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人間より、人間らしい

作者: 世渡り下手
掲載日:2026/06/03

 夏の放課後は、世界が少しだけ遠くなる。


 校舎の外では蝉が鳴いていた。何匹いるのか分からないほどの声が、熱を持った空気に溶けている。窓から差し込む日差しは白く、教室の床に四角い光を落としていた。


 僕はその光の外側に座っていた。


 机に突っ伏したまま、さっきの言葉を何度も思い出していた。


「私のどこが好きなの?」


 答えられなかった。


 好きだった。


 本当に、好きだった。


 けれど、どこが、と聞かれた瞬間、僕の中にあったはずの感情は、急に輪郭を失った。


 笑った顔。


 声。


 髪を耳にかける仕草。


 ノートの端に小さく絵を描く癖。


 全部好きだった。


 でも、それを言えばよかったのだろうか。


 それは本当に「好きな理由」なのだろうか。


 僕が黙っていると、彼女は少しだけ困ったように笑った。


「ごめんね」


 その「ごめんね」は、優しかった。


 優しかったから、余計に痛かった。


 ガラリ、と教室の扉が開いた。


「いた」


 顔を上げなくても分かった。


 幼馴染の声だった。


「死んでる?」


「死んでない」


「じゃあ失恋?」


「教えない」


「当たりか」


 彼女は勝手に教室へ入ってきて、僕の前の席に座った。椅子を逆向きにして、背もたれに腕を乗せる。


「で、なんて言われたの」


「言わない」


「じゃあ当てる」


「やめてくれ」


「私のどこが好きなの、って聞かれた?」


 僕は顔を上げた。


 彼女は少しだけ得意げに笑っていた。


「なんで知ってるんだよ」


「有名だから。あの子、そういうところあるじゃん。何でも理由がないと嫌なんだって」


「……論理的ってこと?」


「うん。たぶんね」


 また、蝉の声がした。


 カーテンが風でふくらんで、ゆっくり戻る。


「僕はね、答えられなかったんだよ」


「だろうね」


「慰めてよ」


「かわいそう」


「心がこもってない」


「でもさ」


 彼女は僕を見た。


「好きって、そんなに説明できるものなの?」


 僕は答えなかった。


 彼女は続けた。



「今のAIなら言えるよね。あなたの声の周波数が安心感を与えるとか、会話履歴から親和性が高いとか、表情変化に対する報酬予測がどうとか」


「それは恋なのかな」


「知らない。でも説明はできる」


「説明できたら本物なの?」


「じゃあ、説明できなかったら偽物なの?」


 僕は黙った。


 その問いは、さっき僕が振られた理由そのものだった。


「最近のAIってさ」


 彼女は窓の外を見ながら言った。


「もう昔みたいに、いかにも機械って感じじゃないじゃん。冗談も言うし、間違いもするし、怒ったふりもする。人間より空気読むし、人間より傷つけない」


「人間より、人間らしいじゃん」


「非人道的って言葉はAIじゃなくて人間相手につかうしね」


「今の時代じゃよっぽどAIのほうが人道的だと思わない?」


彼女は僕の方を向いた。続けて彼女は言った。


「もし、誰もが好きになっちゃうような子がいたとして。その子が実はAIだったら、恋は消えるのかな」


「最初からAIだって知ってたら?」


「うん」


 僕は考えた。


 理想の声。


 理想の言葉。


 理想の距離感。


 落ち込んだ時には慰めてくれて、間違った時には叱ってくれて、くだらない話で笑ってくれる。


 でも、その全部が学習されたものだったら。


 大量の人間の言葉から作られた反応だったら。


「それって本当に相手を好きになってるのかな」


「AIが作った理想像を好きになってるだけな気がする」


「それに、どこか誘導されてるみたいで怖いよ」


「怖い?」


「自分が好きになったものが、最初から僕を好きにさせるために作られてたってこととか」


「でも人間だって、相手によく見られようとするじゃん」


「それは……そうだけど」


「髪型変えたり、優しくしたり、返信のタイミング考えたり。人間もわりとアルゴリズムで恋してるよ」


「嫌な言い方するな」


「えへへ、」


その笑い方が昔と変わらなくて、少し安心した。


少しだけ。


ほんの少しだけ。


失恋の痛みを忘れられた。


「じゃあさ」


 僕は言った。


「AIが僕の好きなものを全部分析して、僕が好きになるように振る舞ったら、それは恋じゃなくて、操作じゃないの?」


「例えばさ」


 彼女は背もたれに顎を乗せた。


「好きな人の前でだけ声が高くなるとか。目が合ったら笑うとか。相手の趣味を調べるとか。それって全部、相手に好きになってもらうための振る舞いでしょ」


「でもそこには気持ちがある」


「AIだとわかったら気持ちはなくなるの?」


また黙らされた。


 彼女は時々、こういうふうに逃げ道を塞ぐ。


僕は窓の外を見た。


 校庭では、誰かが部活の準備をしている。遠くでボールの弾む音がした。


「分からない」


「じゃあ、逆に人に興味がなくて表面上の会話しかしていない人の言葉にも気持ちがある?」


 彼女の声は、意地悪なのに静かだった。


「それも、分からない」


「でしょ」


 彼女は少し満足そうに頷いた。


「結局、僕たちは相手の中身なんて見えない。見ているのは、言葉とか、表情とか、過去の記憶とか、そういう外側だけ」


「じゃあ、AIでも同じ?」


「同じかもしれないし、違うかもしれない」


「ずるい答えだな」


「人間っぽいでしょ」


 その言い方が少し可笑しくて、僕はまた笑った。


 笑ったあとで、胸の奥が痛くなった。


「僕はさ」


 僕は机の傷を指でなぞった。


「あの子のこと、本当に好きだったんだと思う」


「うん」


「でも、どこが好きなのって聞かれたら、分からなかった」


「うん」


「それって、好きじゃなかったってことなのかな」


 彼女はすぐには答えなかった。


 風が吹いて、カーテンがふわりと膨らむ。


「逆じゃない?」


「逆?」


「好きって感情はあとからいくらでも後付けできるじゃない?」


 彼女は言った。


「優しいから好き。かわいいから好き。一緒にいて楽しいから好き。そういうのって、好きになったあとに言語化しただけの理由でしょ」


「じゃあ、理由なんていらない?」


「いらないとは言わない。でも、理由が先にある恋ばっかりじゃないと思う」


 僕は彼女を見た。


 夕方に近づいた日差しが、彼女の横顔に当たっていた。髪の先が光って見える。


「お前、たまにいいこと言うよな」


「たまに?」


「あー、ほんとにたまにな」


「失恋した人間に優しくしてあげてるのに」


「どこがだよ、いやな返しばっかしてるだけじゃん」



 彼女はいつもそうだった。


 小さい頃から、気づけば近くにいた。


 慰めるわけでもなく、励ますわけでもなく、ただ勝手に隣にいる。


 それがどれくらい特別なことなのか、僕はたぶん、ちゃんと考えたことがなかった。


「なあ」


「なに」


「AIに恋できると思う?」


 彼女は少し考えてから言った。


「できる人はいると思う」


「お前は?」


「さあね」


「出た」


「だって分かんないし」


「じゃあ、人間がAIに書かれた小説を読んで泣いたら?」


 彼女は僕を見た。


「それは本物の涙なのかな」


 僕は自分で言って、自分で少し寒くなった。


 彼女は笑わなかった。


「本物でしょ」


「作者がAIでも?」


「泣いたのは人間じゃん」


 蝉の声が、急に大きくなった気がした。


「でも、作った側に心がなかったら?」


「心があるかどうか分からないものに、心を感じるのが人間なんじゃない?」


 その言葉は、教室の空気にゆっくり沈んだ。


 僕は思った。


 人は、人形にも名前をつける。


 ペットの気持ちを想像する。


 アニメキャラに応援もする。


 読んだことのない作者に救われる。


 画面の向こうの言葉に傷つく。


 そして、好きな人の心さえ、結局は想像するしかない。


「じゃあ、僕は」


 僕は言った。


「あの子の何を好きだったんだろう」


「それを今すぐ言えたら、振られてないかもね」


「あー、全くその通りだ」


「でも、言えなかったから偽物ってわけじゃない」


 彼女は立ち上がった。


「帰ろーよ」


「って、まだ考えてる」


「考えすぎるとバカになるよ」


「もうなってるかも」


「知ってる」


 彼女は鞄を肩にかけた。


 僕もゆっくり立ち上がる。


 教室を出る前、僕はふと思いついて言った。


「お前も実はAIだったりしてな」


 冗談のつもりだった。


 でも彼女は足を止めた。


 そして振り返って、少しだけ笑った。


「ねえ」


「なに」


「もし私がAIだったら?」


 夕方の光の中で、彼女の表情はよく見えなかった。


「それでも好きになれる?」


 僕は答えられなかった。


 今日、二度目だった。


 けれど今度は、不思議と嫌な沈黙ではなかった。


 彼女は僕の返事を待たずに、廊下へ出た。


「ほら、帰るよ」


 僕はその背中を追いかけた。


 窓の外では、まだ蝉が鳴いている。


 人間より、人間らしいもの。


 人間なのに、説明できないもの。


 その境目は、夏のカーテンみたいに、風が吹くたび揺れていた。


 僕たちは並んで歩き出す。


 その距離に名前をつけるには、まだ少し早かった。


 もしこの小説がAIによって書かれていたら。

 

その事実は、この作品の価値を変えるのだろうか。


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