96話 湖の怪異 5
(多少の怪我は覚悟してもらうしかないか……!)
例えその対象が過去に自分を虐げていた者──スパイクだろうと、ロングは身を挺し必死に一般市民を守ろうと立ち回っている。
ならば俺もそんなロングの想いに応え、攻勢をかけるのみ。
駆け出しロングの下まで距離を詰める。
「ロング、死ななきゃ何とかなる! まずは脚だ!」
ロングを追い抜きざまに、言葉を投げる。
「──! 了解っす!」
短い言葉ながら、意図を瞬時に理解したロングが、スパイクを放置し俺と同時に本体へと駆け出す。
「ガフッッ!!──いてぇ……」
スパイクから距離が出来てすぐ、後方から不穏な音が聞こえてきた。
首だけを振り返り確認すると、スパイクがプルグロスの脚の攻撃を受け軽々と宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられていた。
(スパイク君!?──いや、集中するんだ!)
罪悪感を伴いつつも、足を止める事無く前進を続ける。
しかしどうやら狙いはスパイクだけでは無く、間合いを詰める俺達を阻止しようと、軌道上に立つスパイクを吹き飛ばした脚も合わせ、本体から伸びる二本の脚が、不穏な動きを見せる。
「──後ろから来る! 備えるんだ!」
「むっ!」
駆ける足を止め振り返り、武器を構え衝撃に備える──。
『テキ テキ テキ』
ふいに感情が伝わって来たかと思うと、突如として黒い霧のようなものが背面、プルグロス本体の方向から巻き起こり、周囲一帯を覆いつくしていく──。
(──なっ……黒い霧──タコの墨か?!)
「うぐっ!!」
鈍い衝撃音と共に、ロングの漏れ出る苦悶の声が聞こえる。
「ロング!──はっ!?」
間を置かず真っ黒な視界の眼前に、脚が突如として現れる。
刀身を己の体に添わせ咄嗟に防御するが、吹き飛ばされてしまう──。
頭に衝撃を受け、左半身を下に、全身が土を抉りながら地を滑る。
(──ぐぁっっ!……直撃……たらヤバか……)
眩む頭をもたげながら、なんとか立ち上がり身構えるが、意識が朦朧とし視界が歪み、聴覚も遠のいている。
『……っ だか……』
ロングやスパイクのものと思しき、はっきりとしない物音や声が、ぼんやりと遠のく耳に微かに聞こえる。
(何が起きてるんだ……くっ……)
ポーションを服用し、ダメージが回復する事を願いながら思考を巡らせる。
この瞬間、こちらに追撃が無いという事は、脚は二本ともロング達の方に襲いかかっているという事を示している。
一本だけならギリギリ対応できる脅威でも、この暗闇の中、さらにスパイクを抱えながらとなれば、ロングが危機に直面していることは簡単に想像がつく。
(ロングが危ない……考えろ!──何か、何かっ!)
咄嗟に浮かぶ手段としては"神力"だが、今はリーフルが傍におらず、単独で試行している猶予など無い。
闇を照らす光源となる魔導具等も手持ちに無し、墨を吹き飛ばす風を起こす魔法も使えない──。
(──風……魔法矢!……ダメだ。まだどれが何の効果を発揮するか把握出来てない)
俺の新たな弓の力。
魔石を弓に装着し、その種類に応じて通常の矢に魔法的属性を付与させる機能を駆使出来れば、風を生み出して霧を払えるかもしれないが、肝心の風属性に変換させる為の魔石がどれなのか分からない。
だが他にこれ以上、道具も視界的な情報も、何も持ち合わせていない状況だ。
(何であれ多少の効果はあると踏んで試してみるより他ないか……!)
──『ホー』
魔石を取り出そうとアイテムBOXを開き異次元空間に手を伸ばしたその時、何故か傍に居ないはずのリーフルの声が聞こえた気がした。
(リーフル!?……いや、でも今はっきりと……)
リーフルの声が聞こえたかと思うと、何やら不思議な確信めいたものが心に浮かび上がり、選び取る手が淀みなく一つの魔石を取り出させる。
(これ……でいいんだな。そうだなリーフル!)
取り出した魔石を弓に装着し矢を添わせる。
魔石はぼんやりと光を放ち、この周辺の霧が薄い緑色の光で散乱される。
同時に引き絞った弓を中心とした上半身に、空気の流れを感じ、髪やシャツがそよぎだす。
聞こえる雑音や吹き飛ばされた位置から推測し、一か八か本体が居ると思われる方角目掛け、目一杯に引き絞る弦から手を離す──。
──放たれた矢は魔法的な力によって周囲の空気を巻き込みながら大きな風を起こし、墨による暗闇を切り払いながら突き進む。
幸運な事に矢が向かう先にプルグロスの本体が存在しており、直撃はしないものの、脇をかすめたマジックアローの威力でダメージを負った様子で、脚を引き戻しもがいている。
(風が……! リーフル!)
喜びも束の間、視界の端に二人の姿を捉える。
「ロング!!」
ロングの下へ駆け寄る。
「ロング、しっかりしろロング!!」
倒れるロングを抱き起し必死に問いかける。
「ヤ、ヤマトさん……くふ……」
衣服が所々破れ無数のあざが身体に浮かんでいる。
全身に力は無く、首がうなだれ疲弊しきった様相ながら、俺を心配させまいとする心優しい作り笑いを贈ってくれている。
「あっ……あぁぁ……」
傍らには頭を抱え恐怖に震えながら嗚咽を漏らすスパイクが身をかがめていた。
(この子は無事……必死にスパイクを……)
なんと勇敢で慈愛に満ちた、偉大な冒険者なのだろうか。
あの墨の暗闇の中、恐らくロングは脚を二本相手取りながらもスパイクを守り切ったのだ。
やはりロングは心根の強さにおいてはベテランにも引けを取らない、高潔で、立派な男だと胸を張って宣言できる。
(プルグロス……)
怒りの感情が沸き上がる。
かわいい後輩を嬲られ黙っていられる程、俺も男を捨ててはいない。
ロングに報いるべく、例え一対一になろうとあれは絶対に討伐しなければならない。
「ロング、飲めるか」
ポーションを取り出しロングに飲ませる。
酷く辛そうな状態ではあるが、幸いにも少しばかり口にしてくれた。
「休んでてくれな」
「ヤ、ヤマトさん一人じゃ……」
ロングがシャツの裾を引きながら訴える。
「あぁ、分かってる。死に急ぐ気は無いけど、今は俺もカッコつけなきゃダメな時ってだけだよ」
ロングを慎重に寝かせ、立ち上がり抜刀する。
「ヤ、ヤマトさん……」
(あくまでも慎重に、だ……観察だ、考えろ……!)
ロング達に被害が及ばないよう誰も居ない領域へと駆け出す。
意識が眩むほどのダメージを負い、体力も消耗し、戦闘技術も拙いが、戦える者が一人きりになってしまった今、俺が負ければ無惨な現実がこの村を覆いつくすことになる。
だがその反面、リーフルを背負う俺は死ぬわけにはいかない。
必ず全員で生き残る。どんなに無謀だろうと、俺が選んでいい答えはそれしかない。
(脚を二本同時に相手取るのは俺には不可能だ。距離を取るしかない)
幸いにも先程の一射で相当な威力がある事は確認できている。
ならばマジックアローで一本ずつ脚にダメージを与え隙をつき、そこを斬り落とす方策が最も積極的かつ安全性が高そうか。
湖を背にこちらの動きに注視し、飛び出た目玉で睨みを利かせるプルグロスの脚を狙い、再びマジックアローを発動させる。
鋭い風を纏った矢は脚を貫通し、湖面を逆立てながら飛び去った。
同時にプルグロスも一本の脚を振り上げ、伸ばしながらこちらに叩きつける。
俺は咄嗟に真横に身を投げ、すんでのところで回避する。
すぐさま起き上がりプルグロスに向かい合い、効果の程を観察する。
(よし、抉れてる! あれなら斬り落とせそうだ!──)
風のマジックアローによって一部を抉り取られた脚は、半分程の厚みになっている。
あれならどんな体勢であろうと、剣を振り抜けると確信する。
──攻勢をかけようと駆け出したその時、突如プルグロスの目玉から、軍用の懐中電灯のような強烈な光が発せられる。
(なっ!──くっっ!!)
プルグロスの動向から目を離すまいと真っ直ぐ見据えていたせいで、光を直視してしまい、視界が真っ白に染まり視覚を奪われる。
何かが空を切る微かな音が聞こえる。
(ヤバいっ──脚か!)
剣を両手で左脇に構え、衝撃に備える。
脚から繰り出された予想通りの一撃で、腕の構えや足の踏ん張りも痺れさせられる。
さらに立て続けに頭上より何かが飛来する気配を感じる。
(もう一本!?──しまっ……)
『ライトニング!!』
電線がショートし爆ぜるような音。
同時に魚が焦げたようなニオイが立ち込める。
(なんだっ!?)
恐らく直撃だったであろうもう一本の脚がこの身に到達せず、状況が掴めない。
「どうやらこの演目は佳境のようだね」
先程魔法を詠唱していた声の主が、俺の下へと近付いてくる。
白みがかる視覚を必死に働かせ、声のする方へと振り返る。
「あ、あなたは……」
「やぁ、ヤマト君。ここからはこの白美エドワードも登壇させてもらおう!」
純白の鎧を纏う冒険者、エドワードが拳を突き上げ高らかに名乗りを上げる。