117話 圧倒の果て 6
日常生活にも増して栄養豊富なディナーの後は、思考の整理も兼ねてこの休憩所の要を眺め物思いにふけている。
どうやら話によると、この国の首都に座する王城の防衛を担う大規模な魔導具を縮小、転用したものらしいのだが、機械──魔法に因る仕組みが作用する道具などを観察したところで、俺に理解できるはずもない。
だがこの無骨なオブジェがサウド支部の偉大な歴史を顕わしていると思うと、不思議と誇らしい想いが胸に宿るのだ。
(ベルの感覚──予想ではフル・フルムーンはここ数日の内に起こるって話だ)
(全力を強いられる相手。情報量の乏しさ。それと環境……みんなここを経由してすら、活動時間や範囲共に限定せざるを得ないんだよな……)
(……強行軍なんて本来なら絶対に避けたいところだけど、でも恐らくその時はそう遠くないはずなんだ……)
今回の冒険で最大の拠り所であるボロウの小説。終盤その一節にこうある。
『 ──終ぞ念願はその姿を露に。
漆黒が儚き真の月を擁き出し脈動する。
そして生命の根源があまねく地を巡る刹那、
桃園の中心で反転す純白が僕を心底安堵させた。 』
そしてベルが教えてくれた、年に一度起こる極魔月という魔力に満ちた月が夜空に浮かぶ現象。
この二つの情報には類似点が多く、思い込みの可能性を考慮しても関連を見出す事に然程不自然さは無いだろう。
『儚き真の月』とは、恐らくフル・フルムーンの事を指している。
そして以降の記述を嚙み砕いて理解するなら、フル・フルムーンが地上へもたらす魔力の影響によって、ピンク色のミラスの花の一部が特別な純白のものへと変容し、その純白の花が病を治癒する効能を発揮する、といったところだ。
もちろんこの仮説は、あくまで小説の内容が事実に基づく前提だが、今更疑念を浮かべる余裕も無し。
小説の主人公と同じく継ぎ接ぐ先の希望を信じ、その刻に間に合うよう前進する事だけが、俺達に許されるたった一つの可能性だ。
「ま、なるようになる……どころか今回の指揮はヤマトだからねぇ。力任せの有象無象よりよっぽど堅実かね、はは」
食後のカップを傾け、ビビットがリラックスした様子で語っている。
「ん…………けどぉ、やっぱり一日は制圧に回さない?」 「ホ~」
リーフルとじゃれ合うベルが背越しに少しばつが悪そうに呟いている。
「なんだいベル。珍しく尻込みかい? ははっ」
「だ、だってこの先は……」
「……まあ分からないでもない。あんたのこれまでを考えりゃ、真剣に憂慮するような状況は初めてに近いんだろうしねえ」
「わ、悪かったわね」
「でも……もし選ぶなら。公益性って観点でもそうよ。個人的な想いを抜きにしても、比べるべくもない話」
「あなただって選ぶならこの二人でしょう」
ビビットを見据え真剣な瞳を向けている。
「……なあベル? あたしは、端から間に合うかどうかなんて考えちゃいないんだ」
「はあ~? どういうことよ」
「どんな結末が待っていようと最後まで付き合う。そう約束した」
「だからあたしは、ロングの意志に寄り添って、ヤマトの決断に従ってればいい。そしたら上手く運ぶ。きっと間に合うのさ」
「その根拠はあんたも分かってるはずさね。依頼完遂率百パーセント。サウド支部が誇る、抜群の安定を務める『平凡』の事は」
「…………」
「……すみませんベル。承知の上で尚、お願いさせてください」
「情けないっすけど、それでも、我儘言わせてほしいっす」
「あなた達……」
「ホ (イク) ホーホ! (ヤマト!)」
まるで発破をかけるように右翼でベルの腕を撫ぜ訴えかけている。
「リーフル…………」
「……ふ、ふんっ、まあいいわ。なら私もロングちゃんに倣って、信頼の証として受け止めてあげるわよ」
「ベル、ありがとうございます」 「ホホーホ(ナカマ)」
「ありがとうございます!」
珍しい事に、提案者は俺では無くベルなのだ。
夕食を摂りながらの話し合い。その中で、大木までのルートを一度念入りに調査、制圧し一度休憩所へと戻り、その後にミラスの花の捜索に取り掛かろうという段取りを提案された。
直接的に断言しないのは偏にベルの優しさなのだが、要するに俺達は足手まといなのだ。
完全に何の役にも立たない程の存在だと、自らを卑下した評価をしている訳では無い。
しかしベテラン二人にとって、余裕の計算出来ないサポートを伴う状況という事になると、それは即ち致命的な結果に繋がる確率が遥かに高まるのは当然のことだ。
まして団体行動や、真に失いたくないと想う仲間を連れた経験が少ない孤高のベルにとっては、多少及び腰な発想に至る経緯は自然なもので、慎重な選択を以て然るべき作戦だと俺も思う。
だが件の情報から、刻限迫り急を要するタイミングであることもまた事実なのだ。
二人には相当の負担を強いる綱渡り。それでも、間に合わせるには強行軍を選択するより他はない。
好調な機運──流れという漠然とした拠り所、それに今回手繰り寄せている予感や偶然、時の運などを鑑みると、その一拍は順調を否定し、流れを淀ませチャンスを遠退けてしまうような気がしている。
『平凡の予感を裏打ちするロングの強さ』などという虚構に縋り前進を続ける愚かしさ。
それを笑う事は、巨頭達の誠実な想いに泥を塗る卑しい行いであり、冒険者たる自身を否定する侮辱的な裏切りだと信じる。
「ふふ……しかしまあ、臆病風に吹かれるあんたを拝めるなんてねえ」
「それだけ自分達の事を想ってくれてるってことっすよね? ありがとうございます!」
「ふん、臆病者はどっちよ! アクセサリーの一つにビクビクしてる誰かさんにだけは言われたくないわね」
いつもの角を突き出すような雰囲気でロングの左腕に巻かれたブレスレットに視線を送っている。
「ちょ、ベルそれは──!」
(ん? ブレスレット?)
「──ああ、これの事っすか?」
ロングが腕を突き出しベルにアピールしている。
「そうそれぇ。なんだかんだ、ロングちゃんも隅に置けないんだから」
「くふふ……そうっす、これは大切な人から貰った、自分の一番の宝物っす!」
「た、大切な人……」
ビビットのか細い呟きが聞こえる。
「ほらねぇ。ロングちゃんって着飾るタイプじゃないでしょうに、そのブレスレットが妙に浮いて見えてたから疑問だったのよ。やっぱりね~」
「そうっす! ベルさんの言う通りアクセサリーには全然興味無かったっすけど、大好きな人といつでも一緒に居られるような感覚がして、とっても心強いんっすよね~!」
「大好きな人……」
見るからに影を纏ったような気配でうなだれている。
(ん……⁇ なんだ? さっきからビビットさんの様子が……)
(──ってあッ⁉ もしかしてマズい勘違いを生んでるんじゃないかこれ!)
今後の士気に関わる危ういすれ違いの可能性を察し、急ぎ異次元空間に手を伸ばす。
「──そ、そうだよなロング! 誓いの品って勇気貰えるよな~!」
お揃いのブレスレットを取り出し、俯くビビットの視線に差し込むように提示する。
「え? なんであんたも同じ物……?」
「ヤマトさん、口では剣の邪魔に──なんて言ってるっすっけど、自分にはちゃ~んと分かってるっす」
「自分達家族の証として、とっても大切なアクセサリーっすから、傷つけないようにアイテムBOXに仕舞ってるんすよね? くふふ!」
「ホーホ? (ヤマト) ホ」
リーフルが右足を上げアピールしている。
「ああ、うん」──
足輪状に仕立てられたリーフル用のものを取り出す。
「ホ!」
ブレスレットがはめられた足をベルに向けアピールしている。
「え、家族の証……? それじゃあそいつは、ステラからの贈り物じゃなくて……」
少し安堵した様子でビビットが呟いている。
「自分とリーフルちゃん、ヤマトさんとアメリアさん。四人でお揃いの家族の証なんす!」
「はあ? なによそれぇ……つまんないオチね」
あきれ顔を浮かべリーフルの足をつついている。
(ふぅ……危ないところだった……)
(でもまあ、普段は装飾品なんて身に着けない男がいつの間にやらだもんなぁ。そういう勘繰りになっちゃうのも仕方ない──というかロングの言い回しに非があるよな、うん)
快活な笑顔を浮かべるロングと若干の湿りが滲む己の手のひらを見比べ、複雑な想いが浮かび上がる。
「はい、ごめんなさいっすベルさん。羨ましく想う気持ちはよ~っく分かるっすけど、こればっかりは自分達だけの特別なんであげることは出来ないんっす」
瞳を閉じ、しみじみとブレスレットをさすりながら誇らしげにそう語っている。
「う、羨ましいなんて言ってないわよ!」
「ちょっとビビットをからかってやろうと思っただけなのに何で私に……」
僅かに聞こえる呟きは不満の声色だ。
「ビビットさん。俺の知る限りでは会う時間すら設けて無さそうなので、今のところは心配ないですよ」
ロングに悟られぬようビビットに耳打ちする。
「あ、ああ……」
強張っていた肩が元の位置に下がっている。どうにか誤解を解くことが出来て一安心といったところだ。
しかし公私を問わず何かと他人の恋愛模様に携わる機会が多いこの二度目の人生は、何かの皮肉の類なのだろうか。
そうは言っても強く望んでいる訳でも、完全に諦めている訳でも無い心持ちである以上、恨み言を呟く資格は無いだろうが、触発され思考が引っ張られというのは実に凡庸な俺らしい。
それに明日を控え平常心に努めるべき今晩だ。この瞬間ぐらいは取り留めも無い、これぐらいの塩梅が丁度いいだろう。
きっとみんなも似たような温度感でこのまどろみを楽しんでいる。
この心地のままサウドの栄光地に身を委ね、今日はぐっすりと眠ろう。
◇
うつろな意識に段々と明確になる金属や衣が擦れる生活音。
目を覚ました直後は何をさておき周囲の状況や皆の様子を確認し装備に手を伸ばす。
遠征の経験が少ない俺にとっては慣れない多少のストレスではあるが、先人の教えをないがしろにしていい理由にはならない。
朝食にはリーフルンとニンニクのスープを。気分を爽快にリフレッシュできる洗顔用の水の準備も抜かりなく。
そして毎度のことながら、これらの快適性を実現してくれるアイテムBOXを授けてくれた神様に感謝を。
いつも通り。さして街と変わらないモーニングルーティンをこなした俺達だが、今朝に限っては得も言われぬ緊張感も付随していた。
だがそれはそうだろうという当たり前の感想が浮かぶ。
今接したばかりの領域の現実味を以て、それはごく自然なことだったのだろう。
「これ、魔力の影響ですよね。この肌のヒリつき……想像してたよりもずっと恐ろしいですね……」
「ホッ……(テキ)」
リーフルが羽根を膨らませている。そして肩に感じる爪の感触も幾分鋭い。
「なんだか身体がいつもより重たい気がするっす……」
「ああ。相変わらず気持ちのいいもんじゃないねぇ」
表情こそ普段の温和な女性のそれではあるが、肩を一回しさせ、漂う雰囲気に遊びが感じられない。
「私にとっては有利に働くけれど、不快なことに異論はないわね~」
まるで紙の地図上に筆で明確な線引きをしたように、目に見えて、感触も同じく理解できる異質さ。
各々の感想から察するに、俺が感じる影響が軽度なのは、恐らく魔力が一切無い体質からなるものなのだろう。
教わった事をイメージとして言えば、この世界に満ちる魔力は潮のように流動し、その地域に存在する生物の数に反比例した濃淡を示すのだという。
これから挑む深域とは、言わば食物連鎖の上澄み達が営みを送る整域であり、それに応じ魔力が特段に濃い領域でもある。
ロングが口にした身体的な異常は、致命的では無いにせよ平常時とは明らかな差異が生まれる訳で、これも深域以降の領域が畏怖される理由の一つだろう。
(食料はまだまだ十分。怪我や疲労感もそれ程無い現状だ)
(全てはここから先の為……ネガティブな情報はただの判断材料だ。引っ張られるなよ俺……!)
蜃気楼のような微かな揺らぎが広がる視線の先には、木々の間隔がこれまでより開け、大型の魔物が悠々と闊歩できそうな自然の成り立ち。
そして心象を投影しているかのようなどこか薄暗く感じる陽の光。
平坦な地形が続き、起伏に苦労させられる事が無さそうな点はこちらに利する情報だろうか。
昨夜の話し合いで落ち着いた結論から、理想を言えば一日の内に決着できれば幸いだ。
俺は進退の判断を最優先として、担う役割の最善に努める。