憧れの人【1】
今日もクルーエル達のお陰で、『GNOSIS』の世界は平和である。……と、言いたいところだが、今日は波乱な予感がする。
「で、昨日は何があったの?」
「それがですね……」
ラクナノの広場で相変わらず雑談をしている神様と初日。
何時もであればここにクルーエルも加わり、わいわいと会話をしていていいのだろうが、当のクルーエルは広場の中心部にある大きな樹の木陰に入り、大きな体を小さく縮め一人暗い顔をしている。その様子はいつもの拗ねた感じでもなく、酷く落ち込んでいた。
クルーエルの目は腫れ上がり、瞳の赤さに負けず劣らず白い部分も真っ赤に充血している。
そんなクルーエルに近付くものは誰一人としていなかった。何故ならば、彼女は「私に近付けば、どうなるかわかっているだろうな?」と言わんばかりに、周囲に威光を放っているからだ。
「昨日、神様が帰った後の事なのですが…………」
困った顔をした初日は、イベントクエストをクリアした後の話を神様に説明し始めた――――。
***
――――無事にイベント『ソフィアの頼み事』をクリアしたクルーエル達は多忙な神様と別れ、『いんぷのとう』の外で雑談を交わしていた。
話題と言えば、イベントクリア後に必ずもらえる『インプの姿絵のシャツ』と言う、あの抽象絵画のようなインプを全面的に押し出した洋服であった。
正直、こんなネタ装備誰が好んで着るのだろうと誰もが思っていた。大体の人がそう考えているのか、『いんぷのとう』の外には大量に捨てられたインプの姿絵のシャツが散乱している。
勿論、クルーエル達もそのシャツを貰ったのだが、それを喜んでいるのは月子だけであった。
「キモカワインプのシャツぅー!」
「月は単純でいいわねぇ……」
そのシャツを着て喜ぶ月子を見て苦笑する初日。その二人を見て顔を合わせて笑うクルーエルとフィラ。
「それで、君達は時間の許す限り『いんぷのとう』を周回するのか?」
「はい……。あればあるだけ欲しいので、今日は月子お姉さんや初日お姉さんに迷惑をかけてしまうのですが……」
「気にしないでー! 月子は今日、自由の身になったばかりだから!」
「よく言うわよ……。また、泣きついてきても知らないからっ!」
勿論、イベントクエストをクリアしたからといって、もう塔の中に入れないと言うわけではない。同じ内容だが何回も同じクエストを受けることができ、だからこそ、その度に最後に必ずもらえる『インプの姿絵のシャツ』が塔の周りに無残に散乱しているのだ。
フィラは申し訳なさそうに初日と月子を見るが、二人は何も気にはしていないようで楽しそうに笑っていた。
「それに、私が先にハリセンを貰ってしまっても構わないのか?」
「はい、これから頑張りますし、それに最初は月子お姉さんはクルーエルお姉さんに渡そうとしていましたから……」
「クルーエルさん、欲しがっていましたもんね。『これでマサムネを打ちのめせる!』……って、悪そうな顔しながら」
初日はクルーエルの真似をして悪い顔をして見せる。
初日の悪ふざけに腹をたてたクルーエルは、早速そのハリセンで初日の頭を叩くと、そのハリセンは良い音を響かせた。
「いたっ」
「ふむ、痛覚は正常に機能するようだな」
「私で実験しないでくださいっ!」
「ははは、すまんすまん」
初日は頭を擦りながらクルーエルを睨む。そのやり取りは、端から見ても和やかで微笑ましいものだった。
だが、その時は無情にも訪れる。
クルーエルのソフィアの箱からは、PKを挑まれた時に鳴る音が聞こえてきたのだ。
「誰だ!」
和やかであった空気は緊迫した空気へと変わり、それを察した初日はすぐ月子とフィラを連れてクルーエルから離れる。
振り向いた先には、何もいない。
クルーエルはそれが何なのか、大体の察しが付いていた。
「そのスキルは《ハイド》……か」
「……さすがは『チーター殺しのクルーエル』ね。エゼの気配に気付いちゃった」
何もなかったはずの場所から、姿を現したのはクリーム色のストレートヘアで、胸が残念な大きさなのに、妙に大人びている綺麗な顔立ちのエルフであった。その小柄なエルフは、弓矢をクルーエルに向けて口を開く。
「……エゼフィールよ、以後お見知りおきを」
「ふむ、それが君の名前か。……それで、何故私にPKを挑む?」
「貴女が本物の『チーター殺しのクルーエル』かを確かめるためよ」
エゼフィールと名乗るエルフは、翡翠色の瞳でクルーエルを見つめていた。
クルーエルは嬉しそうな顔で笑い始める。
「なんだ、そんなことか。それだったら声をかけてくれれば良かったものを」
「声をかけて、本物だと判れば苦労はしないわ」
「それもそうだな」
クルーエルはエゼフィールと会話をすると、余計に楽しそうに笑い出す。
楽しそうに笑うクルーエルを見て、エゼフィールは不思議そうな顔をした。
「何故そんなに嬉しそうなの?」
「ああ、仕事以外で絡んでくる輩など居なかったしな。それに、入手難易度の高いスキル……《ハイド》を持っている。それだけでも私は嬉しいんだ」
今までになく嬉しそうなの顔で話すクルーエル。
そんなクルーエルを見ても、エゼフィールは顔色を変えずに淡々と話した。
「確かにこのスキル……いえ、『隠の指輪』を入手するのは苦難だったわ。でも、そんなことはどうでもいいの」
この《ハイド》というスキルは、『隠の指輪』を装備することによって得られるスキルだが、装備を外せばそのスキルを失う仕組みになっている。
エゼフィールは、その味気ない指輪を見つめてからそう言うと、弓矢を構え戦闘態勢に入る。
クルーエルも会話をしながらも淡々と準備をしていたようで、ちゃっかりと本装備の大剣を握りしめていた。
「さぁ、『チーター殺しのクルーエル』の実力、見せてもらうわ!」
「望むところだ!」
真剣な顔付きで叫ぶエゼフィールに対し、楽しそうに叫ぶクルーエル。
エゼフィールは矢を強く引き、《チャージ》をし始める。
その光景を見たクルーエルは、《瞬速》を使い、エゼフィールとの距離を縮めた。遠距離攻撃型には接近戦で戦った方が有利になるからだ。
「残念だったな!」
クルーエルは、勝ち誇ったように大剣を振り下ろそうとした。
だが、エゼフィールは絶体絶命なはずなのに余裕の表情でそれを見つめている。
「それはこっちの台詞よ」
クルーエルは自分の攻撃が当たることを確信していた。が、振り下ろした瞬間、それをひょいと軽く避けられてしまう。
「……なっ!」
「パッシブスキル《見切り》。……そして」
エゼフィールは《見切り》が発動してから、すぐに《チャージ》でパワーを溜めた矢をクルーエルに向けて放つ。その矢は見事にクルーエルの急所を突き、大ダメージを与えた。
……戦闘開始からものの数分で、クルーエルはエゼフィールに敗北した。
あまりにも一瞬の出来事だったので、クルーエルは倒れ込んだまま動こうとしない。
「エゼは近接戦闘が得意な弓師なの。逆に間合いに入ってくれて手間が省けたわ。……でも、本物だと聞いていただけに残念だわ。やっぱり、偽者だったんじゃない。……なりすまし行為は迷惑よ」
そんなクルーエルの姿を見たエゼフィールは、上から睨み付けるように言葉を吐き捨て、《ハイド》を使いその場から消えていった―――。
***
「――――……それでその後、何も言わずにクルーエルさんどっか行っちゃうし……。私達も大変だったんですよ」
まだ落ち込んでいるクルーエルを気にしながら、初日は困り果てた顔で神様に説明し終える。
神様も口元を押さえ、どうしたものかと考え始める。
「……あの状態になったくーちんを元に戻すには、荒治療しかないかな」
神様はソフィアの箱を取りだし、誰かに連絡をとり始める。するとすぐに神様の近くから光が溢れ出て、そこにマサムネが現れた。
「勤務時間の変更とは、くーたんと一緒の勤務時間とは! やはり神様の考えはひと味違いますね! ……で、俺は何をすれば?」
「うん、くーちんにセクハラしてきてよ」
「……はい?」
「あの酷く落ち込んでいるくーちんに、あんなとこやこんなことをしてきてよ」
来て早々何を言われたかと耳を疑うマサムネだったが、神様の表情はそれを本気で言っていると物語っており、マサムネは「神様の頼みであれば!」と嬉しそうに返事をした。
初日が神様に説明をしている間も、ずっと木陰に隠れて暗い顔をしているクルーエルの元に、マサムネは悟られぬように近付いていく。
クルーエルに近付くにつれ、マサムネの鼓動は高鳴る。
鼓動の高鳴りが最高潮に達した時、マサムネの理性はどこかに飛んでいってしまい、無我夢中でクルーエルに飛びかかった。
「くーたん!」
ゆっくりながらも、愛しいクルーエルの大きな胸に近付いていく。マサムネにとってはその瞬間が夢のようであった。
だが、やはりそんなに甘いものでも無かった。
マサムネの気配に気付いたクルーエルは、冷たい表情でマサムネを見つめる。
……だが、マサムネの目には笑顔で出迎えてくれているように見えていた。
「結婚しよう!」
嬉しそうにするマサムネの指が、クルーエルの肌に触れた瞬間だった。
クルーエルが昨日手に入れたハリセンを持ち、手加減無用と言わんばかりの力でマサムネを叩く。そのハリセンはマサムネの整った顔にめり込むように当たり、そのままの勢いで広場の外まで飛んでいった。
そんな光景を見ていた初日は、苦笑しながら無邪気に笑う神様に話しかける。
「あれが荒治療……なんですかね?」
「うーん、失敗だったね。でも楽しかったから良しとしようじゃない!」
神様の言葉を聞いた初日は、苦笑してやり過ごすことしかできなかった。
「さてと、余興はこのぐらいにしておいてっと……」
「……って、今のは余興なんですか?!」
神様は、何事も無かったかのように笑いながら一言そう言うと、クルーエルの方に足を運ぶ。
でもその一言を聞き逃さなかった初日は、すかさず突っ込みを入れた。だがその突っ込みは無情にも無視されるという結果に終わる。
初日には、変態なマサムネでもこんな扱いばかりで、少し可哀想だと思えてしまう。
神様はクルーエルの近付くが、クルーエルはその気配を悟ってか膝に顔を埋めてしまう。
「また泣き虫くーちんになっちゃったの?」
「……うるさい」
今まで誰とも喋ろうとしなかったクルーエルが、神様には口を開く。
神様には顔を見られたくないのか、余計に膝に顔を埋めて喋るので、クルーエルの声はこもって聞こえた。
「君は相変わらずの負けず嫌いだね……。でもね、負けたのは必然だよ。だってさ、最近のくーちんは気が緩みすぎてて、昔の努力家なくーちんの面影すら感じないし」
神様がそう言っても、クルーエルは顔を上げようとしない。ただ、クルーエルが顔全体を隠すように組んでいる腕が少し力んだようには見えた。
クルーエルから返事も返ってくる様子もないので、神様は話を続ける。
「このままずっと落ち込んでるつもり? 悔しくないの?」
クルーエルの耳元に近付き厳しく、そして優しい言葉で神様が言うと、クルーエルはゆっくりと顔を上げる。
「……やしい」
「ん?」
「悔しい……」
顔を上げたクルーエルの目には、涙が今にも溢れそうな位溜まっていた。唇を噛みしめながら、クルーエルは大きな体を震わせて叫ぶ。
「だったら……だったら私はどうすればいいんだ!」
「だったら泣けばいいよ。泣いて泣いて、涙が涸れ果てるまで泣いたら、その後君らしく努力すればいいじゃない」
神様がそう言い終えると、クルーエルの瞳は涙で一杯になりついに溢れだした。神様の優しい笑顔を見ただけで、クルーエルの目からは止めどなく涙が零れてくる。
彼女にとって、こんなに悔しい想いをしたのは久しぶりだったのだろう。
いつもの凜とした態度で振る舞うクルーエルとは違い、大声を出して泣き叫ぶクルーエルのその姿は、そのラクナノにいた大衆の記憶に焼き付いた。
初日はクルーエルの泣き叫ぶ姿を見ると、黙ってソフィアの箱を出しログアウトのアイコンに触れた。