第37話: 予選の緊張
ブリーフィングが終わった後、凪はピットエリアに戻った。
零がクロの最終チェックをしている。タイヤの空気圧、エンジンオイル、ブレーキパッド。すべてを確認し、問題がないことを確かめている。
「零、調子はどうだ?」
凪が聞くと、零は短く答えた。
「問題ない。完璧だ」
凪は頷いた。零の言葉を信じている。零が完璧だと言うなら、本当に完璧なのだ。
「もうすぐ予選が始まる」
零が言った。
「タイムトライアルで上位三十人に入らないと、本戦に出られない」
「わかってる」
凪は力強く答えた。
零は凪をまっすぐ見た。
「焦るな」
「丁寧に走れ」
「お前なら、通過できる」
凪は頷いた。
「……ああ、任せろ」
零は少しだけ笑った。
「行ってこい」
凪はクロに乗り込んだ。エンジンをかける。低く、力強い音。クロが目覚めた。
凪は深く息を吸った。
そして、予選エリアへと向かった。
予選エリアには、すでに多くの車が並んでいた。
二百人のドライバーが、三十の枠を争う。
凪は、その光景を見て少しだけ緊張した。
でも、怖くはない。
凪は、準備ができていた。
実況ブースから、小林誠のベテランらしい落ち着いた声が聞こえてくる。
「さあ、Cランク第二戦の予選が始まりました! 二百名のドライバーが、本戦出場権をかけて戦います!」
そして、もう一つの声。
柊美月の明るい声だ。
「今回のコースは山道サーキット、全長八キロメートル! 峠を模したテクニカルなコースです! タイトなコーナーが連続する難コースで、ドライバーの技術が試されますね!」
凪は少しだけ、美月の声に耳を傾けた。
美月は、レースが本当に好きなんだと思った。
その声には、情熱が溢れている。
予選が始まった。
一台ずつ、タイムトライアルを行う。
山道サーキット、全長八キロメートル。峠を模したコースで、コーナーが多い。直線は短く、テクニカルなコースだ。
凪は、自分の順番を待った。
前を走るドライバーたちのタイムが、次々と発表される。
「Cランク、山本翔太選手、四分二十三秒! 暫定一位!」
凪は息を呑んだ。速い。さすが元Bランクだ。
「Cランク、鈴木舞選手、四分三十一秒! 暫定三位!」
「Cランク、工藤陸選手、四分二十六秒! 暫定二位!」
「Cランク、佐々木葵選手、四分三十五秒! 暫定五位!」
みんな、速い。
凪は深く息を吸った。
焦るな。
零の言葉を思い出す。
丁寧に走れ。
お前なら、できる。
「Cランク、星野凪選手、スタート準備!」
アナウンスが響く。
凪はクロをスタートラインに停めた。
エンジンが唸る。
クロが、走りたがっている。
「行くぞ、クロ」
凪は呟いた。
「一緒に、予選を通過しよう」
信号が赤から黄色に変わる。
そして、緑に。
凪はアクセルを踏んだ。
クロが走り出す。
タイヤが路面を掴み、車体が前に飛び出す。
最初の直線。
凪はアクセルを全開にした。
エンジンが咆哮を上げる。速度計が、80km/hを超える。100km/h、120km/h。直線が短いため、これ以上は出せない。
最初のコーナーが近づく。
凪はブレーキを踏んだ。
タイヤが鳴く。車体が減速する。80km/hまで落とす。
コーナーに入る。
ステアリングを切る。車体が傾く。
立ち上がり。
グリップが戻るのを感じる。
今だ。
アクセルを踏む。
クロが応える。
完璧だ。
凪は笑った。
「いいぞ、クロ!」
次のコーナー。
凪は丁寧に走った。
タイヤが滑るギリギリのラインを攻める。でも、コントロールを失わない。
クロが、凪の意思に応えてくれる。
峠のコーナーは、連続している。右、左、右、ヘアピン。凪は一つ一つを丁寧に走った。
速度は、コーナーでは60km/hから90km/h。立ち上がりで100km/hまで加速する。短い直線では、120km/hから140km/hまで出せる場所もある。
でも、すぐに次のコーナーが来る。
凪は、ブレーキとアクセルを繰り返した。
零との特訓で学んだこと。
車と対話すること。
車の限界を理解すること。
その範囲内で、最速を目指すこと。
凪は、それをすべて出し切った。
三つ目のコーナー。
ヘアピンカーブ。
凪は思い切りブレーキを踏んだ。
120km/hから50km/hまで一気に落とす。
タイヤがロックする寸前まで踏む。
そして、ステアリングを切る。
車体が大きく傾く。
立ち上がり。
アクセルを踏む。
タイヤが少しだけ滑る。
でも、凪はコントロールを失わない。
「ありがとう、クロ!」
凪は叫んだ。
残りのコーナーも、すべて丁寧に走った。
峠の道は、予想以上に難しかった。路面が荒れている場所もあり、タイヤのグリップが不安定になる。
でも、凪は諦めなかった。
零との特訓で、何度もこういう道を走ってきた。
凪は、峠を知っている。
最後の直線。
凪はアクセルを全開にした。
クロが全力で走る。
エンジンが絶叫している。
速度計が140km/hを超える。150km/h。
タコメーターの針が、レッドゾーンに近づく。
でも、まだ大丈夫だ。
クロは、まだ走れる。
ゴールラインを越えた。
凪は、アクセルを緩めた。
クロが、ゆっくりと減速していく。
凪は深く息を吸った。
終わった。
あとは、タイムを待つだけだ。
凪はクロをピットエリアに戻した。
零が、クロの隣に立っている。
凪は車から降りた。
「どうだった?」
零が聞いた。
凪は少し考えてから、答えた。
「……完璧だった」
零は少しだけ笑った。
「そうか」
その時、アナウンスが響いた。
「Cランク、星野凪選手、四分三十四秒! 暫定四位!」
凪は目を見開いた。
四分三十四秒。
暫定四位。
予選通過ラインは、三十位。
凪は、余裕で通過した。
零が、凪の肩を叩いた。
「よくやった」
凪は嬉しかった。
「……ありがとう、師匠」
零は何も言わなかった。
ただ、クロのボンネットを軽く叩いた。
「頑張ったな、クロ」
凪は笑った。
零は、本当にクロに優しい。
実況ブースから、美月の声が聞こえてきた。
「星野凪選手、素晴らしい走りでした! 四分三十四秒、暫定四位! 前回の第一戦では三位でしたが、今回も好調ですね!」
小林誠が続ける。
「そうですね、柊さん。星野選手の走りは、非常に丁寧です。タイヤを労りながら、ギリギリのラインを攻めている。これは、相当な練習を積んだ証拠ですね」
「はい! 私も注目してます! 星野選手、本戦も楽しみです!」
凪は、少しだけ照れた。
美月が、自分の走りを褒めてくれている。
それが、嬉しかった。
予選が終わった後、凪はピットエリアで休憩していた。
本戦は、午後からだ。
まだ時間がある。
零が、缶コーヒーを二本持ってきた。
「飲め」
「ああ、ありがとう」
凪は缶コーヒーを受け取った。
二人は並んで、缶コーヒーを飲んだ。
「零」
「何だ」
「俺、本戦で勝てるか?」
零は少し考えてから、答えた。
「勝てる」
凪は零を見た。
零は続けた。
「お前は、この二週間ですごく成長した」
「峠で走り込んで、車との対話を学んだ」
「山本とも走って、限界を攻めることを学んだ」
「だから、お前なら勝てる」
凪は胸が熱くなった。
零の言葉が、嬉しかった。
「……ありがとう、師匠」
零は少しだけ笑った。
「礼はいらねえ」
「お前が頑張ったからだ」
凪は頷いた。
そして、もう一度缶コーヒーを飲んだ。
本戦が、もうすぐ始まる。
凪は、準備ができていた。
クロと一緒に。
零と一緒に。
橘家族と一緒に。
そして、応援してくれるみんなと一緒に。
凪は、もうひとりじゃない。
凪は、みんなのために走る。
みんなのために、勝つ。




