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16 残業


「やあやあ! 今日はいつもよりお客さんも来なかったし! まさか残業することになるなんて! 思いもしなかったなあ! 疲れてるのに、こりゃあ大変だ!」


 恨めしい言葉とは裏腹に。

 ニコニコと満面の笑顔で。

 声音は嬉しくてウキウキが止まらない、という様子で。


「いやあ、ほんと、残業なんてやりたくないなあ!」


 トマは俺たちに向かって、元気マンマンに嘆いて見せた。


「ごめんねー、トマ君」

 アスカは申し訳なさそうに眉を下げた。

「急に予定が変わっちゃったからさ」


 いえいえ! とトマはぶんぶんと大きく首を振った。


「別にいいんですよ! 僕なんてどうせ家に帰ってもやることないんですから! それに――それに、僕はアスカさんのためならいくらでも働きますしというこアスカさんのために生きていきたいですし……」


 ごにょごにょと声が小さくなり、最後の方はよく聞こえなかった。


「でも、疲れてるでしょ」


 アスカは申し訳なさそうに言う。


「余裕っすよ! ほら! なんなら、今日はここで徹夜だってしますから! なあ、リドル!」


 トマはバシバシと俺の肩を叩いた。

 どこまでも嬉しそうだ。

 本当に分かりやすい。


 しかし――と、俺はネメシスをちらりと見た。

 彼女がいるなら。

 俺も、徹夜しても良い。


 うへー、とネメシスは舌をちろりと出した。


「徹夜とか勘弁してちょ。私はチョー疲れてるんだから。ベッドで寝かせて」

「そんなに遅くならないってば」


 アスカは苦笑した。

 それじゃあ始めましょうか、と身を乗り出す。

 午後十一時過ぎ。

 俺とトマの夢を乗せた、深夜の打ち合わせ会議が始まった。


 §

 

 それから。

 まず、アスカさんは豊穣祭の出店に従事する従業員のシフトを調整することから始めた。

 とりあえず、俺とトマはその当日は終日出突っ張りということになった。

 俺は元々大した用事はなかったから別に構わなかったが、(これは後から分かったことだが)実はトマには祭りの日、所用があったらしかった。

 しかし、彼はそんなことはおくびにも出さず、アスカさんからのシフトチェンジの要請を快諾した。

 まあ、この男がアスカさんのお願いを断るはずはなかった。


 そして。

 問題の、催し事だ。


 どうやらこの"豊穣祭"というのは歴史ある神道行事であるようで、このカルストという街の飲食店においては、なかなか大事なお祭りのようだった。

 この日一日の売り上げは、この1年の店の趨勢を決めると言われるほどに、市民の関心事となっているらしい。


 故に。

 どの店もこの祭りの催事には本気を出す。


 お金をかけて、時間をかけて、出店を盛り上げるわけだ。

 もちろん、この"パリス"も同様である。

 やってくるお客さんも、まるで品定めをするかのような目利きでこのお祭りを認めている。

 このイベントに力を入れられないような店は、きっと経営もかなり危ういのだろう、そんな店はきっと料理もビールも粗悪なはずだ、と言った先入観を持たれてしまう。


 なので。

 アスカさんも、本気なのである。


「さっき急にイベンターから連絡があってさ。ほんと、参っちゃったわ」


 アスカさんは頭を抱えた。

 どうやら、当日は芸人やパフォーマーをたくさん抱えるイベント会社と提携して、かなり派手な催し事を計画していたらしい。

 歌に踊り。

 手品にピエロ。

 とにかく派手に、とにかく楽しく、店を盛り上げるつもりだったようだ。


 それが、全てボツになったと連絡がはいった。

 まさに絶体絶命である。


 というわけで。

 祭りの日までにこの"豊穣祭"をどのように乗りきるか。

 それを、これから話し合おうというわけだ。


 とはいえ、まあ、ぶっちゃけ。

 今から一から来週のイベントに間に合わせるのは。

 しかも、単なるヒラの従業員である俺たちが考えるなんてのは。

 かなりの無理難題。

 不可能指令ミッションインポッシブルではある。

 しかし、アスカさんにとっては、文字通り藁にもすがる想いというやつなのだろう。


「さあ、始めましょうか」

 アスカさんは円卓の上座に座り、俺たちをゆっくり見回した。

「なにか店のアピールになるような、それでいて大衆の耳目を集めるような、そんなアイディアみたいなものはないかしら」


 こうして。

 俺たちの長い残業が始まった。


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