57話 帰省する平凡 2
俺とウンディーネ様の雑談の最中、ラインは終始緊張した面持ちを浮かべていて、若干可哀想な状況だったように思う。
だがせっかくウンディーネの方から接しやすい雰囲気を見せてくれているのだから、今後の意識改善の良い機会になったとのではないかとも思う。
「──ウンディーネ様、楽しかったです。そろそろこの辺りで……」
「そ~お? 後百日ぐらいはお喋り出来そうなのに〜」
「いやぁ、それはちょっと……」
さすが理外の存在といったところだ。どうやら尺度が唯の人間の俺とは桁違いのようだ。
「ラインちゃんも、今後はここに来た時にはお喋りしましょう? 他のエルフちゃん達にも伝えておいて〜」
「はっ! ウンディーネ様の御言葉、必ずや村の皆にもお伝えして参ります」
("お友達"にはまたまだ先が長そうだなぁ……いや、エルフ族は長命だから焦る事も無いのか──)
──木々の奥深くから上がる鳥類のものと思しき雄たけび。
そして同時に木が薙ぎ倒れる衝撃が響き渡る。
「「‼」」
「──な、なんだ!?」
俺達の視線の先で上がった突然の唸り声に場が張り詰める。
「ククッククッ……ギャアーーウッ‼」
唸り声の主、何かが俺達のいる泉の方に近付いてくる。
「この鳴き声……マズイ……」
「なんて大きい鳴き声だ……魔物でしょうけど、何か知っているんですか」
「ああ。あのニワトリに似た呼吸音、木をなぎ倒すほどの膂力……"コカトリス"だ」
以前この泉でイエロートルマリンを含んだ岩を収納した時の事だ。
神力を釘付けにしてしまう性質があるというその岩は『大きい鳥の魔物ちゃんが蹴って転がしてきた』とウンディーネ様が言っていた。
鳴き声や、まだ距離があるのにも関わらず伝わってくる得体の知れない迫力。その様子から納得だ。
とんでもない力を秘めた、今までで対峙してきた魔物の中で一番の強敵の予感が漂う。
「ヤマト、とにかく逃げるぞ。俺達二人だけではどうあっても勝てん」
「ラインさんはどういうものかご存知なんですね」
「奴はとにかく凶暴、その一言に尽きる」
「その圧倒的な脚力は硬い大岩をも易々と砕き、蛇の頭を備えた自由自在の尻尾は容赦無く獲物を嚙み砕く。それになんといっても石化ブレスが最大の厄介だ。もし直撃すればみるみるうちに身体が石化してしまう、凶悪無比なコカトリスの得意技だ」
「それは……」
「エルフ族にも石化されてしまいその命を落とした者も多い……」
知識として頭の隅にありはしたが、ラインの説明を聞きいざ目前に迫っていると思うと、唯々恐怖を覚える。
確かに俺とラインの二人ではどうあがいても勝算は無さそうだ。
頭に入れている魔物達の情報や経験から推測すると、無事に生き残る事を前提とするならブラックベア以上の魔物との戦闘では、盾役は必須だと思う。
戦闘下手の俺の基準では過大評価の部分もあるだろうが、中~遠距離主体のラインと、慣れないロングソードを装備し機敏に動く事も出来ない俺とのコンビでは、どちらにせよ厳しい。
「ククッククッ……クケッククッ‼」
「とにかく逃げるぞ! 今すぐ林に紛れて駆ければ逃げ切れるはずだ!」
「わかりました──ウンディーネ様、またお会いしましょう!」
「そうね、またお話しましょ~。元気でね~──って、あらら~?」
林へ駆け出そうとしたその瞬間。
泉に大きな陰りが覆い、巨大な何かが叫び声と共に飛来した。
「しまった! 跳躍してきただとッ⁉」
「距離はあったはずなのに一足飛びに……!」 「ホー! (テキ!)」
以前獣人村の調査の帰りに未知の緑翼と共に戦った巨大ブラックベアの体高を凌ぐ、およそ五メートルはあろうかという巨体。
ニワトリを巨大にしたような風体に、濃い青色をした蛇の頭を持つ長い尻尾、爪だけでも一メートルはあろうかという脚の鋭いかぎ爪。
コカトリスの大きさ──体躯自体もそうだが、その秘める戦闘力が周囲に迸っているかのような凄まじい威圧感を感じる。
「クケッ! クククッ! クケーーッ!」
『タベモノ アソビ ドウグ』
コカトリスの念が伝わってくる。
(こいつはヤバいな……今までも念は感じて来たけど、遊興の為に人間を襲おうとするやつは初めてだ)
「ラインさん──あいつ、俺達で遊ぶつもりみたいです」 「ホー! (テキ!)」
「だろうな。コカトリスは遊びで他の生き物をなぶる事でも知られている魔物だ。食べる為の狩りでない分質が悪い」
遠方から俺達を察知する感知力、五十メートルは離れていたはずの距離を一足飛びで迫る脚力。
対峙してしまった以上逃げ切る事は難しいだろう。
「……ヤマト、お前はリーフル様を連れて街へ逃げろ。俺が引き付けている間に少しでも走れ!」
「そんなっ!──出来ません! だったら俺も戦います!」
「お前はまだ病み上がりだ。さらに不慣れなロングソードではまともに戦えんだろう!」
「俺はライトニングが使える。俺一人なら魔法で怯ませている間に或いは逃げ延びられるかもしれん。安心しろ、みすみす喰われるつもりは無い。これでもドグ村一の勇士、逃げ切って見せるさ!」
(くっ……考えろ! ラインを置いて逃げる事は出来ない。リーフルの命が懸かっていようと、俺達だけ逃げるなんて、例え生き延びる事が出来たとしても……)
冒険者として生きる覚悟を決めている以上、命を張るタイミングは必ずやって来る。
ここで仲間を見捨てて逃げてしまっては、この先、この世界で、前を向いて生きていけない気がする。
「ねえねえヤマトちゃん。初めて会った時も『あらら~?』って思ったのだけど、あれって魔法じゃないわよね?」
今まさに強敵を目の前にしているというのにも関わらず、ウンディーネ様がいつもの間延びした口調で、要領を得ない事を問いかけてくる。
「えっと……」
どう返事をしていいものか答えに詰まってしまう。
「ヤマトちゃんって神力を使えるでしょ~? だったら……」
「クケケーーッッ!!」
コカトリスが息を大きく吸い込み頭をもたげ、胸部が膨らんでゆく。
「あの動作……! 避けろ‼ 石化ブレスだ‼」
ラインが予備動作に気付き注意の号令を発する。
「──もお~! お話の途中よ~。少し大人しくしてなさ~い!」
「クケッカッ……」
ウンディーネ様が指差す動作と同時に、コカトリスの頭部が突如空中に現れた水球に覆われた。
コカトリスは呼吸することが出来ず、脚をばたつかせながらもがいている。
「おおっ‼ あれはウンディーネ様の御業か!」
「ラインちゃんありがと~。それで、話の続きだけどね~、ヤマトちゃんの身体を少し借りてもいいかしら~?」
「えっと、どういう事でしょうか……」
「あの魔物ちゃんを懲らしめたいんでしょ~? ヤマトちゃんはお友達だから~、力を貸してあげるわ~」
「よくわかりませんが、あいつを倒せるのなら。よろしくお願いします」
「じゃあいくわよ~!」──
そう宣言したウンディーネ様の姿が突如光と変わり、俺の身体に溶け込んできた。
『聞こえるかしら~? ヤマトちゃん、その剣を抜いてみてくれる~?』
どういう理屈か分からないが、自分の身体の内からウンディーネ様の声が響いてくる。
(どうなって……いや、今は考えるより従った方が良い──)
「──わかりました」
現状を理解しようとする思考は後回しに、言われた通り剣を抜き放つ。
『その剣をシュッと振ってみて~。あ──あの魔物ちゃんを狙ってね~』
ウンディーネ様の指示に従いロングソードを構える。
そして言われるがまま見据えたコカトリスを真横に薙ぎ払うようにロングソードを振るう。
振るわれたロングソードから軌道上に水の軌跡のようなものが走る──。
その数秒後、水球で身動きの取れないままのコカトリスの巨体が上下真っ二つに分かれ落ちた。
「なぁッ……⁉ 何だ今のは……」
ラインが目の前で起きた光景が信じられないと言った様子で驚いている。
「ふぅ~……やっぱりね~、ヤマトちゃんなら出来ると思ったわ~」
いつの間にか俺の身体から抜け出していたウンディーネ様がそう語っている。
「え⁉ 今のは……?」
「後で教えてあげるわ~。それより休憩しましょう? 久しぶりに力を使って疲れちゃったわ~」
「そ、そうですね。なんだか俺も急に疲労感に襲われてきました……」
「やはり精霊様の御力とは、なんと偉大なものか……」




