114話 きっと明日 2
文字の濁流の中をもがき続けて一週間。
とうとう何の手掛かりも得られぬままに凡そ二千冊の書籍に目を通し終えてしまった。
そして役所が所蔵する物についても調べは終わり、状況としては一週間前と同じ、ただ謎だけを匂わせる百合に似た花弁が手元にあるだけという惨憺たるもの。
見落とし、解釈不足、そもそも何かが応えてくれるという思い込み自体が愚かだったのか。
二人のあの落胆した表情には胸が締め付けられる想いだった。
差し迫る時を思うとすぐにでも次の行動に移るべきだが、一度切り上げるしかない。
なぜなら、いよいよ野宿生活が現実味を帯び始めているからだ。
幸いアイテムBOXのおかげで途端に飢えるということはないが、一旦当座を凌ぐ自身の都合をつけなければならない。
対照的に、湿気も乾き去り賑わいの色を取り戻すサウド支部。
今は世界の活気全てが煩く感じられてしまう。
(宿代もそうだけど、何とも言えないこの感じ……)
(……うん。オカルトでも何でも、今回ばかりは第六感みたいなものも当てにしないとな)
ギルド内の掲示板を前に、普段とは違う角度での解釈に務めようと考え込む。
『お金を用意しなければ』
そんな漠然とした予感。
果たして意図するところは生活費に対する危機感なのか。
はたまた、もっと別の何かを暗示しているヒント──神様の導きによって突き動かされる感覚なのだろうか。
「むぅ……どれも安いっす」
張り出されている依頼書を比較しながら渋い顔をしている。
「でもダメだよ。本末転倒だ」
「っすけど……」
「──あ、これならどうっすか? 金貨一枚っす」
右隅にある依頼書を指し示し俺の答えを待っている。
「ふむ、ポーション類の精製手伝いか。掲示されたのは……二日前」
「あ~……これ多分事前募集だよ。今日は無理だと思う」
「え? なんでそんな事が分かるんですか?」
「先週魔導具屋さんで聞いたんだけど、今触媒が不足してて、定期便待ちなんだって」
「だから事前に労働力の方を押さえておいて、入庫次第大急ぎで精製って感じじゃないかな」
「はぁ~なるほどっす」
「ハァ……せめて魔法の一つでも使えたらなぁ……」
「っすねぇ……」
『なんだいあんた達。珍しく険しい顔して』
ふいに覚えのある声が後方よりこだまする。
俺達は挨拶を返すべく同時に振り返る。
「あ! おはようございます!」
「おはようございます」 「ホホーホ~(ナカマ)」
「おはよう二人共。リーフルちゃんもおはよ~!」
挨拶も早々に、リーフルの頭を撫でるビビットが満面の笑みを浮かべている。
「ホ!」
ビビットの手に額を埋めるように背を伸ばし応えている。
「う~ん! リーフルちゃんは変わらず元気一杯だねぇ!」
「──それで? あんた達が尻込みするような内容ってのは、どういう依頼なんだい?」
「あ、いえ……報酬額の問題と言いますか……」
「美味しい話なんて無いっす……」
「んー?? 水臭いねぇ。話しなよ」
「はい。実は先週から……」
凡その事情を説明すると、親身に構え直すビビットに誘われ、酒場に腰を据えて詳細を話す事となった。
◇
「……そりゃ気落ちするのも無理ないねぇ」
「ホ~……(イク)」
俺達の心境を体現するかのようにテーブルの中心で気だるげに伏せり、もどかしさを呟いている。
「ええ。一時の野宿程度は良しとしても明確な区切りの無い問題なので、そろそろ一稼ぎしたかったんですが……」
「晴れて間もないっすから、依頼の幅も普段より狭いっす」
「ざっと見たとこ、戦力を充実させれば高額ってな手合いの依頼も、今は無いみたいだしねぇ」
「むぅぅ~……」
「──もうしょうがないっす! 逆に時間が出来たと思って、クエストは諦めてもう一度調べ直すのがいいと思うっす!」
状況としては崖の淵にも錯覚するような窮屈な感覚。
だがそう元気よく切り返すロングの瞳には未だ光が宿っている。
「……そうだなぁ。まあ何とかなるか!」 「ホ! (イク!)」
いつもなら先を見据え思い直すようロングに働きかけるところではあるが、浮かぶ慎重思考には蓋をし、自らに言い聞かせるようにそう答える。
「う~ん……あたしも手伝ってやりたいとこだけど、その分じゃレンタル料すら惜しい状況だしねぇ」
ビビットが顔をしかめ呟いている。
「ホホーホ? (ナカマ?)」
ビビットの前に歩み寄り首を傾げ『一緒に行こう』と誘っている。
「うッ……そんな目で見ないでおくれリーフルちゃん……ベテランのあたしが規定を破る訳にはいかないんだよぉ……」
思いやり溢れる後ろめたさを感じている様子のビビットが、申し訳なさの滲む表情を向けうろたえている。
(そうなんだよなぁ……)
(確かに人手が多いに越したことは無いけど、ビビットさんの言う通りレンタル料の支払いは絶対だ……)
自身の能力を貸し出し──レンタルする生き方を選ぶ冒険者にもルールが存在し、中でもレンタル料の授受については、厳密に順守しなければならない最大の約束事だ。
ビビットのように実力十二分のベテランであればそんな心配は不要なのだが、駆け出し、或いは自分より上位の冒険者に声を掛けてもらうような者は、その契約において不利な立場にある事は必然だ。
例えば『指導料代わり』だと言う教訓めいた搾取の誘いであったり、単純にその権威や腕力で以て無理強いしたりと、確立されていない冒険者は何かと交渉する上で弱いものだ。
そんな不平等を未然に防ぐ目的で制定されているルールなので、いくら心通ずる、恐れ多くも友達にも近しい関係の俺達の間でさえ、"冒険者"を発揮してもらう為にはレンタル料の支払いは必須となるのだ。
「うぅぅ……リーフルちゃ~ん、この赤身あげるから勘弁しておくれよぉ」
嫌われまいと焦るビビットが巾着袋から──恐らく自身の昼食用であろう──赤身を取り出しリーフルに捧げている。
んぐんぐ──「ホッ……」
(はは、ビビットさん。相変わらずリーフルの事──あ……!)
その様子を一時の安らぎに感じながら眺めていると、とある閃きが浮かび上がってきた。
「──ビビットさん。参考までに、ビビットさんのレンタル料を教えて頂けませんか」
「ん~? そうだねぇ、やり合うんなら最低金貨二枚から、後は魔物次第かねぇ」
「その他武力外の手伝いなら、金貨一枚ってとこだね」
「なるほど……」
「あのぉ……突然なんですが、ビビットさんにお勧めのものがありまして──」
異次元空間から木製の化粧箱を取り出し、蓋を開き中身をビビットへ提示する。
「──こ、これは……‼」
「ええ。リーフルの羽根コレクションです」 「ホ?」
「おぉ~! 綺麗っすね~!」
箱の中には汚れや付着物を拭い去り形を整えた、風切羽や尾羽、大小の雨覆類が収められており、リーフルのその美しき翡翠の身体を表す元となる羽根の数々は、とても捨て置くには惜しい、芸術品とも言える形貌を誇っている。
と、俺個人はそう想っている。
「換羽の際に抜け落ちる羽根を集めるのが趣味なんですが、ビビットさんなら共感頂ける代物じゃないかと思いまして」
「それにフクロウやミミズクの羽根は、幸運のアイテムとして縁起がいいとされているんですよ」
「…………」
ビビットが微かに身を震わせ俺の提案に沈黙で返している。
「フッ……さすが"平凡ヤマト"。こと金を稼ぐ手腕で言えば、やっぱりあんたはサウド支部の中でも上位だろうねぇ……」
「フフ……綺麗ですよね~?」
「……あたしに選ばせてくれるんだろう?」
「もちろんです」
「──よし乗った‼ 金貨二枚分、選ばせてもらうよ!」
宣言した額を叩きつけるようにテーブルの上に取り出し、前のめりになりコレクションを覗き込んでいる。
「お買い上げありがとうございます」
頭を下げる。
「……ホ? ホー?」
リーフルも釣られてお礼の伏せを披露している。
「わぁ……いつの間にかリーフルちゃんの羽根が高額商品に……やっぱりリーフルちゃんは凄いっす!」
「ホーホ! (ヤマト!)」──バサッ
「さあ~リーフルちゃん! リーフルちゃんはどれがいいと思う~?」
「ホゥ (イラナイ)」──ツンツン
なんとも素っ気の無い様子でコレクションをつついている。
ビビットにその真意は理解出来ないだろうが、リーフルにしてみれば当然の反応だろう。
「おおー! 確かにその羽根は大きさもあって少しグラデーションがかかってて綺麗だねぇ」
「それじゃあこれとこれと──」
ビビットの綻ぶ表情と楽し気な様子から実に良い取引であったのか、疑念を挟む余地など無いだろう。
「──んふ~! こりゃあ何とも心躍るアイテムだねぇ」
選び取り満足した様子で眺めているが、全種類を一枚ずつ、たった四枚しか手にしていない。
「いやビビットさん。もう少しお持ち頂いて大丈夫ですよ」
「何言ってんだいヤマト。リーフルちゃんの羽根にはそれだけの価値があるって事じゃないか!」
そう言いながら俺の手を取り二枚の金貨を握らせる。
「ハハ……そ、そうですね。ありがとうございます」 「ホホーホ(ナカマ)」
「……それじゃ、ビビットさん」
受け取ったばかりの金貨をビビットの前に差し出す。
「どうか力を貸してください。お願いします!」
「いやいや! それはあんた達の宿代に充てるもんだろう?」
「それにまだこいつが必要になるかどうかも──」
「──いえ。とにかく少しの可能性も、予感も、取りこぼすわけにはいかないんです」
「上手く説明出来ませんが、このタイミングは偶然とは思えない……恐らくビビットさんは、たどり着く為に必須の人材なんです」
「ヤマト……」
「自分からもお願いします! 絶対助けたいんです!」
「ロング……」
「……ふふ。後輩におごられっぱなしじゃ、ベテランとしての立場もあったもんじゃないねぇ……」
「ヤマト、ロング。あたし達は世代こそ違えど、何度も背中を預け合った仲間だ」
「仲間の窮地には、必ずこの大盾で寄り添い守り切るってのが『最硬のビビット』たる所以さ」
「だったらどんな結末が待っていようと、最後まで付き合ってやろうじゃないか‼」
脇に置く大盾を力強く叩き鳴らし、まさに"ベテラン冒険者"然とした頼もしい表情でそう宣言している。
「ビビットさん……!」 「ホホーホ!(ナカマ!)」
「くふふ! ビビットさんが居れば百人力っすよ!」
まるで示し合わされたかのように、この状況下で俺達の前に現れた頼もしきベテラン冒険者ビビット。
そしてクエストや露店と言った、時間を労する事無く俺の手持ちの物から予算の都合が出来るという近道。
これら偶然の起こりには、やはり何らかの必然性があるように思える運びだ。
蔵書についてもう一度洗い直すにせよ、花弁自体について検証を深めるにせよ、新しい知見と労働力が得られる事は非常に頼もしく有難い。
ビビットの加勢は、沈降の機運もにわかに上向く、極上の手札となる事だろう。
「それじゃ、まずはその花弁とやらを見せておくれ。何か見覚えがあるかも知れないからね」
「そうですね。恐らくなんですが──」
『──あらぁ~? ヤマトじゃな~い。朝っぱらから酒場で何してんのよぉ~』
話し込む俺達の後方より突如として伝わり来る、わざとらしい妖艶な語り口。
もしこれも導きのめぐり合わせなのだとしたら、この手札に関しては放棄できないものかと、刹那に身が震えあがる想いだ……。