98話 熱波の告白 1
「……」
「…………」
「………………」
静まり返る室内。
幻聴の熱の音が脳内に響きわたり、ヒリつく肌に滴る汗が熱を帯び沸騰する。
「……そ、想像以上っす……」
「無理したら逆効果だぞ……」
「ホ~~……」
俺の膝の上で翼を広げ伏せり、息も絶え絶えといった様子でうなだれている。
「リーフル? 二人とおやつ食べてればよかったのに」
「ホ~……! ホーッ……」
生か死かの激闘を終えた昨日の今日では、片時も離れたくないと想うのも仕方のないことか。
その心情は幸せを感じる部分ではあるが、リーフルがこの場を共にしている事への懸念は拭えない。
「リーフルちゃんも結構やるっすね……!」
室内の中心に据えられた魔導具から、一定の間隔で熱風が放出されている。
口内は砂漠を想起させる程に潤いを失い、滝の如く吹き出る汗が蒸気となり充満する。
一挙手一投足が酷く億劫で、いち早くこの苦しみから解放されたい衝動に駆られる。
だがそうしない──出来ないのは、この場限りで俺達を支配する、"我慢比べ"という男特有の奇妙なプライドのせいだろう。
「初めてと聞いていたが、そうは見えないな」
束ねる黄金の髪を降ろし、トレードマークの純白の鎧を脱ぎ捨てたエドワードが、訝しげに問いかける。
「え、えっと……暑さには強い方なので!」
(アンション国内にはここだけって話だし、経験があるとは言えないよなぁ……)
こうして一糸まとわぬ姿の俺達三人が、横一列に並んで座り、所謂『裸の付き合い』をしている理由は……。
◇
エドワードが颯爽と街へ戻った後、村では今回の功績を称える宴が開かれる事となった。
どのみち満身創痍の俺達には、それ程距離は無いとは言え、平原を歩き、センスバーチへと戻る体力も気力も無く、宿と食事を恵んでもらえるというのだから有り難い限りの催しだ。
村長であるミーロは職責を十分に感じさせる客観的な言葉でもって村民達に事の経緯を説明し、話を聞いた皆も、そんなロングの成長ぶりに舌を巻いていた。
もはやこの村にはロングの事を『残念君』などと侮蔑する者は消え去り、早速"冒険者ロング"に対しモーションをかける女性も現れた程だ。
そうなれば当然要らぬ虫を寄せ付けまいと、ステラとビビットによる包囲陣が敷かれた訳だが、理解の及んでいないロングは若干煙たそうに『何だか女の子達の様子がおかしいっす』と俺の下へ報告に来ていた。
俺としては、村民達の手の平を返すような振る舞いに納得がいかない印象も覚えるが、ロングの晴れやかな笑顔を前にすると、そんな俺のエゴは胸の内に仕舞い込み、共に喜びを分かち合う事が正解だろうと思えた。
提供される食事もそこそこに、オットを研究した成果だと言われる本に目を通してみたのだが、これといった手掛かりになる記述は見当たらず、何故プルグロスが湖に出現したのかを解き明かすことは出来なかった。
過去、今回と、定期的に猛威を振るう現象なのであれば、その原因を特定し、対処法を構築したいところではあるが、現状では水中を探索する術もなく、ホームでもないので、センスバーチ支部に注意を促すより他ないだろう。
センスバーチ支部といえば、今回窮地に加勢してくれたエドワードと、功績を称え合う握手を交わした際に渡されたメモを確認すると『明日正午、バン・ドゥラ・ミントに来られたし』と記されてあった。
恐らく店名だと思われる名前なのだが、心得が無かったのでビビットに確認してみると、どうやら"公衆浴場"の事らしく、そういえばロングも誘ってくれていた事を思い出し、折角だからと足を運んでみる事になった。
どうして待ち合わせ場所が公衆浴場なのか疑問は浮かぶが、共闘した者同士、今更何か謀ろうとする事も無いと思われるので、用件は直接確認すればいいだろう。
◇
という訳で件の公衆浴場バン・ドゥラ・ミントにて、男同士の交流中なのだが、まさか湯に浸かる風呂では無く、"サウナ"の事だとは思いもよらなかった。
この世界に転移して以降、洗体は湿らせた布で体を拭う、もしくは水浴びの二択しかなく、一度も湯に浸かった事は無い。
温かい湯船に全身を浸し、重力から解き放たれゆったりと身を任せふやけゆく。
これはもう日本人の根幹を成す伝統的な文化で、ある意味では"日本食"以上に懐かしみ、憧れている夢だ。
なので大いに期待していたのだが、内容がサウナでは、この高ぶる期待感はどこへ着地すればいいのか、まったくやるせない限りだ。
(気持ちいい……いいけど、なぁ……)
熱波の影響とは異なる深いため息が漏れ出る。
「ヤマ……トさん……自分はもうダメかもしれません……」
ロングが上体をふらつかせ、限界の声をあげる。
「ハァ……ロング、無理するな。先に出てリーフルと休んでてくれ」
「ホ~……」
「はい……お、お先に失礼します……」
リーフルを抱え退室してゆく。
「彼は中々気骨のある青年だね」
恐らく昨日の一件を指した言葉だろう。
エドワードがロングを見つめ、賞賛の言葉を口にしている。
「ええ。ロングは良い奴です」
「君達は実に良いコンビだね。羨ましいよ」
「そいえばエドワードさんも、御付きの方がおられるようですけど、ご関係は?」
「ああ。わざわざ君にここへ来てもらった理由に関係するのだが」
「ええ」
「まずは改めて自己紹介を。僕の名はエドワード・ミント、このセンスバーチで有名冒険者を演じている。そして金持ちの息子だ」
一見すると選ばれた言葉は鼻に付くうようなものが並んでいるが、高慢な態度など一切感じさせない無機質な声色でそう語る。
(金持ち……演じている……? 冒険者じゃないのか?)
「えっと、どういう意味でしょうか?」
「この街のメインストリートの一つ、ミント通り。この名は、センスバーチ内での、我が"ミント商会"の力を表している」
(ミント商会……実家は有力な商家なのか)
「僕の父は元々舞台に立つ俳優をしていてね。その時に出来たファンや支援者達の伝手を使い、さらには自らを広告塔に立て、日用雑貨の商売を始めたところ、それが大成功を納め、今ではセンスバーチ内に数多存在する有力商会の中でも、トップへとのし上がったんだ」
「そうなんですね。じゃあエドワードさんのその……」
「そう。察しの通り、僕のあの大仰な芝居掛かった態度は、父の影響なんだ。おかげで白美の人気の後押しとなってくれているよ」
「……逃れ得ぬ枷でもあるがね……」
どこか悲し気にぼそりと呟く。
「枷……ですか」
「もちろん己の現状に感謝しているし、ミント商会についても誇らしく思っている。だが、僕は"冒険者"に憧れているんだ」
「あの、何故そのような話を俺なんかに?」
「そうだな。そろそろ目的を述べるとするか──」
──おもむろに立ち上がり、俺の目の前に跪く。
「えっ、な、なんですかっ」
「平凡冒険者ヤマト君。僕と契りを交わしてくれないかっ!」
片膝を着いた体勢のまま右手を伸ばし、まるで男性が女性に求婚するシーンを演じているかのように声を張り上げ、目を輝かせて宣言する。
(なに……この人……)
サウナの熱気により朦朧とした頭に、理解不能な言葉が投げられる。