第29話: 街角の邂逅
一週間が、過ぎた。
工房で、朝から晩まで修理をした。オイルを抜いて、エンジンを開けて、ピストンリングを確認して、交換して、組み直して、調整した。零が、黙々と作業する。俺も、黙々と手を動かす。
「ここ、締めろ」
「…はい」
「次、オイルを入れる」
「…はい」
会話は、最小限。でも、それでよかった。余計なことを考えずに、ただ車と向き合う。クロと向き合う。
一週間後。修理が終わった。
「エンジンをかけろ」
零が、言った。
「…はい」
キーを回す。エンジンがかかる。
「ブォォォン」
いつもの音。力強い音。エンジンが、唸る。不安定さは、ない。完璧だ。
「…よし」
零が、小さく頷いた。
「直った」
「…ありがとうございます」
「礼はいらねえ。お前も、手伝ったんだ」
零が、クロのボンネットを閉めた。
「今日、テスト走行しろ」
「…テスト?」
「ああ。修理後は、必ずテストする。エンジンの調子、ブレーキの効き、全部確認しろ」
零の目が、鋭い。
「首都高を走れ。いつものルートだ」
「…わかりました」
「無理するな。テストだ。レースじゃねえ」
「…はい」
零が、工房を出ていった。
一人になる。クロを見る。ボンネット。ドア。タイヤ。全部が、いつも通り。でも、何かが違う。大事にしなきゃいけない。そう思えるようになった。
「…行くぞ」
小さく呟いて、クロに乗り込んだ。
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首都高。夜八時。平日だから、車は少ない。でも、ゼロじゃない。クロを走らせる。速度は控えめ。120km/h。いつもなら、もっと出す。でも、今日はテストだ。
「ブォォォン」
エンジンの音。いつも通り。力強い。でも、無理はさせない。アクセルを踏み込みすぎない。ブレーキを試す。効く。問題ない。コーナーを曲がる。タイヤが、しっかり路面を掴む。
「…いい」
小さく呟いた。クロは、直った。完璧に直った。
首都高を走る。風が、車体を撫でる。夜景が、流れていく。東京の光。いつもの景色。でも、今日は違う。クロを、大事に走らせてる。
その時、後ろからヘッドライトが近づいてきた。速い。あっという間に距離が縮まる。車種を確認する。RX-7。赤いボディ。
「…葵」
呟いた。佐々木葵のRX-7だ。間違いない。
葵が、横に並んできた。窓を開けてる。俺も、窓を開ける。
「星野!」
葵の声が、風に乗って聞こえた。
「…何だ」
「久しぶり! 走ってるね!」
「…テスト走行だ」
「私も! 次のレースに向けて、調整中!」
葵が、笑ってる。楽しそうだ。
「少し、一緒に走らない?」
「…レースじゃないぞ」
「わかってる! 練習! お互いの走りを見るの!」
葵の目が、キラキラしてる。
「…わかった」
「じゃあ、行くよ!」
葵が、加速した。RX-7が、前に出る。速度が上がる。140km/h。俺も、アクセルを踏む。クロが、加速する。追いかける。
「ブォォォン」
エンジンが、唸る。でも、無理はしない。零の言葉を思い出す。テストだ。レースじゃない。
葵のRX-7を追う。距離を保つ。葵の走り、見える。ライン取りが完璧だ。無駄がない。コーナーで、全く膨らまない。美しい。
コーナー。葵が、完璧なラインで曲がる。俺も、同じラインを通る。ステアリングを切る。車が、素直に曲がる。タイヤが、路面を掴む。
「…いい」
小さく呟いた。クロの調子、いい。完璧だ。
しばらく走って、葵がパーキングエリアに入った。俺も、続く。二台並んで停める。エンジンを切る。
車から降りる。葵も、降りてくる。
「お疲れ様」
葵が、笑顔で言った。
「…ああ」
「星野、前より丁寧に走ってるね」
「…!」
葵の言葉に、驚いた。
「わかるのか」
「わかるよ。前は、もっと攻めてた。でも、今日は違う。車を労ってる」
葵が、クロを見た。
「何かあったの?」
「…前回のレースで、エンジンを壊しかけた」
「そっか」
葵が、小さく頷いた。
「師匠に、怒られた」
「そりゃ、怒られるよ」
葵が、笑った。
「でも、それでいいんだよ」
「…何が」
「車の声を、聞くようになったってこと」
葵が、クロのボンネットに手を置いた。
「車は、道具じゃない。相棒だから」
「……」
葵の言葉が、胸に響く。零と、同じことを言ってる。
「私も、昔は同じだった」
葵が、遠くを見た。
「もっと速く、もっと速くって。車を壊しかけたこと、何度もある」
「……」
「でも、ある時気づいたの。車を壊したら、何もかも終わりだって」
葵が、俺を見た。
「それからは、車の声を聞くようになった。そしたら、もっと速く走れるようになった」
「…矛盾してないか」
「してないよ」
葵が、笑った。
「車を労ることと、速く走ることは、矛盾しない。むしろ、車を労るから、速く走れる」
「……」
「車が、全力を出してくれるから」
葵の言葉が、心に染み込む。
「星野、お前ならわかると思う」
「…ああ」
「次のレースも、頑張ろうね」
葵が、手を差し出してきた。
「…ああ」
手を握る。葵の手、小さい。でも、強い。
「じゃあ、私はこれで」
葵が、RX-7に乗り込んだ。エンジンをかける。
「キィィィン」
ロータリーエンジンの高い音。RX-7が、走り去っていった。
その背中を見送って、俺も車に乗り込んだ。
「…葵」
小さく呟いた。
「ライバルって、ああいうものか」
零の言葉を思い出す。
「ライバルは、敵じゃねえ。一緒に高め合う仲間だ」
零が、前に言った言葉。その意味が、少しわかった気がした。
家に帰る。工房に戻ると、零が待っていた。
「…お帰り」
「ただいま」
「テスト、どうだった」
「…完璧です。エンジン、問題ありません」
「そうか」
零が、小さく頷いた。
「それと、葵に会いました」
「佐々木か」
「…はい。一緒に走りました」
「そうか」
零が、クロを見た。
「あいつも、いいドライバーだ」
「…はい」
「お前と同じで、車を大事にしてる」
零が、俺を見た。
「ライバルは、敵じゃねえ。一緒に高め合う仲間だ」
「…零が、前に言った言葉ですね」
「ああ」
零が、小さく笑った。
「お前、少しずつわかってきたな」
「…はい」
零が、ホワイトボードを見た。
**年間獲得ポイント: 60pt**
**年間目標: 2800pt**
**達成率: 2.1%**
**次回レース: 2月10日**
**目標: 80pt以上(2位以上)**
「次のレースは、二月十日。あと二週間だ」
零の声が、低く響く。
「準備を始めるぞ」
「…はい」
零が、地図を広げた。
「次のコースは、山道サーキット。峠だ」
「…峠」
「ああ。首都高とは、全然違う。コーナーが連続する。アップダウンがある。路面が荒い」
零の目が、鋭い。
「お前の技術が、試される」
「…わかりました」
「明日から、山道で特訓だ」
零が、地図を指差した。
「この峠で、走り込む」
「…はい」
零が、俺の肩を叩いた。
「次は、二位を取る」
「…はい」
「お前なら、できる」
その言葉が、背中を押した。
部屋に戻って、ベッドに横になる。今日、葵と走った。そして、葵の言葉を聞いた。車を労ることと、速く走ることは、矛盾しない。
「…そうか」
小さく呟いた。次のレース。山道。峠。新しい挑戦。でも、大丈夫だ。クロがいる。零がいる。そして、葵みたいなライバルがいる。
「…行けるな」
小さく呟いて、目を閉じた。




