2話 猫と転移と
「今日もお利口に待っててくれたか?」
仕事を終え帰宅し、うさぎやデグー達に話しかける。
二十六歳。独身歴がそのまま年齢の、平凡なサラリーマンをやっている俺の唯一の楽しみは、自分のペット達と触れ合うことだ。
ケージの掃除、エサの補充、水替え等々に多少の煩わしさも覚えるが、可愛さの方が勝るので苦にはならない。
一番好きな動物は猫なので本心では猫が飼いたいのだが、家賃の事や通勤距離などを考慮すると、どうしても小動物までが許されたアパートにしか縁が無かったのだ。
実家にいた頃も両親が動物嫌いだったせいで、自分の部屋で飼えるハムスターやインコなどの小動物しか飼う事は許されなかった。
それでも長年猫と触れ合いたいという欲求が溜まっていた俺に、ある機会が訪れた。
会社の同僚で同期の女性社員。坂本さんに休憩の雑談時、とある相談を受けたのがきっかけだ。
「大和君、猫好きだったよね?」
「うん。愛くるしい見た目とは裏腹に気分屋なところが最高だよね」
「ならさ、今週の日曜日空いてる? 私の住んでる所の地域猫の活動、手伝ってみない?」
「地域猫の活動? そんなのあるんだ。どういう事するの?」
「具体的には、その地域の野良猫の種類とか数とかを調べたりエサをあげたり、不妊去勢手術をするために捕まえたり。色々ね~」
「要するに、野良のまま人間と共存できるように管理しようってことなのかな?」
「そうそう。で、今週欠員が出ちゃって。猫が好きななら大和君どうかなって」
「ふむ……」
「猫と触れ合えそうだし、やってみようかな」
「マジ⁉ じゃあ日曜日よろしくね!」
その一件をきっかけに地域猫活動にのめり込むようになった俺は、休みとなると精力的に参加し、猫と触れ合いたい欲求を満たす日々を送っていた。
とある地域猫活動中の昼下がり。近所の公園に新顔の野良が居るという情報を耳にした。
耳がカットされていないと言っていたので、恐らく不妊去勢手術が未然の個体だ。
早速情報のあった公園に赴き、動物病院へと連れるべく、滑り台の脇や茂みの裏の空間に捕獲機の設置をしていた。
捕獲機に自身の住所と氏名を記し準備をしていると、情報にあった特徴と一致する猫が公園の前、車道の反対側からこちらに渡り来る様子に気が付いた。
猫が道路を横断しようと駆け出した刹那、けたたましいクラクションを発しながらトラックが接近する。
「──ヤバいッ!」
飛び出した猫の顛末が頭を支配した瞬間。無意識に足が回りだし──
◇
「ここ……は……?」
身に覚えのない浮遊感と共に不思議な温もりを感じる。
足元は雲海のようなものに覆われていて、遠くにプラネタリウムのような星空が広がっている。
この世の理とは違う空間にいることを、本能が教えてくれる。
「やあ大和くん。さっきはありがとう! 助かったよ」
年の頃は十四、十五歳程に見える、古代ローマ人が纏っていたような白い服を着た少年。あるいは少女が話しかけてきた。
「えぇっと……君は?」
「そうだね、自己紹介をしよう。君が分かりやすいように言うなら、僕は神様ってとこかな」
「神様……? え……実在したんだ……」
先程自身の本能が告げた現状から、意外にもすんなりとその存在を信じられてしまう。
「正確に言えば"存在"はしない。アストラル体っていうのかな? つまり、この世の意識の集合体って感じだね」
「アストラル体? 集合……? 難しいな……」
言葉だけは聞き覚えのある単語だが、中身についてはさっぱりなので深く追及する気は起きない。
「まぁ僕の事は神様って思ってくれればいいよ。君は、大和希。二十六歳の日本人で、動物が好きな平凡な人……だよね?」
「はい、その通りです。私は何故ここに?」
「はは、急に丁寧な口調になったね。そう、君は選ばれたんだ。世界の意思に」
「神様らしいので一応恭しくするべきかな、と。それよりも、世界の意思……ってどういうことですか?」
「君はさっき猫を助けようとトラックに身を投げ出したよね? しかも君の意識とは関係無く」
「そうでしたね……ええ、自分でも驚きました」
「あの猫はね、この世界の意思の御使い。記録者ってとこかな」
(記録者……? またよく分からない単語が……)
「よっぽど動物の事が好きじゃないと出来ない献身だよ、それって。良い意味で平凡だし。だから君なんだ」
「んん……? まあ選ばれた理由については理解に努めます。それで、俺は何に選ばれたんですか?」
「君にはある惑星に転移してもらうんだ。今の君は、地球でトラックに轢かれて命を落としてしまう寸前。そこで時が止まってる」
「えッ……⁉ か、神様の力で助けていただくことは出来ないのでしょうか?」
「悪いけど無理。しちゃいけないんだ」
どこか恐怖すら覚える威厳を感じる表情でそう断言している。
(む……? 引っかかる物言いだな……でも聞いても答えてもらえそうな雰囲気じゃないよなぁ)
「そうなんですね……残念です……」
「──あっ……残された私のペット達はどうなるのでしょうか」
「ちょっと待ってね……フムフム」
神様らしい人物が目を閉じ額に指を当て、何やら集中した様子で沈黙している。
「──ああ。君の両親は動物があまり好きじゃないみたいだね。だったら会社の同僚の坂本って女性に、面倒を見てもらえるように僕が導いてあげるよ」
「えっ……そんな具体的な事が瞬時にお分かりになるんですね」
「神様だからね! 大体分かるよ~」
明るい声色で飄々とそう語っている。
自身のイメージする神様とは些か異なる人となりだが、高圧的な物腰よりは安心出来るので有難い。
「話を戻すけど、君には"レシレン"という名の惑星に転移してもらうよ。そして君に望むことは一つだけ。その惑星に変化をもたらして欲しいんだ」
曖昧な事を指示される時。その中身は面倒事と相場は決まっている。
俺は訝しげに神様を見つめる。
「はは、疑問はもっともだね。変化については特に意識しなくても起こると踏んで君を選んでるから、新しい人生を全うしてくれるだけで大丈夫」
「そうですか。じゃあ普通に暮らせばいいんですね」
「そうだよ~。それに御使いを助けてくれたお礼として、君には動物の加護を贈ろう。あ、アイテムBOXってスキルもあげちゃおっかな!」
「よくわかりませんが、頂けるのならありがたく頂戴します」
「なんせ向こうにありのままの君で転移しちゃったら、色々と厳しいと思うからね~。役に立つと思うよ」
なにか不穏な事を言っている気はするが、気にしたところで恐怖が増すだけだと自分に言い聞かせ押し黙る。
「加護やらスキルやらの事は、後で体験して把握してね」
「──それじゃ、転移始めちゃおっか!」
「えっと……疑問もまあ残りますが、ペット達をお願いできるということなので頑張りたいと思います」
「……またお会い出来ますか?」
「ん~……世界の意思について意識してれば、そのうち会えるかもね」
「──じゃ、元気でね~!」
体が透けていく──思わず目を瞑りたくなる程のまばゆい光が全身を包む。
視界がぼやけ意識を失う寸前。見えた神様の表情は俺を慈しむような笑顔で、とても印象的だった。