115話 同じ景色をまた
早朝灯された奥の窯からほのかな熱気が漂っている。
同時に鼻を突く展示品の鉄の臭い。
足を運ぶたびに想う、冒険者であることを強く意識する空間だ。
そして通う行為自体が安心を上乗せし、寄る辺の頼もしさに感謝の念を抱く。
打算を言えば、良い鍛冶師を味方につける事は、良い冒険者となる条件の一つであることに間違いは無い。
だが今となっては、友達を訪ねるという気持ちが勝るだろうか。
今回ばかりはその両面にすがりたい、臆病者が決意の時間。
仕上がったハンマーがテーブルを軽く打ち鈍い音が響く。
「じゃあ帰還の目途は立てれないか……」
いつになく神妙な表情を浮かべるリオンが鍛冶道具の握りを強め呟く。
「うん、でもきっと大丈夫だよ。ビビットさんとベルがついてるからね」 「ホホーホ(ナカマ)」
「そりゃそうだけど……じゃなくて、俺が言ってんのはお前の性格の事だよ」
「ん……? 最悪の場合は諦めちゃうってこと?」
「んならまだいいぜ」
「正直言ってその、ティナちゃん、だっけ。俺からすれば、その子よりもお前らの方がよっぽど大事なんだ」
「万が一にもお前が無茶すら通り越して──」
「──大丈夫っすよリオンさん!」
「自分もリーフルちゃんもいます。今回は頭が五つもあります」
「なら可能性も五倍っすから、絶対に約束出来るっす!」 「ホ!」
そう断言するロングの瞳は、いつものはつらつとして爽快な輝きを放っている。
「ロング……」
「そうだよ。リオンにも検めてもらったし、この後も万全の体制は整える」
「それにそんな心配。俺がこのメンバーの中で、一人突出して無茶できる程強く無い事は、リオンもよく知ってるよね? はは」
自覚し浮かび上がる違和感を押し戻すように、冗談めかした態度でリオンにそう語りかける。
「おいおい…………ったく。らしくないじゃん」
「けど、森の奥はそれ程の場所だしなぁ……」
当面気の抜けない日々が続く。その最後の余暇を過ごす半日。
もちろん浮かぶ過ごし方といえば、装備品の点検や備品の補充など、思いつく限りの準備に充てる事だ。
ビビットにはキャシーや知人達への伝達を担当してもらっていて、昼を過ぎよう頃に落ち合う手はずになっている。
そして日暮れまでの時間は、森の休憩所に陣取りパーティとしての連携を軽く修練する。
ロングとビビット、二人とは何度も冒険を共にし手の内を把握し合う関係だ。
だが今回は、連携という点では初となるベルの存在と、未知の領域へ足を踏み入れるという二重の不安要素が存在している。
リーダーを務める者の責任感とでも言えば聞こえはいいだろうが、準備が及ぶ範囲について整理しておきたくなるのは、平凡の性分である。
ふいにドアベルが鳴り響く。
「──おっ、おはようございますッ! リオンさん、今日の具材は──あ……」
入店早々に立ち止まり、抱える包みが潰れんばかりの様子で話している。
「お、おはよう」
リオンが少し緊張した様子で遠慮がちに挨拶を返している。
「あ、ハンナちゃん。久しぶりだね」
「おはようございます!」
「あら、ヤマトさん! その節は大変お世話になりまして。本当にありがとうございました」
身に着ける白いカチューシャが外れんばかりに頭を下げている。
「はは、そんな大層な事じゃないよ」
「実は母も我が事のように喜んでくれていて……」
そう言いながら横目にリオンを一瞥している。
「へぇ~そっかぁ……」
抱える包みとリオンを見比べる。
「な、何だよ」
「いや~、はは。順調そうだなあ、と」
「ちゃ、茶化すなって。まだ俺達はそんな──」
「──そうだ! ヤマトさんから聞いてるっすよ~!」
「何でもイイカンジ? なんすよね! リオンさんとハンナさんって」
「い、いやだわ……恥ずかしい……」
「あ、あの! お仕事中にお邪魔してしまいましてごめんなさい。私はこれで失礼します──!」
──残される持参した包み。
言葉通りの発色を悟られまいと足早に出て行ってしまった。
「ありゃ、行っちゃった……」
「むむ? 急にどうしたんすかね」
「なんだか悪いことしちゃったかな」
「まあでも、一回ぐらいは必要経費と思って許してよ。羨ましいって気持ちは偽れないしね。はは」
「そ、そんなんじゃねえって。ただ週に何度か弁当を差し入れてくれてるだけだよ」
「でも楽しみにしてるんだよね?」
「そりゃあ……まあ……」
「むー? 何で一緒に食べずに帰っちゃったんすかね?」
「ロングお前……ハァ。ヤマトから聞いてる通りだな」
「何の事っすか??」
「はは、でしょ? だからさ、この仕事が終わったら一度男だけで集まろうよ」
「お! 噂に聞く男子会ってやつっすね!」
「俺もロングの事を言える立場じゃないし。ここは一つ、リオン先輩に教鞭を振るってもらって、学ばせて頂きたく思う次第で」
「なんだよそれ~……なんかバカにされてるみたいでヤな感じ」
「はは。ロング? これで帰って来なきゃ行けない理由がまた一つ増えたね」
「学ぶ……? お茶会じゃないんすか??」
「ホホーホ……(ナカマ) ホ (イク)」
なだめるように右翼でロングを撫ぜている。
唯一残る憂いと言えば、リオンの師であるイーサンが先程呟いた『なぞるんじゃねえぞ』という一言だろうか。
脳内に浮かんだ映像、そして記した地図からすると、目的地は恐らく深域ないしは境界を越える位置にまで及んでいる。
単独ではせいぜいが中域に片足を踏み入れる程度の俺が、ベテランたちの助けがあるとはいえ鬼気迫る領域へ身を投じようというのだ。
数多の冒険者の背を眺めこの店より送り出しているイーサンの言葉には、展示されている見事な鎧をも凌ぐ堅牢さが感じられるもので、どんな占い事や確率論よりも真に迫る忠告の気遣いだろう。
これまで様々授かった言葉や経験には一層忠実に。
歩を進める強さはロングと共に。
責任も重石では無く追い風として。
解釈の方向がポジティブであるこの落ち着きを糧に、進んで行きたい。
「どれどれ……お! 今日は俺の好物のベーコンサンドじゃん。ありがて~」
微かにはにかむリオンが軽快な手つきで包みを開いた。
「お~、美味しそうっすね~」
「ホントだ」 「ホーホホ~(タベモノ)」
「お前らも一緒に食うか?」
「いいよいいよ、もったいない」
「そうっすね。折角リオンさんへの真心が籠った手料理ですし、自分達が手を付けるのは失礼だと思います!」
「バ、バカ! そんなんじゃねえって──」
「──ホーホホ? (タベモノ)」
身を乗り出しリオンに接近するリーフルが訴えかけている。
「お? そうだよなぁリーフル。お前は素直で可愛いな」
「ささ、お前の相棒さん達はほっといて、一緒に食おうぜ~」
「ホーホホ~! (タベモノ)」
リオンが楽し気にリーフルと差し入れを分け合っている。
「リーフルちゃんも久しぶりに外で活動出来るっすから、栄養補給は大事っすね!」
「そうそう、栄養補給と言えば。ある程度二人の好みは聞いてるけど、ロングは他に何か聞いてる?」
「ん~特には聞いてないっすね」
「それに、そもそも選択肢が多い事自体が冒険者にとっては贅沢な話っすから、これ以上誰も文句なんてつけようが無いっすよ。くふふ」
「それはそうだけど。ロングも何か希望があるなら遠慮せずにね」
「了解っす!」
この後の買い出しについて話し合う最中、リオンがリーフルの方を向き身を屈めた姿勢のまま、静かに口を開いた。
「……経験も必要だってのは、師匠の教えなんだ」
「ん?」
「こんな事言っちまったら……はは……鍛冶師失格か……」
「別の奴がいいな……お前らでそんな経験積みたくないぜ……」
「リオン……」
「リオンさん……」
──「ホホーホ? (ナカマ) ホーホ! (ヤマト)」
リオンを鼓舞するかのように両翼を広げアピールしている。
「リーフルはなんて?」
「『任せろ』ってさ」
「はは……リーフルは信じてるんだな」
「ホ!」
リオンの問いに応えるかのように一つ足踏みし胸を張っている。
「そうだよリオン。俺は少しの勝算も無い依頼は絶対に受けない。そういう主義で今まで生き残って来たんだ」
「それに、指折りの特級鍛冶師イーサンの愛弟子の、優秀なリオンの力が宿った装備達も連れて行く」
「くふふ。これは勝算しか見えないっすよね?」
「ったく、マジでらしくない…………けどま、今回ばかりはそれが正解か……」
「だね」
「──だったら支払いはツケで2倍だ」
「というと?」
「否応にも今回は道中の収集品の値が高いはずだろ? だったら心配かける迷惑料だ。必ず後で払ってもらうぜ」
「むむ! リオンさんは商売の才能もありそうっすね。くふふ!」
「友人価格で──って言いたいところだけど。任せてよ」
「それで、男子会の食事は豪勢に飾ろう!」 「ホ~!」
「だな!」
「おー!」
入念に調整してもらったロングソードの握りは完璧に近いものがあると感じる。
ロングのハンマーに新たに付属した鋭利で強固な突起も、それは頼もしい迫力を誇っている。
丹精込められた想い。
鍛冶師と冒険者、そして友人として。俺は本当に恵まれていると思う。
ならば、纏う多くの願いを微かな光に繋げよう。
友好の安らぎと盤石の下準備を以て、平凡の精一杯を全うす。