34 夢
次の日のお昼休み。
俺は小型化したパチューカと共に、俺の働き先であるバル『パリス』を訪れた。
今度の豊穣祭での催しの練習をするためだ。
今日、一段落ついたら、パリスの音楽隊メンバーたちと広場に移動して音合わせを行う。
パチューカを店に連れてくるのは初めてだった。
彼女はもしかしたら俺の職場に来ることを嫌がるかなと心配したが、そんなことはまるでなく、いっそ嬉しそうにテンションをあげて、
「ほんと!? ウチも行ってええの? はあ、なんか嬉しいな。ほら、最近、いっつも御留守番やったからさ。一人で空をブラブラするのも飽きてきてたし、すごい嬉しい」
などと目を輝かせていた。
最近、仕事が忙しくてあまり相手してやれてなかったからな。
もっとドラゴン孝行してやらないと。
「キャー! パチューカちゃんだ!」
『パリス』に着くと、パチューカを見つけるなりネメシスが走り寄ってきて抱きついた。
パチューカも嬉しそうだった。
彼女はなにか楽しいことがあると愛しそうに目を細めるからすぐに分かる。
そしてそれを合図にしたように。
パチューカの元には従業員が詰めかけた。
パチューカは一瞬にして人気者になった。
昼休憩中、ずっとみんなに触られたり可愛がられたり。
パチューカ自身も従業員を気に入っているらしく、満更でもない様子。
とにかく、突然のドラゴンの登場に、バルは瞬間的にものすごい盛り上がった。
それを、俺は遠くで体育座りをして一人眺めていた。
誰も俺を見てなかった。
なんかちょっと泣いた。
「可愛いドラゴンちゃんですね」
つと目をあげると、ソフィアが傍に来ていた。
一人ぼっちで拗ねてる俺を見かねて話しかけてくれたんだ。
「うん。スゲー可愛くて良い子なんだ」
俺は鼻声で言った。
心の中で、けどソフィアちゃんも良い子だよね、と付け加えておいた。
§
それから夕方までパチューカには店先にいてもらった。
本当は店の中で待機させたかったが、オーナーが軒先にいてもらったら人目を引くかもしれないからとそこにいるように頼まれた。
パチューカに大丈夫かと聞くとむしろ嬉しそうに「看板娘になるんやね?」などと言って胸を張った。
満更でも無さそうだった。
俺は仕事に戻った。
ランチ客と昼過ぎからグダりに来る親父客が引くまでは結構忙しい。
俺とトマは次から次にやってくる皿を洗い、拭き、棚に戻してはまた出して、コックたちへと渡して回った。
今日は明らかにいつもより多かった。
どうやらパチューカの客引き能力は相当なもののようだった。
俺は内心、誇らしかった。
あれだけ美しいドラゴンだ。
そりゃあみんな足を止めるはずだ。
一旦客足が止まる時刻になると、アスカさんがキッチンに迎えに来た。
どうやら今日は近所の空き地をわざわざ地主から借りているらしく、そこでネメシスたちとパチューカの動きを確認するらしかった。
俺はアスカさん、ネメシス、そしてパチューカを連れてそこへ移動した。
少し遅れて奏者としてミゲルと数人のコック連中がやってきた。
デイドロは来なかったのでホッとした。
建物にぐるりを囲まれた場所だった。
この街の繁華街はかなり密集していて公園以外にこんなブラックボックスみたいな広場があるなんて知らなかった。
アスカさんの合図で、早速、当日演奏する演目を実際に演ってみることとなった。
コックたちの演奏が始まる。
見事なイントロが流れると、やがてそこにネメシスの歌声が重なった。
俺はたまげた。
前回も聞いたときも素晴らしい声だったけど。
今日のネメシスは、前に聞いたときより比較にならぬほどすごかった。
高音の伸びだとかビブラートとかそんな専門的なことはわからないけれど。
どうやら彼女。
本格的に仕上げて来ているらしかった。
とにかく。
俺は泣きそうになった。
咲き乱れる満開の花を見たときや夜空に大輪を咲かせる見事な花火を見たときみたいに。
理由のない涙が込み上げて来た。
ふと見ると、パチューカさえもうっとりと聞き入っていた。
すげえ。
人間だけじゃなく、ドラゴンまで虜にしてる。
これが芸術の力なんだと思った。
これが――音楽の力なんだと思った。
「どうかな」
歌い終えたネメシスが振り返った。
俺とトマは感無量で鼻をグズリながら拍手をしていた。
「ネメシス。キミはパトロンを見つけるべきだ」
涙を流しながらそのように言った。
「そんなの無理に決まってんでしょー。私くらいの人間なんて、この街に溢れてる」
冗談やめてよ、と彼女は照れくさそうにはにかんだ。
「いいや、冗談なんかじゃないよ。この声はもっと多くの人間に聞かせるべきだ。領主様でも大商人でも豪農でも地主でもなんでもいいからさ、金持ち見つけて、どっかの楽団に入れてもらうべきだ」
俺の言葉に、トマたちも賛同した。
「無理に決まってんだろ」
声がして、みんなの視線が向いた。
コック姿のデイドロがいた。
「お前ら、あんまり夢みたいなこと言ってネメシスを惑わすんじゃねーよ。才能ってのはな、そんな貴重なもんじゃねえんだ」
「な、なんだよ。デイドロだって今の歌声、聞いただろ。どう考えてもすごい。貴重じゃんか」
「は。無理だよ。テメーらみてぇなボンクラには分かんねえだろうけどよ。"すごい"だけじゃパトロンはつかねえんだ」
「ど、どういうことだよ。実力以外に、何が必要だって言うんだ」
「ま、お前には分からねえよ。この世界が実力通り、順番で成り立ってると思ってるお前には」
デイドロはバカにしたように肩をすくめた。
俺はむっとして、思わず詰め寄った。
「嫉妬してるんだろ」
俺は言った。
「デイドロ。君は嫉妬してるんだ」
なんだとぉ、とデイドロは色めきだった。
俺は内心身が縮んだが、怯まず、あえてさらに足を一歩前に踏み込んだ。
「自分も音楽やってるから、ネメシスみたいな才能に嫉妬してるんだ。自分が無理だから、ネメシスにも無理であって欲しいんだ。だからそうやって、意味不明な難癖をつけてる」
「……舐めたこと言いやがって。ぶん殴られてえか」
デイドロは俺の胸ぐらを掴んだ。
「やめて!」
ネメシスが叫んだ。
「デイドロ。今日はやめて。今日は、パチューカちゃんとみんなで練習出来る貴重な時間なんだから」
ネメシスは今度は俺の方を見た。
「リドルとやめて。デイドロの言ってることは間違ってないから。そもそも、そんな言い争うようなことじゃないし。喧嘩なんて、バカらしいよ」
ネメシスはあははと明るく笑った。
デイドロはネメシスをしばらく見つめたあと。
けっ、と悪態をつき、俺を突き飛ばすようにして解放した。
それから空を蹴りあげるような仕草をして、踵を返して肩をいからせて歩き去った。
気まずい沈黙が広場に落ちた。
俺はみんなの方に振り返り、ごめん、と頭を下げた。
「さ、ウダウダしてても仕方ないわ」
と、アスカさんが言った。
「それじゃあ、時間が許す限り、音とパチューカの動きを合わせましょう」
彼女はパン、と手を打った。
それを合図に、全員の金縛りが解けた。
みんな、各々が準備を始めた。
「さ、始めようよ」
トマが俺の肩に手を置いた。
俺はうんと頷いた。
リドルは世間のことなんも知らん。
いつか言われたパチューカの言葉が頭に響いていた。




