ルーターと物欲の無い少女【1】
クルーエルとマサムネが戦ってからはや一週間が経とうとしている。
何故かと言えば、かれこれ六日前に溯る。
その日、ログインしてきたのは初日だけ。
待ちにっていたクルーエルと神様は、初日の口から思いもしない話を耳にした。
初日の話によれば、月子はあと六日は来れないと言うのだ。
詳しい内容を聞くと、今度のテストで赤点を取ると外出とゲーム、共に禁止されてしまうのだとか。それをなんとか阻止する為に、初日が月子にみっちり指導するので、初日も六日間は来れない。
……と、そう言う話であった。
そればかりは仕方がない、学生の本分は学業だ。と、クルーエルと神様はそう言い聞かせ、共に仕事を淡々とこなした。
だが、嬉しいのやらなんとやら。
有名な動画サイトにて、クルーエルとマサムネの戦いがアップされたことにより、『GNOSIS』の知名度が飛躍的にアップし、このゲームを始める新規プレイヤーが増え始めた。
ゲーム人口が増えれば、バグやタイムラグ(ネット回線の混雑やサーバーの負荷により、MOBやキャラクターの動きがおかしくなること)と言ったクレームも増える。
……当然、チート行為に走る者達も増えた。
クルーエルや神様にとって、チーターが増えることも、新規プレイヤーが増えることも非常に嬉しかった。
でも、増えれば増えるほどに対応もままならなくなり、チーターも色々な場所でやり放題。
それも神様はシステムのメンテナンスやら、他のプログラマー達との会議、その他色々な仕事も併用しているため、ゲーム内の業務は全てクルーエル一人で補わなければならなかった。
この為、クルーエルの六日間は目まぐるしくも、あっという間に過ぎていった。
そのせいなのか、今日は初日と月子から連絡があるかもしれないというのに、ぐったりとしていた。
いつもならば服を選び、自分に見とれているはずなのに、今日の服装はやる気すら感じ取れない。
「……初日達は、本当に来れるのだろうか」
ラクナノのいつもの広場にて、今日のクルーエルは疲れ切った表情で呟く。
ただのゲームのアバターだというのに、疲れ切った表情ですら細かく表現されていた。
「この六日間はあっという間だった……」
大きな体のクルーエルは、青々と茂る芝生の上に仰向けに大の字で寝転ぶ。
クルーエルは大きく深呼吸をし、風の舞う大空を悠々と眺めていた。
「くーちゃんっ!」
そんな時間もすぐに終わってしまう。
クルーエルはその声と共に自分の視界に入る眼帯の男を見た瞬間、クルーエルは奇声を上げ強く拳を握りしめ男を殴り飛ばす。
クルーエルは息を上げ、勢いよく起き上がるとその男を見た。
眼帯をした男は喜びの表情で殴られた頬を擦り、機人でなければつかない効果音をたてながら歩いてくる。
「また業務時間を間違えてるではないか! マサムネ!」
「そんなことない。今日はちゃんと神様からお許しを得て来た」
クルーエルと話すのは、あの時確かに『GNOSIS』の世界から消え去ったマサムネだった。
マサムネは嬉しそうにクルーエルに話しかけるが、当のクルーエルは嫌悪感を露わにしている。
「全く、神様はマサムネの『永久アカウント停止』を解除してしまって、何を考えてるんだ。私が勝ったというのに……。私に何も得がないではないか」
「得があるって! ほら、俺がゲームマスターをこなす事によって、お前が楽できるじゃないか」
「こなしてるだけで、シフトの時間を平然と変えるじゃないか……! そしてこの五日間、殆ど私をストーカーしているだけではないか!」
クルーエルは目をつり上げ、マサムネを睨む。
と言うのも、クルーエルが疲れきっているのはゲームマスターとしての疲れもあるが、マサムネにストーカー行為をされ続けて精神的に疲れきっているというのもあった。
クルーエルは、マサムネにいつ襲われてもいいように身構える。
そんなクルーエルの顔は疲れた顔で殺気立っていて、綺麗に作られたアバターの顔も、何ともいえなく不細工に見えた。
「こういう時にこそ、スキンシップを謀るべきだよ、くーちゃん!」
「お前に『くーちゃん』などと呼ばれたくない! スキンシップすら謀りたくない! 近寄るな、変態め!」
二人のそんなやり取りも、初心者以外のプレイヤーは見慣れてしまったようで通り過ぎていく。
そんな中、光と共に神様が現れる。
「神、降臨! ……って、君達またやってるの?」
神様は、クルーエルが殺気立っていることもお構いなしに近付く。
クルーエルは神様が近付いてくると、大きな手で神様の胸ぐらを掴み発狂するように言葉を発した。
「君のお陰で、私がどれだけ苦労していると思っている! 何故こいつをゲームマスターにした!」
「落ち着いてよ、くーちん。ボクだって考えて採用しているんだし」
「これが落ち着いていられるものか! 毎日のようにストーカーされる身にもなってみろ!」
クルーエルは神様を掴んだ片手でひょいと持ち上げ、自分の顔の近くに神様を持ってくる。
神様は困り果てたような顔をして、クルーエルに説明を始めた。
「君と対等に渡り合えるマサムネ君に、ここのゲームマスターを是非ともやって欲しいって思ったから採用した訳で。だってさ、君以上のプレイヤースキルを持っている人間なんてそうはいないし、対等に渡り合える人材だって、探そうと思ったってなかなか探せないよ。だからこそ、この前は対等に戦ってもらったってのに……」
「ならば何故その趣旨を話さないのだ!」
クルーエルに問い詰められた神様は、とても無邪気に笑ってみせた。
「そりゃ、その方が面白そうだったからっ」
笑う神様が、舌を出し「てへっ」と言って見せる。
怒りを覚えたクルーエルは、思いっきり神様を殴る……妄想をしてしまった。
だがそんな妄想を振り払い、神様を地面にそっと下ろした。
「……真面目な話、私一人ではこの六日間はもたなかった……。それに求人をかけても、まともな奴が来なかったのも覚えている。……今回はこのゲームのためを思って、我慢しよう……。だがっ!」
クルーエルは渋々話していると、いきなり赤い瞳をギラリと光らせて人差し指を神様に向けた。
「初等教育は君の仕事だ! 新人の教育は、きちんとしてくれなくては困る!」
「はいはーい。……でもね、くーちんだって『先輩』なんだから、コツとか教えてあげなきゃ駄目なんだからね」
火花を散らしながら睨み合うクルーエルと神様。
そんな二人を見ながら、嫉妬に燃えている者が一人いる。
「神様! そんなに俺のくーちゃんと仲良くしないでくださいよー!」
マサムネはその火花散る視線の間に入り込み、嬉しそうにはしゃいでいた。
そんなタイミングのいい時だった。クルーエルのソフィアの箱から、一風変わった曲が流れてくる。
「お! 初日からだ!」
クルーエルは瞳を輝かせ、胸の谷間からソフィアの箱を急いで取り出した。手慣れた動きでメールのアイコンをタッチする。
「何々……。『今日は予定通り行きます……てか、もう来てます! 居ます!』……?」
「はいっ! 後ろに居ますよ!」
突然の声に、大きな体を震わせてクルーエルは驚く。
神様とマサムネはそれに気付いていたようで、にんまりと笑っていた。
クルーエルは後ろに振り向くと、そこには初日と月子が笑顔で立っていた。
疲れ果てて不細工になっていたクルーエルの顔も、いつもの凜々しい顔付きにみるみる変わる。
「ああ、よかった! イベントも明日までだから、もしかしたらと、心配していたんだぞ」
「ごめんなさぁい! 月子が頭悪くて……えへへ」
脇に自分の頭を抱えて、舌を出し「てへっ」っと月子は言う。
一瞬、その行動を見たクルーエルは、今さっきの神様を思い出して怒りがこみ上げてきた。
だが、そんなことを月子に当たっても仕方が無いと思い、そのまま飲み込んだ。
「初日にも皆さんにも、ご迷惑おかけしちゃいましたが……。何とか赤点は免れまして……」
「気にしてないから大丈夫だよっ」
恥ずかしそうに言う月子の肩をぽんっと叩き、神様は言った。
そんな中、初日はどこかで見覚えのある人物が居ることに気付く。
「あれっ、マサムネさんってBANされたんじゃないんですか?」
「ご覧の通り。神様の目に止まり、今では立派なゲームマスターに……」
「就業時間を守れない君が、立派とは言えないだろうが!」
初日に誇らしげに語るマサムネに、クルーエルは拳を握りしめ、彼の鳩尾に渾身の一撃を繰り出す。PVPにはなっていないものの、クルーエルがマサムネの痛覚機能をオンにしたのだろう。
マサムネは呻き声を上げながら、腹部を押さえる。だが、彼の表情はどことなく嬉しそうだった。
「……あの顔であれだと、なんか引くなぁ。私、なんでマサムネさんをかっこいいと思っちゃったんだろう……」
マサムネの姿をあきれ顔で見ながら、初日は呟くように言った。
あの瑠璃色で切れ長な瞳、よく手入れのされている青色の長髪を頭の天辺で縛り、そこからサラサラと髪の毛が肩胛骨の辺りまで伸びていて、肌も白く、唇も……。
マサムネのアバターのセンスがいいだけに、そんなことを考えてしまった初日は肩を落とす。
「募る話をしたいのもわかるけど、善は急げと言うし、早速イベントのダンジョンに行くよ! っとその前に……」
神様はソフィアの箱の『PT』と書かれたアイコンに触れると、小さなブローチのような物がいくつも神様の前に現れる。そのブローチを四つだけ手に取ると、すぐに他のブローチは消えてしまった。
そのブローチ一つ一つを、各自に手渡していく。
「早速だけど、それを着けておいてね」
クルーエル達は神様に言われるがまま、そのブローチをそれぞれの好きなところにつける。
月子は右脇腹の辺りに。初日は腰につけているポシェットに。マサムネは左胸に。クルーエルは右の太股に。
それぞれがつけ終わると、各自のソフィアの箱から「ピロリン」と音が鳴った。
『これでPTは組めたから、よろしくー』
初日は自分のソフィアの箱を眺めてから、神様を見る。
神様は口を動かさずに、そう喋ってくる。まるで、頭に神様の声が流れてくるようだった。
「ななな、何ですかこれ! 神様の声が……頭に響いてきます!」
「うん? 知らなかったのか?」
驚く初日はクルーエルがそう聞くと、激しく首を縦に振る。
辺りを見回してみるが、当然知らなかったのは初日だけだったようだった。
「今さっきのはシークレットボイスチャット……略して、SVCだよー。もしかして、知らなかったの?」
「……知らなかった、です」
「予習不足だぞ、初日! 気が抜けているではないか!」
顔を赤らめ、俯く初日に容赦なくクルーエルはそう言う。
その言葉の重みが、初日にはずっしりとのしかかる。
「うう……、すいません」
『因みに、頭の中で言葉を発する感じで喋るとこうなるんよぉ』
月子は頭を両手で持ち上げ、嬉しそうにくるくると回り出す。やはり、月子の口は動いていないが、頭の中に声が響く。
『このSVCだが、PTに入っているメンバーにしか聞こえない。PTメンバーが離れていても聞こえる、優れたボイスチャットだ』
『そうなんですねー……知りませんでした。これで話せているんですよね?』
クルーエルと初日の会話に割り込むかのように、マサムネがシークレットボイスチャットで話してくる。
『大丈夫だ、問題なく聞こえる。特にくーちゃんの声が脳内に響くと、なんとも心地よ――』
刹那、鼻の下を伸ばしながら目をつぶっているマサムネの鳩尾に、クルーエルがまた大きな拳で一撃を食らわす。
「うは……」
「さぁ、行こう。今度こそは行かないとな」
クルーエルは何事も無かったかのように歩き出す。
それに続き、マサムネを無視するかのように初日と月子も歩き出す。
「頑張れ、まーくん。負けるな、まーくんっ!」
明らかにこの状況を楽しんでいるとしか思えない神様は、腹を抱え苦しんでいるマサムネにねぎらいの言葉をかけ、笑いながら軽い足取りで三人の後に続く。
「絶対に、俺の嫁にしてやるぞ……くーちゃん!」
苦しそうな表情のマサムネは、子鹿のように立ち上がり、ゆっくりと確実に四人の後を追った。
……その後に続く、『小さな影』が居るとも知らずに。