみ、三人衆と目線を合わせる。
あの時よりは冷静さを取り戻しているのだが、あの憎悪に満ちたクルーエルをこの三人衆も見ていたので、恐怖のあまり余計に体を寄せ合いながら小刻みに震える。
「くら、く、暗くて、よよ、よく見えなかったっス……」
「では、名前は聞いたか?」
「……お、お、おお、教えてくれなかったっス」
「ふむ……そうか」
クルーエルはふうと溜め息を漏らすと、ゆっくりと立ち上がり始めた。彼女が立ち上がるにつれ、チーター三人衆を照らす太陽の光を遮り、クルーエルの大きな影が三人をおおっていく。
逆光でよく見えない大きな姿を、三人は口を開けながらしげしげと眺める。
「そう言う話らしいぞ、神様」
クルーエルは作り物の大空を見上げそう言うと、空からいつものように天真爛漫な声がこぼれ落ちてきた。
「よくわかったよー。とにかく、状況を詳しく調べる必要があるね。今から動くと言うのは、無理そうだけど」
「……うむ、そのようだな」
神様の声は、ゲームマスターであるクルーエルとマサムネに伝わる。
そのせいか、エゼフィールとチーター三人衆はクルーエルが独り言を喋っているようにしか見えなかった。
「あー、くーちんの要望のエゼフィールちゃんをゲームマスターにする手続き、今終わったから宜しくー」
「あ、空から声が落ちてくる。これが神様のお声……! よ、よろしくお願いします!」
「うん、よろしくねー」
エゼフィールの鼓膜に、神様の声が響き渡る。それが嬉しかったのか、エゼフィールは嬉しそうに顔を綻ばせる。
そんなエゼフィールとは対照的に、未だにチーター三人衆の鼓膜を神様の声が震わすことはなかった。
「くーちんとマサムネくんに、エゼぽんの初等教育は頼んだよー。それじゃあ会議にいってきまーすっ」
「ああ、大西さんに迷惑をかけるんじゃないぞ」
「はいはーい」
神様の楽しそうな声が聞こえなくなると、不服そうなマサムネがエゼフィールを睨み付けながら口を動かす。
それを察してか、エゼフィールはクルーエルにしがみつき、平然とした顔付きでマサムネを見返した。
「どうしてくーにゃんは、そいつをゲームマスターに推薦したんだっ!」
「私がエゼフィールに素質があると踏んだからだが……、なにか不服か? マサムネ」
「残念でしたね、マサムネせ・ん・ぱ・いっ! おねー様はエゼの素質を見込んで、声をかけてくださいましたの。おねー様に付きまとうしか脳のない先輩と、エゼを一緒にしてほしくないです」
大きなクルーエルの背後に回り、エゼフィールはマサムネにに対して勝ち誇ったような笑みをこぼす。
その挑発的な態度に、マサムネは腹の底から苛立ちを覚える。
「お前みたいなネカマが、俺の嫁に張り付いている時点で、俺は許せないんだよっ!」
「エゼは確かにネカマだけど、この世界ではれっきとした女ですからー」
エゼフィールは舌を少し出して「べーっ!」と言いながら、マサムネをより挑発する。
マサムネはまんまとその挑発に引っ掛かり、エゼフィールを捕まえようと近付くが、すぐにクルーエルの影に隠れてしまう。
ムキになっていたマサムネは、《瞬速》を使い捕まえようとすると、エゼフィールはその小さな体を活かしてクルーエルの股の下を潜り抜けた。マサムネは自分の速さを制御することもできず、クルーエルの大きな胸に顔を埋める形で飛び込んだ。
「――……っ! かんむりょ――」
「感無量とかほざくな! この変態がっ!」
その柔らかい感触を顔全体で堪能するマサムネの幸せな一時は、瞬く間に終わりを告げる。
クルーエルは、マサムネの頭蓋骨を圧迫するように両手で持つと、自分の胸から引き剥がすように両手を前に突き出した。
そのままその場に落とされると、マサムネの顔が青ざめる。瑠璃色の瞳には、不気味に笑いながらハリセンを持っているクルーエルが映し出された。……その瞬間、ラクナノ中に心地良いハリセンの音が響き渡った。
「まったく……オンラインゲームにおいて、ネカマやネナベの人口が多い事ぐらいは把握しているだろうに……」
「ですよねー。せっかくのVRMMOだから現実世界で男でも女になりたくなるし、その逆だってあると思うのにー」
ハリセンの一撃を食らい、芝生の上に気絶するマサムネを見ながらエゼフィールが言う。そんなエゼフィールをクルーエルがまじまじと見た。
「君がネカマだというなら、どうしてアバターを巨乳にしなかったんだ?」
「……もしかして、おねー様は現実世界の男性は全員が巨乳好きだと思ってらっしゃるんですか?」
「違うのか?」
そうクルーエルが言うと、エゼフィールは倒れているマサムネを踏み台にして急に熱弁しだす。
「ええ、ええ! 全然わかっていません! 世の中には二種類の男性がいます。大きなおっぱいが大好きな男性と、あの真っ平らなおっぱいがたまらなく愛おしく思える男性と……。エゼはその真っ平らなおっぱいを愛しているのですっ!」
エゼフィールはマサムネを踏みつけながらも、大きな動きをつけて説明してくれる。
だが、その熱意もクルーエルには届かない。巨大な胸の下で腕を組み、胸を強調させるように持ち上げると、クルーエルは不機嫌そうに言葉を発した。
「身長も、胸も大きい方が良いに決まっている!」
「お、俺たちも身長はどうであれ、胸は大きい方が好きですぜ」
今まで会話についていけれなかったチーター三人衆のリーダーが、怖ず怖ずとその会話に割り込む。
しかし、割り込んだ次の瞬間、リーダーのソフィアの箱からPVPを始める音が鳴り響く。それと同時にリーダーの額にぷすりと矢が刺さり、彼の体力を空にした。
「……因みに俺も巨乳が好きだ。どいてくれないか、ロリコンネカマ」
リーダーを囲み、あとの二人が「兄貴しっかりしてくだせぃ!」と泣き叫んでいる時、エゼフィールの踏み台にされていたマサムネが目を覚ます。
マサムネの頭をがっつり踏んだまま動こうとしないエゼフィールを強引に振り払い、大きく深呼吸をしてマサムネは立ち上がる。
「こんな事をしていると、いつまでたってもこいつの教育なんかできないぞ、くーにゃん」
「マサムネのくせに真面目な事を言うな。あと、くーにゃんはやめろ」
全体についた埃を払いながら、マサムネは珍しく真面目にクルーエルに言った。
機嫌が悪そうに答えては見たが、マサムネの言う事は的を射ていたのでクルーエルは黙り込んでしまう。
「エゼは初等教育なんて必要ないですよー」
「本当か? ここのプログラムの使い方や、中からのシステムのメンテナンスとか……。山ほどすることがあるのに、本当に必要ないと言えるのか? まぁ大丈夫だというのなら、俺は一向に構わないのだが。後始末に追われるのがくーにゃんになるって事を覚えておけよ」
「……うっ」
マサムネがまた的を射て言うので、エゼフィールは口籠もり何も言い返せなくなってしまった。
「もしや、神様が君に何か吹き込んだか」
「いんや、吹き込んだんじゃない。どちらかといえば、俺のやる気スイッチがどうやったらオンになるか、彼は知っていただけだよ」
二枚目の顔立ちをより引き出したいのか、真顔でクルーエルにそう言うマサムネ。だが、やる気スイッチの話の辺りから多少鼻の下が伸びて、二枚目の顔立ちが残念な顔立ちへと変わっていた。
クルーエルはそんなマサムネを見ると、嫌悪感を露にしながら呟く。
「会議が終わり次第、神様を問い詰めよう……」
そんな時だった。
クルーエルの大きな胸の辺りから音楽が鳴り響く。その音を聴いたクルーエルは、大きな胸の間からソフィアの箱を取り出す。
「む、初日からか。そう言えば謝っていなかったな……」
画面に表示されている『応答』と言う文字に触れ、クルーエルは電話に出る時によく使われる決まり文句を言いかける。だが、ソフィアの箱から漏れる声は異常で、悲鳴のような音が聞こえてくる。
首をかしげたクルーエルは少し間を置くと、微かにだが声が聞こえてきた。
「――……クルーエルさん……、助けて」
その声は間違えなく初日のものだった。
弱々しいその声がソフィアの箱から漏れたと思えば、次に耳が痛くなるような雑音が絶え間なく聞こえ、すぐに初日からのボイスチャットは切れてしまう。
その尋常とは思えない初日のボイスチャットに、クルーエルは胸騒ぎを覚える。
「……マサムネ、エゼフィールの初等教育と、その三人の始末は頼んだ」
「……ああ」
その様子を隣で見ていたマサムネは、眼帯の位置を直してから返事をする。
ソフィアの箱で初日の居場所を確認すると、クルーエルは《シャドーホース》を召喚してからすぐに跨がり馬を走らせた。
そのやり取りをきょとんと見つめていたチーター三人衆は、クルーエルの言っていた「始末」と言う言葉に引っ掛かりを覚える。
「あの、俺らどうなるんスか?」
一人がエゼフィールに尋ねると 見下すように答えてくれた。
「あー、たぶんBANね」
「……そんなぁ」
冷たくあしらうように言われた三人が愕然とする中、エゼフィールはマサムネに近付くと、胸を手で押さえながら心配そうにクルーエルの走り去った後を見つめる。
「なんだか胸騒ぎがする。大丈夫かしら、おねー様」
「くーにゃんなら、きっと大丈夫さ……」
マサムネの表情は至って普通に見えたが、彼もまた胸に手を当てるとエゼフィールと同じ方向を見つめた。