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校正者のざれごとシリーズ

校正者のざれごと――洗濯機の中の宇宙

作者: 小山らいか
掲載日:2026/03/20

 私は、フリーランスの校正者をしている。

 ある朝、その悲劇は起きた。

「え……」

 洗濯機のフタを開けると、細かくて白いものが一面に広がっていた。これは……やられた。ひどい絶望感。床に散らばらないように、そっと洗濯物を取り出す。それにしても、何でこんなにたくさん……。すると、洗濯槽の奥底から空になったポケットティッシュの袋が。1枚ではなく袋ごと、ね。やりやがったな、あいつ。

 犯人はもちろんわかっている。夫ではない。下の子も、ふだんティッシュなど持ち歩かない。私と同じように花粉症を持ち、いつも鼻をかんでいる――そう、上の子だ。

 洗濯機からカゴに移した洗濯物をベランダまで運ぶ。一つひとつはたきながら白いものを落としていく。なんて地道な作業。索引の校正よりやっかいだ。そして足もとに散らばったそれは吹雪のよう。いや、この時期なら桜の花びらか。はたまた、夜空の星か。なんてね。思わず笑いが込み上げてくる。完全にメンタルやられてるな。まったく、もう。

 根気のいる作業を何とか終わらせ、仕事に入る。今回担当するのは、女性に関するお金の本。出産、育児などに対する国や市町村の助成はひと昔前に比べてかなり充実してきている。2025年4月から始まった「妊婦のための支援給付」では、妊娠を届け出ると、1子につき計10万円が支給される。2022年4月からは不妊治療の保険適用の範囲が拡大され、人工授精、体外受精、顕微授精が保険適用となった。

 ここで、校正者として気になるポイントが一つ。

 人工授精、顕微授精が「授」の字を使うのに対し、体外受精は「受」の字を使う。実際、それぞれの文字をひらがなで打って変換すると、ソフトによっては自動的にこの字に変換される。なぜ、このような違いがあるのか。

「じゅせい」を大辞林(第二版)で引いてみる。

 

 受精……雌雄の配偶子が一つに結合すること

 授精……雌雄の配偶子を一つに結合させること


 つまり、人工的に受精を促す人工授精と顕微授精は「授精」の表記を使い、精子と卵子を取り出して受精させる体外受精は「受精」の表記を使っているのだ。 

「受」と「授」の使い分けをもう一つ。

「ノルウェー・ノーベル研究所は、ある団体にノーベル平和賞を贈った。受賞理由は……」

 ここでの「受賞理由」は授ける側からみたものなので「受賞」ではなく「授賞」とすべきだ。つい先日、担当した本でそんな指摘を入れた。余談だが、ノーベル賞の授賞式はスウェーデンのイメージが強いと思うが、全6部門のうちノーベル平和賞だけは創設当時からスウェーデンではなくノルウェーが選考することになっているそうだ。

 漢字の使い分けについてさらにもう一つ。「洗濯機」は「機」の文字を使うことに違和感はないが、「電話機」はどうだろう。「電話器」の表記もみかけるが、これはどのように使い分けているのか。

 光村図書出版教科書編集部のHPに、こんな記述があった。

 

 辞書を調べると、「器」と「機」の意味は、次のように示されています。

「器」……うつわ。いれもの。道具。

「機」……からくり。しかけ。組み立ててできた道具。

 こうしたことから、「器」は比較的単純な原理で変化を起こすもの、「機」は細かい細工を施して動くようにしたものと、意味の上から区別することができます。

 

 電話機については、昔のように単に音声を受信するものは「電話器」でよかったが、現在のようにさまざまな機能のついたものはむしろ「電話機」がふさわしいということだ。ちなみに電話機の付属品である「受話器」は「器」の字を使う。「扇風機」「掃除機」「洗濯機」は「機」だが、「消火器」「変圧器」「充電器」などは「器」を使う。「器」は小さいもの、「機」は大きいものという区別もあるようだが、使い分けはやはり難しい。

 午後、洗濯物をとりこむ。朝だいぶはたいたつもりだったが、やはりティッシュは完全には取りきれず残っている。とくに、下の子のお気に入りのモスグリーンのトレーナーと、上の子の黒いパーカーがひどい。そういえば「パーカー」は最近「フーディー」などと言われているようだが、どんな違いがあるんだろう。気になって調べてみる。パーカーはイヌイットの防寒服が起源で、本来はアウターをさすという。Parkaという綴りから「パーカ」とも表記される。フーディーはフードがついたスウェットなど、つまり日常着を意味する。そしてこれは英語圏の区別で、日本では同じような意味に使われているようだ。 

 帰ってきた下の子に、トレーナーを見せて説明する。彼はいつも被害者なのだ。「これ、お兄ちゃんがね……」すると、下の子は照れくさそうにひとこと。

「ごめん。それ俺だわ」

 は? 上の子だと思ってさんざん怒っていたのに……。もはや、怒る気力もなく。

 上の子にも説明する。「これ、弟がね……」黒いパーカーは鏤められた白がまるで星空のよう。「ああ、あいつやったのね」涼しい顔。兄は意外と寛大だ。明日、洗い直しかな。


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― 新着の感想 ―
成る程、この事が切っ掛けで、将来この子たちは『ティッシュと一緒に洗ってしまった洗濯物の紙くずを一瞬で取り除く魔法』を発明するんだな。 う~んっ、偉大な科学進化の一幕に立ち会ってしまった。 と言うのは…
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