8 バイト
俺は鏡の前にいた。
目を背けたかった。
勇者たちに「ブサイクだから出て行け」と罵られ。
新しい仲間を希望したら「いやあなたはちょっと」と拒絶され。
そして俺が心から信じているドラゴンであるパチューカから「キミは容姿が悪い」とズバリと指摘された。
その姿が、鏡の中に写っている。
なんと醜い姿だろうか。
こんなにも俺は悪い見た目だっただろうか。
いや、そうじゃない。
最近の出来事で、俺は自信を失っていた。
そのせいで、以前にも増して、酷い容姿であるように感じている。
――俺の見た目ってそんなに悪くないよな?
もはや、そんな考えは微塵もなかった。
1ミリも、1ミクロンも、1ナノも。
完璧に、完全に。
消え失せていた。
目を背けたい。
見ていられない。
鏡の中のこいつのせいで。
俺の人生は超ハードモードなんだ。
そのように思うと、今すぐにでも鏡ごとぶち壊してやりたくなる。
だけど。
駄目だ。
目を背けちゃ駄目なんだ。
――リドルが駄目なんは容姿のせいやけど、でも、本当のとこは、そこが主因というわけやないんや。
パチューカはそう言った。
俺の愛する相棒が、そう言ったんだ。
だから、俺はそれを信じることにした。
だから、もう目を背けない。
俺は鏡の俺を、睨み付けるように、見た。
少しでも。
"これ"をよくすることを考えるんだ。
明日。
俺はアルバイトの面接を受ける。
これもパチューカのアドバイスだ。
でも。
俺は怖じ気づいていた。
何しろ俺は、ギルドの面接を30回連続で落ちた男だ。
しかもその理由は恐らく"見た目"なのだ。
そりゃあ怖い。
怖すぎる。
面接に行くだけで、容姿をバカにされ、鼻で笑われ、そして落とされるのではないか。
ギルドで駄目なんだから。
普通皿洗いでも掃除夫でも、無理なんじゃないか。
そんな風に頭の中で悲観的妄想が吹き荒れた。
しかし。
俺はパチューカの言葉を信じている。
彼女は、続けてこうも言っていたんだ。
「ええか、リドル。リドルはこれまで、"容姿"について無頓着過ぎたんや。リドル。キミは確かに、決してカッコいいとは言えへんかもしらん。でもな、それだけでここまで嫌われるなんてありえへん。それじゃあなんで新しい仲間が出来ひんかったか。それはな、"身だしなみ"や」
そうである。
俺が面接に落ちた理由は、"生まれついての容姿"だけではなかったのだ。
俺は清潔には気をつけていた。
どちらかと言えば奇麗好きなほうだ。
しかし。
見た目にはまるで気を付けていなかった。
俺はテイマーになって、世界を救う修行に明け暮れていたから。
そんなものは不要だと思っていた。
これまでろくに鏡を見たこともなかった。
テイマーとして優秀なら、見た目なんてどうでも良いと思っていたんだ。
俺は改めて鏡を見た。
髪の毛は洗ってはいるものの伸び放題でボサボサ。
頬には山羊髭が生え放題。
眉毛も不揃いに汚らしくととのえられていない。
目には覇気がなく。
口元はだらしなく半開き。
ぶくぶくと太った顎は二重顎だ。
ザ・出来ない男だ。
「ええか、リドル。人間に大事なんは確かに中身や。でもな、初めて会う人間は、リドルがどんな人間なんか知らへんねや。リドルがどんなに優秀なテイマーだろうと、心根の優しい男だろうと、そんなの初めて会う人間はわからへんのや。いや、もちろんウチは知ってるで? リドルは本当にええ男やって。優しくて頼もしくて、そして実はとってもカッコええって。だからウチは大好きや。でもな、それはウチが長い間、リドルと一緒におるからやねん。リドルのことをよーく知ってるからやねん。初対面の人間はそんなん知らへんから、結局、リドルの"見た目"で判断するしかないねん。話せば分かる? 面接の口頭質問で分からせる? あらへんあらへん。ほんの2、30分話したから言うて、その人間の何がわかんのん? わからへんて。そう簡単には。人の内面なんてな。だから――」
"容姿を整えること"は大事やねん。
パチューカの言葉が頭の中で響いた。
俺が買ってきた就活の本。
あれには会話の受け答えしか載っていなかった。
いいや。
もしかしたら載っていたのかもしれないが、俺はろくに見てなかった。
とにかく、見た目よりも中身。
内面をよく見せることだけを考えていた気がする。
本当の俺を見せれば分かってもらえるはずだ、と。
しかし。
俺は考え直した。
パチューカの言う通りだ。
よし、と俺は鼈甲櫛とカミソリを手にした。
こんな見た目だけど。
出来るだけ、マシになるように、努力してみよう。
§
「遅いなあ」
次の日。
夕方。
すっかり日は傾き、既に外は蒼い薄闇に包まれつつある。
パチューカは安宿の一室でソワソワしながら、リドルの帰りを待っていた。
上手くやってるかな。
昨日はちょっと言い過ぎたかな。
失敗してないかな。
色んなことが頭に浮かんで、落ち着かなかった。
もし――もし、また面接に落ちて落ち込んでたらどうしよう。
ただ。
うちはイケると思ってる。
パチューカは一人でうんと力強く頷いた。
リドルは色々と抜けてるとこがあるけれど。
人間の世界では受け入れられにくいとこもあるらしいけれど。
パチューカは、リドルのことが大好きなのだ。
それは内面だけの話じゃない。
パチューカは、リドルの容姿も含めて好きだった。
そもそもが巨体のドラゴンからすれば。
人間がたかが数十センチ大きかろうが小さかろうが。
数キロ重かろうが軽かろうが。
鬣が多かろうが少なかろうが。
些末なこと過ぎてどうでもいいのだ。
どうして人間たちはこんな小さなことに拘るのか。
パチューカには、理解できない。
とにかく、リドルのことが好き。
パチューカにとっては、それだけだ。
だが、逆に言うとそれだけに。
「大丈夫かなあ」
彼女は、とても心配なのである。
パチューカは窓の外を眺めながら、もう一度、はあと息を吐いた。
上手く行くと思う。
リドルは決して人に嫌われるような人間じゃないから。
でも――心配だ。
パチューカの眺める窓外には、蒼い空に、一番星が強く光輝いていた。
「パチューカ!」
と、その時である。
突然、勢いよく扉が開き、リドルが入ってきた。
その顔を一目みて。
パチューカは泣きそうになった。
「パチューカ! やった! 合格だ! バルの店長、俺のことを雇ってくれるって!」
リドルはそう言いながら、パチューカの胸に飛び込んできた。
パチューカは両手を広げて、リドルを受け止めた。
そして震える声で、「よかったあ」と小さく呟いたのだった。