夜の公園
早春の夜、暖かくやわらかい風がそよそよと吹き始める季節。
長い冬が終わり、小さな春との入れ替わりを感じさせる空気が、僕をふわりと撫で付けた。
その風の攻撃を受けてキィー、キィー、と
か細い鳴き声を響かせる飛空機械のひとつに
僕は腰掛けていた。
今は両足を地面に着けて静止している。
砂場の端っこには、小さな発掘調査員の忘れ物であろう
シャベルとバケツのセット。樹齢推定何千年の大きな木に
引っかかった飛び道具のバドミントンの羽シャトル。
宝物庫に立てかけられた伝説の武器、黒塗りの木製バット。
小さな人力飛行機から広大なフィールドを見渡し、
僕は目を閉じた。すぅっと鼻から息を吸い込む。
青々と茂った眠る草木、朝の陽射しを求める花々、
砂場に埋まっている動物たちの糞、じめりけのある土の香り。
「ね、はじめくん。
夜の公園は冒険の香りがすると思わない?」
桜子がそう問いかけて、子供のように笑った。
なんだよそれと笑い返すと、
するんだよ!冒険の香り!と強く言い返された。
前を行く桜子、それに引っ張られるように僕の身体と意識が
公園の闇の中にゆっくりと混ざっていく。
僕と桜子はお互いに社会人だ。
一緒に暮らし始めたのは2年前、
付き合い始めたのは大学生だったので大体4年前くらいか。
僕から告白してすんなり了承を得た。
赤みが抜けかけたピンクベージュの鎖骨に届くか届かないかくらいの髪、やや垂れ気味の目、見た目に反してやや低めの声。よくいる女子大学生だったと思う。
いや、一見は、と加えておこう。
彼女は少し不思議なおんなのこだった。
2人とも社会人になり、
同棲をし始めて1ヶ月程たった、
春の訪れを微かに感じるある日のことだった。
同じソファーに座り、それぞれの時間を過ごす中、
突然思いついたように顔を上げた桜子から
デートプランの提案が持ちかけられた。
「ねぇ!このアパートからみえる裏山の公園に行かない?」
「公園?別にいいけど、何かあるの?」
「何かを探すの!探検しにいこうよ!ここで暮らし始めて
1ヶ月くらいたったけど、まだスーパーとコンビニの場所
くらいしか知らないし」
「まぁそれは確かに」
「あと、最近裏山から聞こえる鳥の声も気になってるんだよね。機械音みたいな鳴き声なの。もしかして、宇宙人かも」
僕がそんなわけないだろと小さく反論しても、
気にもせず夢中になってひとり想像を掻き立て続けている。
桜子はやっぱり少し不思議だ。
映画館よりも水族館よりも動物園よりも、
夢をみせるテーマパークよりも、
何処に続くのか分からない道を探索する方が好きなのだ。
今みたいに目を輝かせ生き生きとする。
何を考えているのか全く分からない、
そんな不思議なところに僕は惹かれたのである。
「それで、いつ行く?明日?」
「今!」
「今って、今22時だけど」
「ジュース1本!」
「と、お菓子3つ」
「仕方ないな、じゃあそれで!」
仕方ないのはこっちだと、ため息をついた。
ジュース1本とお菓子3袋の条件を飲んで、
夜の公園についてってやる僕も相当甘い。
じゃあ準備開始、と楽しそうな桜子の号令に従い、
僕はゆっくりと重い腰を上げたのだった。
「ね、はじめくん。
夜の公園は冒険の香りがすると思わない?」
公園の入口に到着し、思いっきり空気を吸い込んだ桜子から問いかけられた言葉。言われて同じように目を閉じ、匂いを感じ取ろうとするが公園の匂いだとしか言いようがない。
なんだよそれと笑う僕の背中を後ろからぐっと桜子が押す。
「するんだよ!冒険の香り」
「よーし、わたしとはじめくんの冒険をはじめよう!」
いつの間に拾ったのか、恐らく武器の代わりであろう木の枝を桜子がぶんっと振り上げる。
静かな夜に陽気な号令をかけた途端、
ふたりの冒険物語は幕を開けた。
トンネルの遊具の中に発見された古代の男女によって描かれた傘のようなマーク。左右の文字は掠れていて読めない。
白い倉庫に立てかけられた木製のバットは伝説の剣。これは僕だけが装備できた。
砂で埋め尽くされた円形の採掘場。
小人の道具を借りてお宝を探した。
滑り台付きのアスレチックは大海原を滑る巨大な海賊船。
キャプテンは桜子だ。その海賊船目掛けて、給水所の蛇口を捻り、先端に親指を添え、くらえと鋭く細い水鉄砲を打つ。見事命中したのか、撃たれた船長の声が夜に響いた。
錆び付いたブランコは空を駆ける小さな人力飛行機。
2人隣同士、月に届きそうなくらい高く遠く漕いだ。
彼女から紡がれる自由な言葉によって、夜の公園は昼の賑わいを取り戻す。桜子と僕は次々と舞台を駆け回った。
月の光を浴びて生まれるくっきりとした影が、
地面にスタンプを押して影絵の冒険物語を作っていく。
社会人にもなって年甲斐も無く何をやっているのやら。
そうは思っても、彼女が創り出す世界に惹かれ、
ついページを捲ってしまう。
ベンチに座る桜子に、続きは?と思わず催促すると、
今日はもうおしまいと本を閉じられた。
「続きはまた今度ね」
そう言って立ち上がり、
ひとり公園の出口へと足を進める桜子。
その後ろ姿を追おうと、じゃりと砂を蹴るが、
彼女に追いつくことは無かった。
月を覆っていた雲が消え、
淡い光が瞼に差し込んだ。
風を受けて軋んだ音を発していた隣のブランコは、
いつのまにかぴたりと止まっている。
僕は地面に着けていた両足を動かし、
数歩後ろに下がって勢いよく地面を蹴った。
鎖を握る手に力を入れ、足で空を蹴り続ける。
やがて近くに生えた木々の葉に、
身体が擦れる程の高さまで達した瞬間、
僕は勢いよく月めがけてふわりと身体を投げ出した。




