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19 ソフィア


「ちょ、ちょっと待ってください」


 俺は思わず、ソフィアを庇うようにしてアスカさんの前に立った。


「あ、あの、クビにしちゃうんですか?」

「仕方ないでしょ。店の食材を無断で食べようとしていたんだから。これは立派な犯罪だわ」

「で、でも、この子は身寄りが無いって」

「それがなに? 可哀想だから見逃してあげろって?」

「い、いえ、それはその」

「あのね。ウチも慈善事業じゃないの。人を雇うってことは、それはその人間を信じるってことなの。彼女はわざわざ閉店後にこの店に入り込んで、明日、お客さんに出すための商品に手を付けようとしていた。これから働こうとする店に盗みに入るなんて、そんな人材はとても信じられない」


 アスカさんはそこまで一息に喋った。

 正論だった。

 責任者として。

 社会人として。

 ぐうの音も出ない正論だ。


 俺は目を伏せた。

 それでも。

 彼女をどうにかしてあげたかった。


 俺はちらとソフィアを見た。

 彼女は脅えていた。

 まるで何かを抱えるようにして、前のめりに姿勢を傾けている。


 ――いや。


 どうやら皿を一枚、実際に抱きかかえている。

 落としそうになったお皿を、なんとか一枚だけ受けとめたようだ。


 うん?


 そのとき。

 俺の頭の底で、なにか違和感のようなものが瞬いた。


 この子。

 俺たちがここにやってきたとき、どうして、キッチンの1番奥にある食器棚の前にいたんだろう。

 俺は振り返って、食材の入った氷室の方へ目をやった。

 盗むに入るなら――あそこだ。

 しかも。

 遠目に見ても、あの辺りが荒らされた様子はない。


「あの」

 と、俺は言った。

「この子、本当に食材を盗みに来たんでしょうか」

「どういうこと?」


 アスカさんは首を捻った。


「食材の入った氷室は台所へ入ってすぐ右側にありますよね。でも、彼女がいたのはこの、入って1番左の奥側にある食器棚の前だった。つまり、ソフィアちゃんは、食材の入ってる氷室の前を一旦通り過ぎてから、わざわざ1番奥にある棚まで行ったわけです」

「この部屋に入ったことがないから間違えたんでしょう」

「間違えますかね。いくら薄暗いと言っても、食器棚と氷室ですよ? 皿でいっぱいの棚に食材がないことなんて、誰が見たって一目で分かる。食材が目当てなら、こんとこに長居はせず、すぐ別の場所を物色するはず」


 アスカさんは顎に手を当て、ふむ、と唸り、しばし考え込んだ。


「……まあ、たしかにそうね」

「でしょう? というより、そもそもがおかしな話なんです。だって、オーナーの話だと、彼女にはきちんとしっかりとした夕飯を与えていたんですよね? それがお店のまかないだとするなら、恐らく、お腹をいっぱいにしてからまだ2時間ほどしか経ってませんよ。それが、こんな風に黙ってお店に入り込むほど切羽詰まっていたとは考えにくい気がするんです」


 どうでしょうか、と俺は手を広げた。


「もちろん、本当に食材を食べに来た可能性もあります。けど、とにかく、彼女の話を聞いてみましょう。クビにするかどうかはそれからでも遅くないです」


 アスカさんは額をほりほりと掻いた。

 それから、「一理あるわね」と一人ごち、唇を少し撫でた。

 これは彼女がなにか考え事をするときにたまにする癖だ。


 キッチンには、再び沈黙が落ちた。

 俺は祈るような気持ちだった。

 このソフィアという少女。

 いくつかはわからないけれど、上に見積もってもまだ十代半ばくらいだろう。

 こんな子が、家もなく路上で寝泊まりをするなんて不憫すぎる。


 お願いだから。

 問答無用で追い出すのだけは止めてあげて欲しかった。


「たしかに、あなたの言う通りね」


 やがてそのように呟く。

 それからアスカさんは、分かったわ、と頷いたのだった。



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