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第30話: 峠の教え

朝六時。空が、まだ薄暗い。工房の前に、二台の車が並んでいた。クロと、零の黒いフェアレディZ。Z34型。流れるようなボディライン。鋭いヘッドライト。クロとは、格が違う。


「行くぞ」


零が、Zに乗り込んだ。エンジンをかける。


「ブォォォン」


V6エンジンの重低音。力強い。クロとは、全然違う音だ。俺も、クロに乗り込む。エンジンをかける。


「ブォォン」


直列四気筒の高い音。軽い。でも、これが俺の相棒の音だ。


「凪、ついて来い」


零の声が、ヘッドセットから聞こえた。


「…わかった」


二台で、工房を出る。早朝の道路。車は少ない。静かだ。零のZが、前を走る。俺は、その後ろを追う。


都心を抜けて、郊外に向かう。段々と、建物が減っていく。緑が増えていく。山が見えてくる。空が、少しずつ明るくなってくる。朝日が、山の向こうから昇り始めた。


一時間ほど走って、山道に入った。道幅が狭くなる。カーブが増える。勾配が急になる。零のZが、スムーズに曲がっていく。無駄がない。でも、速度は控えめだ。俺に合わせてくれてる。


さらに三十分ほど走ると、開けた場所に出た。峠の頂上近く。広い駐車スペースがある。そこに、零が車を停めた。俺も、横に停める。エンジンを切る。


車から降りる。冷たい空気が、肺に入ってくる。山の空気だ。清々しい。周りを見渡す。緑の山々。遠くに、街が小さく見える。空が、青く広がってる。


「…綺麗だな」


思わず呟いた。零が、横に来た。


「ああ。ここは、いい場所だ」


零が、遠くを見つめた。


「俺は、二十年前、ここで走ってた」


「……」


「あの頃は、若かった」


零の声が、静かに響く。風が、吹いている。木々が、揺れている。


「ここは、峠の中でも特別だ」


零が、道路を指差した。


「全長十二キロ。標高差八百メートル。コーナーは、三十以上ある」


「……」


「路面は荒い。ガードレールがない場所もある。一歩間違えたら、死ぬ」


零の目が、鋭い。


「首都高とは、全然違う」


「…わかってます」


「そうか」


零が、俺を見た。


「じゃあ、走るぞ。俺が先導する。ついて来い」


「…はい」


零が、Zに乗り込んだ。俺も、クロに乗り込む。エンジンをかける。零のZが、先に動き出す。俺も、続く。


峠を下り始める。最初のコーナー。右カーブ。零のZが、完璧なラインで曲がっていく。アウトからインへ、そしてまたアウトへ。無駄がない。美しい。でも、速度は速すぎない。俺が見て学べる速度だ。


俺も、同じラインを通ろうとする。でも、上手くいかない。少しインに寄りすぎた。タイヤが、少し滑る。


「…っ」


ハンドルを切り戻す。立て直す。次のコーナー。左カーブ。零のZが、また完璧に曲がっていく。速度を落とさずに、スムーズに抜けていく。でも、俺を置いていかない速度だ。


俺も、続く。でも、ブレーキのタイミングが遅れる。速度が落ちきらない。カーブに突っ込む。タイヤが鳴く。


「ギャアアッ!」


カウンターステアを当てる。何とか曲がりきる。でも、ラインが乱れた。


「凪」


ヘッドセットから、零の声。


「焦るな。峠は、首都高と違う。一つ一つのコーナーに、個性がある」


「…はい」


「路面を読め。タイヤで感じろ」


零の声が、耳に響く。次のコーナー。今度は、落ち着いて入る。ブレーキを早めに踏む。速度を落とす。ステアリングを切る。タイヤが、路面を掴む感覚。この感じだ。


「いいぞ。その調子だ」


零の声。嬉しい。零のZが、俺のペースに合わせて走ってくれてる。速すぎず、遅すぎず。ちょうどいい速度で、お手本を見せてくれてる。


十分ほど走ったところで、零が車を停めた。路肩の広い場所。俺も、停める。エンジンを切る。車から降りる。


「どうだ」


零が、聞いた。


「…難しいです」


正直に答えた。


「首都高とは、全然違います。コーナーが読めない」


「当たり前だ」


零が、道路を見た。


「首都高は、整備されてる。路面が綺麗で、カーブも計算されてる。でも、峠は違う」


零が、俺を見た。


「峠は、自然の道だ。路面は荒い。カーブは不規則だ。一つ一つが、違う」


「……」


「だから、峠は難しい。でも、峠を制する者は、どこでも速い」


零の目が、真剣だ。


「次のレースは、山道サーキット。峠を模したコースだ」


「…はい」


「お前が、峠を走れるようになれば、次のレースで勝てる」


零が、俺の肩を叩いた。


「もう一回、走るぞ」


「…はい」


また車に乗り込む。エンジンをかける。零のZが、先に動き出す。俺も、続く。今度は、もっと落ち着いて走る。一つ一つのコーナーを、丁寧に攻める。路面を見る。タイヤで感じる。


少しずつ、コツが掴めてきた。ブレーキのタイミング。ステアリングの切り方。アクセルの踏み方。全部が、首都高とは違う。でも、少しずつわかってくる。


三周ほど走ったところで、後ろから車の音が聞こえた。速い。あっという間に近づいてくる。バックミラーで確認する。スープラだ。白いボディ。


「…!」


見覚えがある。あの車。山本翔太のスープラだ。去年Bランクから降格した、今年第一戦で一位を取った男。現在、Cランク暫定一位だ。


スープラが、俺に並んできた。窓が開いてる。山本が、手を上げた。挨拶だ。俺も、手を上げ返す。


スープラが、前に出る。そして、零のZに並ぶ。山本が、零に何か言ってるようだ。零も、頷いてる。しばらく並走して、スープラが前に出た。速い。でも、零のZは追いかけない。俺に合わせた速度のまま、走り続ける。


スープラが、どんどん先に行く。あっという間に、見えなくなった。


「凪」


零の声。


「…はい」


「今のが、山本翔太だ」


「…知ってます」


「あいつも、次のレースに向けて調整してる」


零の声が、低く響く。


「峠で調整してるってことは、本気だ」


「……」


「お前も、負けるな」


「…はい」


さらに走り続ける。零が、俺のペースに合わせて走ってくれる。一つ一つのコーナーを、丁寧に教えてくれる。


峠を下りきったところで、駐車スペースがあった。そこに、白いスープラが停まっていた。山本のスープラだ。ボンネットが開いてる。山本が、エンジンルームを覗き込んでる。


零が、その横に車を停めた。俺も、続く。エンジンを切る。車から降りる。


山本が、こっちを見た。


「おっ、さっきの」


山本が、笑顔で近づいてきた。


「星野凪、だよな。前回のレース、見てたぜ。いい走りだった」


「…ありがとうございます」


「俺は、山本翔太。まあ、知ってるだろうけど」


山本が、手を差し出してきた。握手を求めてる。


「…はい」


手を握る。山本の手、大きい。力強い。


山本が、零を見た。


「そちらは?」


「…師匠です」


俺が答えた。零が、小さく頷いた。


「神崎だ」


「神崎さん、ですか」


山本が、少し考える顔をした。


「…どこかで聞いたことがあるような」


零は、何も言わない。ただ、黙って山本を見てる。


「まあ、いいか」


山本が、笑った。


「お二人も、次のレースに向けて調整中?」


「…はい」


「そっか。俺もだ」


山本が、スープラのボンネットを叩いた。


「峠は、車の調整に最適だからな。路面が荒いから、サスペンションの動きがよくわかる」


「……」


「星野も、峠で走り込んでるのか?」


「…今日が、初めてです」


「そっか。なら、頑張れよ」


山本が、俺の肩を叩いた。


「峠は、難しいけど、楽しいぜ」


山本が、零を見た。


「神崎さん、いい弟子を持ちましたね」


零が、小さく笑った。


「…ああ」


「次のレースで、また会おう」


山本が、スープラのボンネットを閉めた。


「じゃあ、俺はもう一本走ってくる」


山本が、スープラに乗り込んだ。エンジンをかける。


「ブォォォン!」


力強い音。スープラが、走り去っていった。あっという間に、見えなくなった。速い。


「…速いですね」


俺が呟いた。


「ああ。あれが、Bランクから降格した実力だ」


零が、遠くを見た。


「でも、お前なら追いつける」


「…本当ですか」


「ああ」


零が、俺を見た。


「お前には、才能がある。あとは、経験だけだ」


零が、Zに乗り込んだ。


「さあ、もう一周走るぞ」


「…はい」


クロに乗り込む。エンジンをかける。二台で、また峠を登り始める。零が、また俺のペースに合わせて走ってくれる。丁寧に、一つ一つ教えてくれる。


この人は、本当はもっと速く走れるはずだ。でも、俺のために、手を抜いて走ってくれてる。俺が学べるように、ちょうどいい速度で、お手本を見せてくれてる。


「…ありがとう」


小さく呟いた。ステアリングを握る手に、力が入る。零の期待に、応えたい。もっと、上手くなりたい。


峠を登りきったところで、零が車を停めた。頂上の駐車スペース。車から降りる。息が、荒い。疲れた。でも、いい疲れだ。


「今日は、これで終わりだ」


零が、言った。


「…はい」


「明日も、来るぞ」


「…はい」


「次のレースまで、毎日走る」


零の目が、鋭い。


「峠を、お前の庭にしろ」


「…はい」


零が、Zに乗り込んだ。


「帰るぞ」


「…はい」


クロに乗り込む。エンジンをかける。二台で、峠を下り始める。今度は、ゆっくりと。急がない。景色を見ながら、走る。


峠の景色。緑の山々。青い空。遠くに見える街。全部が、綺麗だ。この景色を見ながら走るのは、気持ちいい。


「凪」


ヘッドセットから、零の声。


「…何ですか」


「峠は、いいだろ」


「…はい」


「ここで走ると、色んなことを忘れられる」


零の声が、静かだ。


「俺は、昔、ここで何度も走った」


「……」


「楽しかった。ただ、走るのが楽しかった」


零が、小さく笑った気がした。


「お前も、そうだろ」


「…はい」


「なら、峠を好きになれ」


零の言葉が、胸に響いた。


家に帰る頃には、夕方になっていた。一日中、峠で走った。疲れた。でも、充実してた。


工房に戻って、クロを停める。エンジンを切る。車から降りる。クロのボンネットに手を置く。まだ、温かい。


「今日、ありがとう」


小さく呟いた。零が、Zから降りてきた。


「お疲れ」


「…お疲れ様でした」


零が、クロを見た。


「今日の走り、悪くなかった」


「…ありがとうございます」


「でも、まだまだだ」


零の目が、鋭い。


「明日も、頑張れ」


「…はい」


零が、工房に入っていった。俺も、クロを工房に入れる。今日の走り、思い出す。山本の速さ。零の丁寧な指導。峠のコーナー。全部が、勉強になった。


「…もっと、速くなる」


小さく呟いた。次のレース。山道サーキット。峠を模したコース。そこで、二位以上を取る。80pt以上を獲得する。


「…やってやる」


小さく呟いて、工房を出た。

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