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 その日の仕事が終わり、キッチンの掃除を済ませると、俺は控え室で着替えを済ませて支配人室へと向かった。

 今日はアスカさんと"豊穣祭"の出し物の打ち合わせをすることになっている。

 それからついでに、出し物の際に着るウェイトレスたちの衣装についても相談をしたいとのことだった。

 トマの提案した"ウェイトレスのビジュアルを宣伝に起用する"という案をアスカさんは採用したようだった。

 俺は内心、少し楽しみだった。

 ネメシスやアスカさんがどんな制服を着るのか、考えるだけでワクワクしてしまう。


「おう、リドル。ちょっといいか」


 そのようにウキウキした気分で支配人室へと向かっていると、背後から声をかけられた。

 振り替えると、コックの一人であるミゲルだった。

 デイドロをリーダーとしたガラの悪いコック連中の一員だ。

 同じ職場でも、俺は出来るだけ接触をしないようにしている。

 デイドロほど露骨ではないものの、やはり、彼らは俺やトマのことを見下しているような素振りがある。

 俺もトマも、あまり好きなタイプではない。

 そのような関係のため、彼から声をかけられるのは珍しかった。 


「ああ、ちょっとなら良いけど」


 まだアスカさんとの約束まで少し時間がある。

 俺がそのように言うと、ミゲルはタバコを咥えてからくい、と外に向けて顎をしゃくった。

 外に出ようという意味だと解釈して、俺は分かったと頷いた。


 店からでると、外気の冷たさに少し身を縮めた。

 裏通りに人気は少なく、近隣の従業員や酔っぱらいなどが往来をわずかに歩いていた。


「いや、別に大した用事じゃねえんだけど」


 ミゲルはたばこに火をつけ、少し辺りを気にするような仕草を見せたあと、口を開いた。


「単刀直入に言うぞ。お前、ネメシスから手を引けよ」


 意想外の言葉に、俺は驚いた。


「な、なに、それ?」

「だからよ。ネメシスとあんま仲良くしてんじゃねーってこと」


 ミゲルは不味そうにタバコの煙を吐いた。


「なんかよぉ、最近、オメーはネメシスと随分仲良さそうじゃねぇか」

「そんなことないけど。普通だよ」

「そんなことあんだよ。あのよ。ハッキリ言って、迷惑なんだよ」


 俺はムッとした。


「どういう意味だよ。ネメシスがそう言ったの? 俺が付きまとって迷惑だって」


 俺が強めに言うと、ミゲルは眉根を寄せ、俺を睨むように顎を上げて「そうじゃねえ」と凄んだ。


「そうじゃねえよ。あのな、オメーがネメシスと話していると、デイドロの機嫌がすこぶるわりーんだ。もうよ、マジ面倒臭ぇんだ」


 くそっ、といって、ミゲルは頭をかきむしった。

 

 そういうことかと、俺は得心が入った。

 ミゲルとデイドロの関係は、仲間というよりは親分と子分に近い。

 だから、デイドロの機嫌が悪いと、ミゲルにとっては災難なんだろう。


「いや、そんなこと俺に言われても。俺は普通に接してるだけだし」

「普通なら別にいいだろ。オメーだって、ネメシスとどうにかなりたいわけじゃねーだろうしよ。話すのをやめたって問題ねーはずだ」


 そんなことない。

 俺だって、ネメシスのことは好きだ。


 とは言えなかった。

 なので代わりに、「そういう問題じゃないよ」と言った。


「ネメシスは同僚なんだから。俺だって仲良くしたい。同僚として」

「同僚として?」

「うん。同僚として」


 俺は大真面目に頷いた。

 するとミゲルは、くっくと笑った。


「オメーよ。マジで狙ってんのか?」

「ね、狙ってる? なんの話?」

「いや、もうこの際、ぶっちゃけるけどよ。お前って、分かりやすすぎるぞ。バレバレだ」

「だからなんの話だよ」

「オメー、ネメシスに惚れてんだろ」


 ズバリ言われて、俺は体を固くした。

 かろうじて口を動かして「べ、別に」と言った。

 声が裏返った。


 やっぱりな、とミゲルは言った。


「あのよ、悪いことは言わねえ。やめとけ」

「別に、そんなんじゃないって」

「良いから聞けよ」


 ミゲルはなおも言い訳しようという俺を遮った。


「俺ぁよ、ハッキリ言って、オメーのことはそんなに嫌いじゃねーんだ。よく働くしよ。愛想も良い。……けどよ。どう考えたって無理だぜ」


 ミゲルは暗闇に向かってふう、と紫煙を吐いた。

 

「別にオメーのことを悪く言いたいわけじゃねーけどよ。ネメシスは、ハッキリ言ってかなりの上玉だ。あれだけの美人はそうはいねえ。そんな()い女を、オメーがなんとか出来るなんて、お前だって思ってねえだろ?」


 ミゲルは右の眉を上げて俺を見た。


「だから、もう仲良くすんのはやめとけ。どうせ無理なんだからよ。デイドロの機嫌が悪くなるだけで、だれも得しねえから」


 俺は――言い返せなかった。

 ただ黙って、俯いてしまった。

 

 ミゲルからは悪意を感じなかった。

 そのことが、彼の言葉が客観的事実であることを物語っていた。


「残念だけどよ。オメーには、ネメシスに惚れる権利はねーよ。いや、こいつは悪口とか嫌味とかじゃねーんだ。俺はよ、オメーのこと、すげーと思ってんだ。オメーみてーな見た目で、よくネメシスを狙えるよなって。ほら、ああいう佳い女には、それなりの見た目の男がつくようになってんだ。じゃなきゃ絵にならねえ。分かるだろ? 分かったら、もうネメシスにゃ近づくな。それが、お前のためでもあんだからよ」


 ミゲルはそれだけ言うと、「じゃあな」と言って踵を返した。


 彼が去ると、裏路地の喧騒が甦った。

 どこかで酔っぱらいが大声で喚いているのが聞こえた。

 饐えた臭いが鼻につく。

 瓦斯灯の光がうるさい。

 俺はしばらく、路傍に立ち尽くしていた。



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