113話 虚飾を胸に 1
返答までに要した無駄な時間を思うと、なんと意気地のない男かと羞恥心が沸き上がる。
根底には、拭いきれぬ淀みが溶け残った砂糖の如く鬱積していたというのに。
何故願いに応じたのか。
哀れみ、道徳心、社会奉仕、自己満足、善人づら。その全てでもあろう。
だがもしこのきっかけを手放してしまえば、明日も知れぬこの世と、自分らしさの溝は深まるばかりだ。
どちらも目指せる現在の立場であれば、誰もが一度はこうありたいと思い描くあの理想を追った方が、リーフルも身近な人々も喜んでくれるはず。
それに幸いにも、半分担ぐと言ってくれる、心強い後輩も傍に控えてくれている。
『彼女は今日、この日を、心待ちにしてくれていたはずだ』
そう信じたいだけの、身勝手な思い込み。
それでもいい。
偽善者、馬鹿なお人好し、と後ろ指をさされようと、大和希がそう望んでいるのだ──
街灯がまばらに消えゆく住宅街の鎮まり。
いつもなら濃霧に覆われる風景も、神様の粋な計らいか視界良く晴れ渡り、今日の行程が順調に運ぶ事を予期させる中、俺たちは一軒の民家を見つめ気を引き締める。
キャシーには何度も頭を下げられたものだが、大恩とエゴを抱えた俺には、過ぎた礼だと言えるだろう。
「ガリウスさん、今日はよろしくお願いします」
「ああ」
御者台のガリウスが言葉少なに、だが力強く答える。
「バルも頼むね」 「ホホーホ(ナカマ)」
「フンッ」
『イク』
逞しく隆起した肩を撫で挨拶すると、頼もしい鼻息で返してくれた。
「ロングもごめ──ううん。頑張ろうな!」
「そうっす、その意気っすよ~!」
「……それに今日だけじゃないっす。いつでも、なんでも、一緒っすよ」
左肩に担ぐハンマーを僅かに上下させ、曇りの無い瞳を向けている。
「……うん。頼りにしてる」 「ホ」
「ヤマトさん、ロング君。とってもお似合いですよ」
並び立つ俺たちを前に、キャシーが自身のユニーク魔法フォトで、その姿を羊皮紙に写し取っている。
「くふふ。なんたってアメリアさん演出の『出来る男風セットアップ』っすからね!」
ロングが胸を張り誇らしげに答えている。
素朴なシャツとズボンという組み合わせは普段のままに、上下共に黒で統一した、ミュージシャンを彷彿させる衣装。
そして、左肩から腰部全体にかけて巻かれた布。
俺は赤、ロングは青を基調とした布地に、力強さを感じさせるような模様の刺繍が、輝く金色の糸で施されている。
「ホ~?」
リーフルも負けじと首元の飾りを強調しキャシーに問いかけている。
「ふふ、そうね。リーフルちゃんも一段と可愛く見えるわ」
「──それじゃ、お呼びしてきますね!」
キャシーが二人の待つ家の中へと入っていく。
数分の後。
今日のゲストであるティナが、母親とキャシーに脇を支えられながら、その弱々しい足取りを振り絞り、こちらへと歩み寄って来る。
「みなさん、本日は娘の為に、本当にありがとうござまいます」
母ジェニスが深々と頭を下げる。
「すご……く、楽しみ……てました」
「あり……がとう」
かつて美しかったであろう赤い長髪は、今は色褪せ艶を失い、血色のない青ざめた表情で頬はやせ細り、一言一言に喉を詰まらせる。
キャシーから贈られらた新品の白いワンピースはとても似合い、完璧に着こなしている。
しかし袖から伸びるその腕は、力無く骨張っている。
それでも彼女は屈託のない笑顔で、一生懸命に挨拶を贈ってくれている。
「おはようティナちゃん! 色々と用意してるから、楽しみにしててね!」 「ホ! (イク!)」
「おはようございます! 今日はサウドから飛び出して湖の方まで行くっすけど、安心して欲しいっす!」
「なんせ自分達は、サウドで最強のコンビっすから!」
「ホーホ! (ヤマト!)」──バサッ
「鳥……ちゃん。かわ……いい」
「リーフルって言うんだ。今日はティナちゃんと一緒にピクニックに行くのを楽しみにしてたみたいで」
「ホ!」
リーフルの姿を目にし、綻んだ表情で見つめるティナの足元へと舞い降り、最大限の愛想を見せている。
「あは……よろし……くね。リーフル……ちゃん」
自力で膝を折る事は叶わないが、出来るだけリーフルに近付こうと覗き込んでいる。
「移動にはね、サウド一と名高いベテラン御者の、ガリウスさんとバルにお願いしてるんだ」
「今日はよろしくな」 「ブフンッ!」
多少のぎこちなさは感じる笑顔であるが、ガリウスが愛想を示し、バルも脚をひとかきして挨拶している。
「うま……さん、おっき……いね」
足元のリーフルとバルを交互に見比べ、期待に満ちた表情を浮かべている。
「ガリウスさんが操る歩みはすっごく穏やかで、とっても心地いいっすから、ティナちゃん気に入ってくれると思うっす!」
そう言いながら大手を広げ、安心を誘うような笑みをティナに向けている。
「よかったねティナ。馬車に乗って、街を眺めてみたいって言ってたもんね……」
潤む瞳を悟られまいと、ジェニスが顔を背ける。
「ん……うれ……しい」
「さあティナちゃん、どうぞこちらへ──」
ロングが手を差し伸べ馬車へと誘う。
「お母様、キャシーさん、御手をどうぞ──」
ロングに続き、俺も二人を馬車へと招き入れる。
「わぁ。かわ……いい、ベッド」
「ふふ、可愛いでしょ~。私が飾りつけしたの」
「お姉……ちゃん。あり……がとう」
客車内には椅子が二脚。
そして、窓から外が望めるように角度を付けたベッドを一台備えてある。
キャシー渾身の鮮やかで芳しい花々の飾りつけは、どうやら好評のようだ。
三人が腰を据えた事を確認し、ガリウスに視線で合図を送る。
「それじゃ、出発するよ~!」
「オー!」
「ハッ──」
ガリウスが手綱を引き、俺達は客車の左右に別れ随伴する。
馬車は最大限慎重な歩みで鈍行に務め、サウド南東に広がる湖を目指し進みゆく。
◇