9 ワーク
と、いうことで。
俺は古今東西からやって来るギルドたちで賑わうカルストの東方にあるバルで働くことになった。
仕事は皿洗いだった。
主戦場はキッチンで、次から次にやって来る皿をとにかく洗う。
洗いまくる。
そしてそれら大量の食器の出し入れするのも俺の仕事。
手が空くとコックたち(なんて大層なもんじゃなくバイト感覚の料理人なんだけど)の手伝いもする。
野菜を切ったり盛り付けられた料理をホールへ運ぶウェイトレスたちに渡したり。
時にはそのまま客に持っていくこともある。
要するに雑用係だ。
キッチンホールの雑事はとにかくなんでもやらされる。
だから覚えることは山ほどあった。
ただ、それらの仕事はほとんどが誰でも出来る簡単な単純作業だった。
元々手先は器用だし、物覚えも良い方だったので、与えられた仕事はすぐに覚えた。
1度覚えると、ミスすることはほとんどなかった。
初日が終わる頃には、なんとなくやっていけそうだと俺は思った。
そして、パチューカが懸念していた職場の人間関係だが。
幸いにも、すぐに気の合う同僚が見つかった。
俺と同じ雑用係のトマだ。
トマはこの職場においては当然俺より先輩だけど、年は俺よりかなり下で、とても気安く話しかけてくれた。
仕事も丁寧に教えてくれたし、タメ口でいいと言ってくれた。
トマは俺と同じくらい背が低く、そして俺の半分くらいの胸板の薄さだった。
いくら俺が太っていると言っても、半分ということはかなり痩せぎすだ。
かなり頼りなげに見えるが、動きは機敏で、テキパキとよく働いた。
ただ少し仕事が雑で、不器用なところがあった。
一日の内で何度か皿を割りそうになっていた。
ただ、そう言うところもトマの親しみやすさの一つだった。
トマには生来の愛嬌の良さがあった。
その他の店員たちも、概ねみんな優しかった。
大きなバルなので働いている人間も多く、中には厳しい先輩もいたが、決して理不尽ではなかった。
俺は運が良いと思った。
ここ数日、色々とあったが。
なんとかやっていけそうである。
この分なら、パチューカを路頭に迷わせずに済みそうだ。
ただ。
当然、すべての人間が俺にとって最良というわけもなく。
幾人かは、めちゃくちゃ嫌な奴もいた。
その内の1人が――
「おい、新入りのチビ」
昼の繁忙期を終え、洗い終えた皿を棚に戻していると。
第3コックのデイドロが声をかけてきた。
「はい。なんでしょうか」
俺は棚に皿を置き揃えると、デイドロの方へ向かった。
トテトテと走る俺の姿を見て、奴は、いかにも可笑しいと言う風にくつくつと笑った。
「なんでしょうか」
「いや、ちょっとタバコ買ってきてくんねーか」
「タバコですか」
「そうだよ」
「分かりました」
デイドロは金髪で背の高い、イケメン風の男だった。
耳にピアスをしていて、料理服もだらしなく着崩している。
手足が長く、スタイルが良い。
骨太でガタイも良くて、いかにも押し出しの強そうな性格をしていた。
大柄な男だが、明らかに、俺より年下だった。
俺は内心、少しムッとしながらも、パシリを了承して金を受け取った。
確かに向こうが先輩ではあるけれど。
まだよく知らないのにいきなりチビ呼ばわりしてくるし、さらにはパシリをやらせるその態度が気に食わなかった。
「あ、ちょっと待てよ」
踵を返そうとした俺は、すぐにデイドロに呼び止められて振り返った。
「なんでしょうか」
「いや、オメーよ、なんつーか」
デイドロは俺をジロジロと見た。
やがてニヤニヤと嫌な表情になって、それから鼻の下を人差し指でこすった。
「なんか、キモいよな」
「……は?」
「いや、キモすぎんだろ。チビだしデブだし、おまけに若いのにかなり頭もキテんしよ。終わってんだろ。いや、よく見たら顔もヤベーな。つーかよ、お前、本当に人間か? ドワーフじゃねーのか?」
デイドロはそう言って、1人でギャハハと下品に笑った。
うーむ。
ここまで酷いことを言われると、人間って逆に冷静になるんだな。
俺は頭の芯が冷えていくのを感じていた。
「つーわけで、オメーは今日からドワーフな」
「ドワーフ?」
「あだ名だよ、あだ名。それとも小人がいいか? ゴブリンでも良いぞ」
好きなの選べよ、とデイドロはギャハハと腹を抱えて笑った。
「……それじゃあ」
俺は再び踵を返した。
もう相手をしていられなかった。
背中から「早くしろよ」という声が聞こえた。
「気にする必要ないよ」
キッチンを出るとき、トマが声をかけてきた。
「デイドロはいつもああなんだ。本当に酷いやつだ。誰にでも口が悪いやつだから、気にすることはないから」
俺は肩を竦めて、「ああ」と言った。
トマがいて良かったと思った。
ありがとう、と言って、俺はキッチンを後にした。
この職場は。
悪くない。
実を言うと、こう思えるのはトマの存在だけではなくて。
ぶっちゃけ、デイドロなんてどうでも良くなるくらいの出来事もあって。
それは――
「あら、新入りさん。どこか行くの?」
キッチンを出てから短い廊下を渡り、ホールを横切っていると。
また声をかけられた。
「あ、ああ、ネメシスさん」
栗色の髪の少女がそこにいた。
大きくてパッチリした瞳に小ぶりな鼻。
華奢で折れそうなくらい細い割に大きな胸。
このバルの看板娘のネメシスである。
かなり美人で可愛らしい女の子。
俺は一目で気に入った。
どことなく。
アーシャに似ているのだ。
仕草や容姿はそんなでもないんだけど。
どことなく。
なんとなく。
「うん、ちょっとタバコを買いに」
と、俺は言った。
「あらあら、意外ね。えっと、リドルさん、だっけ。タバコ吸うんだね」
「ああいや、俺のじゃなくてさ。買ってきてくれって頼まれたんだ」
「あ。それってもしかして、デイドロ?」
「はあ、まあ」
俺は少し言葉を濁した。
その様子を見て、ネメシスは「やっぱり」と呆れたように肩を竦めた。
「ほんと、あいつはイヤな奴だよね。ごめんね、リドルさん」
「いや、俺は新入りだから。それに、ネメシスさんが謝ることでもないよ」
「はー、大人だね、リドルさんってば」
ネメシスは少し感心したようにウィンクをして見せた。
俺はそんなことないよと謙遜してから、
「リドルで良いよ。ここじゃ一番後輩なんだから」
「そ? じゃ、遠慮なく」
ネメシスはえへへと笑った。
「そんじゃ、リドル。あんまり気にしないでね。あいつ、誰とでも喧嘩してるから」
やっぱりそうなんだ。
俺はちょっと笑った。
じゃねー、とネメシスは手をひらひらさせながら奥へと消えていった。
その後ろ姿を見つめながら。
世の中って、そんなに捨てたもんじゃないかもなと考えていた。