23 デイドロ
「貧乏くせぇとこに住んでやがんなあ」
まだ招き入れてもいないのに、デイドロは勝手にズカズカと室内に侵入してきた。
それから室内を見回しながら、意味も無くチッと舌打ちした。
「何の用だよ」
俺は警戒しながらデイドロの様子を見守った。
この男。
一体、なにをしに来たのか。
つか、そもそもどうして俺の家の住所を知っているのか。
色々と思考を巡らせるがてんで心当たりはない。
俺とデイドロはこれまでプライベートな話は一切したことはない。
デイドロは俺のことを蔑んでいるし、俺はデイドロのことを嫌っている。
俺は顔も見たくない。
部屋に入られるだけで虫唾が走る。
「あん?」
デイドロはポケットに手を突っ込み、顎を上げ、俺を睨み付けた。
俺は毅然とした態度で言った。
「何しに来たって聞いてるんだ。用がないならさっさと出てけよ」
「んだぁ?」
デイドロは不機嫌そうに眉を寄せた。
「このチビ野郎が。先輩に対して、生意気な口をききやがって」
「先輩なら先輩らしく振る舞えよ。あんたなんかに丁寧な口を利く義理はない」
「んだと?」
俺の言葉に奴は色めき立った。
ポケットから手を出し、苛立った様子で右手の親指に嵌めた指輪をイジった。
「おい。その辺にしとけよ、ハゲ」
「いいから用件を言えよ。こっちはあんたの顔なんて1秒も見たくないんだ」
俺は言った。
いつになく、俺もイライラしている。
デイドロはしばらく俺を見つめた。
俺も目線を外さずに見返したので、互いに睨み合うような格好になった。
やがて、デイドロは「カハッ」と笑い声を吹き出した。
「テメーよ。よくそんなナリでイキれるよな。鏡見たことあんのか?」
「容姿は関係ないだろ」
「あるさ。オメーみたいなチビのデブが、俺みたいな奴に歯向かうなんて、見たことあるか? 人間にはよ、"キャラ"ってもんがあんだろ。オメーは端っこでウジウジしてんのがお似合いなんだよ。俺らみたいな人間に楯突くなんてのは、キャラじゃねえ」
「説明になってないね」
俺はさらにデイドロに詰め寄った。
「あんたが俺のことをどう見ようが、俺には関係の無いことだ。あんたが俺にこうすべきだと思ったことと、俺がそうしなければならないかどうかには、何の因果関係もない」
「"俺"が"お前"をどう見ているか?」
「そうだ。あんたの偏見なんか、俺の知ったこっちゃない」
「バーカ。こいつぁ俺だけが思ってることじゃない。これは、世間みんなが思ってることだ」
「なんだと?」
「おいおい。オメー、分かってねーのか?」
デイドロは目を大きく見開き、挑発するように肩を竦めて見せた。
「いいか? テメーがブサイクで、チビで、デブで、ハゲだから、つまりは醜いから、この世間の真ん中に出てくんなってーのはよ、こりゃ俺だけの意見じゃねーのよ。世間みんなの総意だ。そうだろ? 俺は悪者じゃねえ。誰よりも正直なだけだ。他の奴らが言わないことを、俺は口に出して言ってるだけなんだ。ミゲルもダイバもネメシスもアスカも、そしてオーナーも。みんなみんな思ってる。オメーはダセェ陰キャだってな。だから、テメーみてーな野郎は人生の主人公にはなれねーんだ。一生脇役だ。モブキャラなんだよ。誰も、オメーの物語なんか読みたくねーんだから」
デイドロはそこまで一気に喋ると、うすら笑いを浮かべ、ダルそうに首を鳴らした。
そして、テーブルの上にどかりと座り込んだ。
「どうした。ヘリクツ野郎。言い返して来いよ」
俺は――黙り込んだ。
言い返せなかった。
デイドロの言葉は酷いもんだった。
理不尽で。
不条理で。
とても承服出来るものではなかった。
けど。
けど――けど!
俺は思い切り目を瞑り、ギュッと拳を握った。
怒りなのか。
哀しみなのか。
正体は分からないがとにかく激しい感情が、心の奥底から噴き出してきた。
俺はデイドロに言い返せない。
――言い返せないんだ!
だって――だって、この世はこんなにも理不尽で、不条理で、そして不公平そのものなんだから!
デイドロの言う通りなんだから!
あまりにありふれすぎてるから誰も立ち止まらないだけで、この世はとてもまともなんかじゃないんだから!
――リドル、私たちのパーティーから出て行ってくんない?
俺の脳裏には、いつかのアーシャの言葉が頭に思い浮かんでいた。
そうなんだ。
俺を馬鹿にしているのはデイドロだけじゃない。
アレンも。
アーシャも。
俺を仲間にしたくないと言っていたたくさんのギルド主たちも。
みんなみんな――
俺を馬鹿にしていたんだ。
「グルルル……」
その時。
部屋の奥の方から、獣が喉を鳴らす音がした。
目をやると、小型化した竜が、デイドロを威嚇するように睨み付けていた。
ほっほー、と言いながら、デイドロは手を叩いた。
「すっげーな。本物のドラゴンじゃねえか。こいつがパチューカってやつか。小さくても、さすがの迫力だな」
デイドロはヨタヨタと歩き、パチューカに近づいた。
「しかし、聞いてたよりずっと小せぇなあ。こんなのドラゴンというよりまだほんの蛟竜じゃねぇか。こんなもんで祭りの日は――」
「近づくな」
と、俺は言った。
「パチューカに近づくな。そいつは俺の相棒だ」
デイドロは半身だけ振り返り、クハハ、と笑った。
「は。恐がるなよ。別に殺しやしねーよ」
「そんなことは心配してない。俺が心配してるのはデイドロ。あんたの命のほうだ」
「……は?」
「彼女はとても頭が良いんだ。俺の気持ちをすぐに読み取って、俺が命じる前に俺の意志を汲み行動する」
「ど、どういう意味だよ」
デイドロは急に顔を強ばらせた。
つまり、と言いながら、俺は自分の胸に手を当てた。
「つまり、パチューカが俺の気持ちを読んで、あんたを殺してしまいそうなんでね。それが心配なんだ」
「な、なんだと――?」
デイドロは再びパチューカに目を戻した。
パチューカは僅かに口を開け、デイドロを睨み付けた。
それとほとんど同時に、パチューカの身体から、凄まじい殺意が迸った。
その強力な視線に射貫かれたように、デイドロは硬直した。
そして、ガタガタと小さく震えだした。
「侮らない方がいい。パチューカは小さくても凶暴だ。この形態でも、あんたを殺すなんてのは造作もない」
俺はそう言いながらデイドロの横を通り過ぎてパチューカの元へと移動した。
そしてパチューカの頭を撫でながら、
「心配いらないよ。もうすぐ終わる。向こうに行ってな」
パチューカは俺を見て、それからデイドロを見て、そしてもう一度俺を見てから、寝室の方へと戻って行った。
「……用件を聞こうか、デイドロ」
俺はデイドロの方に振り返った。
「心配するなよ。みんなには黙っておいてやる。あんたがパチューカにビビって震えていたことは」
デイドロはギリと奥歯を噛みしめた。
それから俺の方に向かって歩いて来た。
「ふざけてんじゃねぇぞ。クソ野郎」
デイドロは怒りの形相で俺の胸倉を掴んだ。
「いいか。今度の"豊穣祭"。俺たちがネメシスのバックバンドをすることになった。だから、テメーはその日は仕事を休むんだ。分かったな」
「へえ。トマが言ってた音楽隊のメンバーってのはあんたたちのことだったのか」
「そうだ。当日は俺たちが盛り上げる。だから」
「だから?」
「だから、テメーがいると邪魔なんだよ!」
デイドロは急に大声を出した。
「なるほど。それが、今日ここにやってきた要件か」
俺ははあ、と息を吐いた。
くだらない、と思った。
「そうだよ! テメーを脅して、豊穣祭に参加させねえために来たんだ! もしも当日来やがったら、ただじゃおかねぇぞ!」
分かったな! と、奴はさらにヒステリックに叫んだ。
いつもの馬鹿にしたような笑みは消え失せていた。
なるほど、と俺は思っていた。
こいつは近頃の俺の評判にムカついているのだ。
かつて勇者ギルドの一員だった。
美しい竜を操るテイマーだった。
そして、仕事も真面目で勤勉。
チビでデブでハゲでブサイクな俺が、みんなから見直されてることが癪に障るのだ。
どうしてこんな陰キャがチヤホヤされるのか。
みんなどうかしてやがる。
もしも豊穣祭でこいつが手柄をあげたら――ますます、他の奴らからの評判があがる。
それが許せないのだ。
「考えとくよ」
胸倉を掴まれたまま、俺は言った。
デイドロはケッと悪態をつくと、俺を突き放すように手を離して、部屋を出て行った。
「……終わった?」
室内が静かになると、すぐにひょい、とパチューカが顔を覗かせた。
「ああ。終わった」
俺は肩を竦めた。
「なんや、あいつは。ほんまムカつくやっちゃな」
パチューカは怒りながら出て来た。
俺は苦笑しながら、「そうだな」と言った。
「……でもさ」
俺はデイドロが出て行った扉を見つめた。
それからある決意を込めて、
「俺、考え直したよ。お前の言う通りだ。すまない。また自分を見失いそうになってた。俺には俺の、大切な仕事があるんだ。だから俺は――」
"豊穣祭"に参加する、と宣言するように言った。




