ケフィア、春のパン祭り★前編
今回のタイトルが少しばかり危ないことに投稿寸前で気付いてしまった(笑)
◤ストロー◢
「どいたどいた!」
「おっとっと!?」
「ホラホラ。ぼ~っとしてると転んじまうよ?」
「いやあ~…去年の事を考えるとこの人混みぁ…まるで夢を見てるみたいでなあ」
「いやいや…藁の旦那がこのケフィアに来てから今更だろう?」
「そうだよ。終節の末日前後何てもっとすごかったじゃないのさ!」
今日は朝からこのケフィアは大変に騒がしかった。
俺の宿屋1階のダイニングから出た広場には人がごった返していらからな。きっとこの分だと夜中まで騒がしいだろう。ホントうちの宿は防音で良かったな、まあ…ベッドにさえ入れば有無を言わさず朝までぐっすり眠れるだろうけど。
今日からケフィアとその近郊では古典的な春の行事であるらしい“パンの祭り”が始まった。ここら辺の土地の作物のひとつ、雪麦を粉に挽いたものを女達がパンやガレットに焼いて皆で集まって料理を肴にエールを楽しむという数少ない祭事らしい。
まあ、問題はその規模だな。十中八九、俺の宿のせいだろうが…本来ならほんの少しの雪麦と小料理を嗜むだけの小規模なものだったらしく、長老であるラズゥが悪酔いしたとしても長くて半日で終わってしまう祭りなのだが。
ざっと広場を見渡せばケフィアの住人に加えて麓のアンダーマインやら少し離れた町ブラウンソックス辺りから来ている観光客、俺の挙式の時ほどじゃないがここケフィアに定住している元奴隷の獣人達とデス達の親類。ああ、そういやドラゴンホールの底で暮らしていた元ブラックトロールのディモドリもいたっけな。
何が言いたいかと言えばだな…この広場に既に数百人集まっている。完全に密状態だ。常時の村の住民の数倍がこの広場に集まっていることになる。
オマケに俺の宿利用者もディモドリやゴッボ達が拵えてくれた予備の椅子まで出して酒樽をテーブル代わりに祭りの料理を楽しんでいる。
マリアードによればまだ数日は人がケフィアにやって来るという話だからすごい。短くとも3日昼夜はこの状態が続くと思われると釘を刺されてしまっている。実際にマリアード達は少数の神殿戦士とドリキャス達をこの場に残して麓に下りている。どうやら交代でこのケフィアの玄関口であるアンダーマインと北方へと続く道に関門を布いてくれているようで苦労をかけてしまっている。顔を見せにきたらうんと宿の飯でサービスしてやろう。
「はいよっ!藁の旦那も熱い内にお食べよ。ウリイ達はそこの席さ、待ってるから早く行った行った!」
村の女衆の中でもこの混雑を一番に仕切るメレンの女将が俺にエールが入った木目のジョッキを押し付けるとウリイ達が待つテーブルへと尻を叩かれてしまう。
「わかったわかったから…メレン達も無理しないでくれよな? ここ最近は当たり前みたいに宿の方も手伝ってくれてんだしさあ」
「いいんだよ!旦那はどっしり構えてりゃあいいのさ。こんな祭りの日くらいアタシらや村の女達に任しときなっ!ほうら、リンもクリーも人混みにビビッてないでさっさと手伝いなぁ!こんなの王都じゃあ日常茶飯事だよぉ!」
「ひゃ、ひゃい…!」
「人がいっぱいでウチ踏んづけられそうだニャ!」
後ろ姿に手を振るメレン達が人混みの中に消えていく。俺は「ここは王都じゃないんだが…」と呟きながらもウリイ達に合流する。
「あ。旦那様!ボク達もうお腹ペコペコだよ~」
「やっと来たのかニャ~。どうせ朝からこの人混みを見てボーっとしてたんだリャ?」
「旦那様ぁ。メレンからエールは貰えましたかぁ~」
そこには俺の嫁さんが3人。だいぶお腹が大きくなったケンタウルス族のウリイとミノタウロス族のダムダ。そしてスナネコ族の獣人リレミッタだ。彼女の尾が3本になっている。恐らく、分身体を見張りにやってくれているな…。
俺は少しわざとらしい動きで椅子を引いて腰を降ろした。
「ああ、貰ったよ。ウイナンとこのエールを、な。コイツを頂くのは挙式の日以来かなぁ~」
「ストロー…それ不味いヤツじゃないかリャ? どうせ飲むなら宿の酒の方が美味いのニャ」
「リレー。駄目だよぅ、そんなこと言ったらぁ? わざわざ今回の祭りの為に麓から酒蔵の半分近い量を担いで山を登ってきてくれたんだよぉ?」
「そうだよ。…そりゃ旦那様の宿の味を知ったら、可哀相なほど差があるんだけどね。でもボクだって鬼じゃないんだ。精霊の出す食べ物に人間が勝てっこないのは子供だってわかるだろう? それなのに…リレーときたら節毎にやってくるウイナンに不味い不味いっていうからもう3回も泣かしてるじゃないか」
「だってホントのことだリャ」
「まあまあ…取り敢えずメレンやギュー達が折角拵えてくれたんだ。早速食べようぜ?」
ウイナンのエールへの酷評が続きそうだったので俺が止めた。だが、一番の理由は目の前の料理が予想以上に美味そうだったからだ。
テーブルの中央には大ぶりのバスケットがあり、その中には雪麦を使用したパンや三角形に折りたたまれたガレットが一杯入っていた。…ふうむ、見た目は緑がかった灰色だな。いわゆる黒パンってヤツなのかもしれないな。焼きたてなのか手に取るとまだ暖かい。湯気を立てているのは木皿にたっぷりとよそわれた豆と挽肉の赤いシチューだ。今年はマリアードを通じて様々な食糧や物資がアンダーマインやケフィアに集められているらしく、塩や高価な香辛料がふんだんに使われているので村人達も大喜びしていた。お。良く見れば肉団子がゴロゴロと入っている。
まあ、取り敢えずは手に取ったパンをちぎって俺の口に入れる。
「(モグモグ)…なるほど。野性味がだいぶ強いな。酸味もあるし」
「王都で出る金持ち用のパンじゃなきゃこんなもんだよ。ボク達も北方の鉱山で食べたことがあるし。まあ、あそこで食べたものより全然美味しいけどね!」
「そうだねぇ~(アムアム)」
「……アタイは肉や魚の方がいいのニャ。あんまり美味くないリャ」
リレミッタは俺の宿に来てからすっかり舌が肥えてしまったようだ。まあ、それはケフィアの住民も同じようなので…俺にも若干の引け目はあるが。というか30センチを超える大きさのパンを丸かじりで半分頬張ってるけど…相変わらず凄い顎だな。まあ、確かに悪いがボサボサしてる感はあるな。
「美味いっ! そして辛い!?」
次に木匙で掬ったシチューを口にしてから開口一番に飛び出した俺のセリフはこうだった。
「辛いのはぁ~小人の赤茄子かなぁ~」
「それにお肉も美味しいよね!さっきチョットだけ竈場を覗かせてもらったんだけど春のハーブも入ってるみたいだったよ」
「ああきっと葉っぱの筋が肋骨みたいに浮いてるヤツだリャ? アタイらも腹を壊した時は煎じてよく飲むニャ。…肉はアタイがこの前森で狩ったヤツだからまだまだイッパイあるのリャ!遠慮せずに村の皆で食うのニャ!」
3人もシチューに舌鼓を打っている。赤茄子って確かミニトマトくらいの赤い実で水気のある唐辛子みたいな感じだったかなあ…。ほぼ1年中採れる確かスンジの好物だって前に散歩中に見せてもらったことがあったな。シチューはそれらの香辛料や肉の脂身の旨味が混然としており、美味いのだが少し濃い味付けだった。
ふと、周りを伺えば皆揃って千切ったパンをシチューに浸したり、スライスしたパンに盛り付けながら美味そうに食っている。なら、俺も真似してみよう。俺はバスケット横に置いてあった小刀でパンをざっくりと切り分けると木匙でシチューを乗せて口に運ぶ。
「コレは…このパンに合うな。そして(グビリッ)…ふう。不思議とパンとウイナンのエールも合う…!」
恐らくエールの仕込みに同じ雪麦を使ってるのかもしれないな? コレは俺の宿の料理や酒じゃできない芸当だな。そもそも俺は料理人じゃないからこう言った食べ合わせといったレベルの高い真似は到底できない。……今後、もしケフィアが大きくなって宿の利用者が今迄以上に増えたなら料理人なんかを雇ってみても面白いかもしれない。そういやバーテンダーもまだ俺が適当にやってるだけだし、本腰を入れて考えてみてもいいかもしれないな…時期に俺も父親になるんだろうしなあ…。俺はキャッキャっと騒ぐウリイとダムダを交互に見る。
「…ウリイとダムダを見て、何をにやけてるんだかニャア~?」
「何だい? そんなにジッと見られたらボク達だって恥ずかしいじゃないか」
「そう言えばぁこのパンとウイナンさんのエールは合いましたかぁ?」
ダムダに言われて気付いたが、4人の中で酒を飲んでいるのは俺だけだったな。リレミッタは面白くなさそうだが、あえて今日は我慢してくれているんだろう。
「悪いな…俺だけ飲んじまって」
「いいってことさ。なんたって…ボク達のお腹の子の為だからね」
「司祭様はぁ乳酒(ほぼ甘酒味のヨーグルトみたいなもの)くらいだったら大丈夫って言ってたんですけどぉ」
「アタイも今はいいリャ。気にすることないのニャ。これだけ人が多いと…前に聞いた西方の化け物みたいな奴がフラリとやってくるかもしらないからニャ~…。いくら司祭達が頑張ってもこの世の中、わりと油断できない連中はいるもんだリャ…」
リレミッタはやや剣呑な表情になって周囲を軽く見渡す。俺も釣られて見れば広場の死角になってる場所からリレミッタ分身体がヒラヒラとコチラに手を振っていた。
思ったよりも警護にリレミッタは文字通り身を割いてくれているようだ。
「しっかし…やっぱり春のコレにはウイナンとこのエールだな」
「そだなあ」
「どうだろう!そうだろう!」
まだ陽が高いのに赤ら顔のスンジ達に満面の笑みでウイナンがうなづく。後ろを見ればウイナンの酒造所で働く若者達だろう。ヘトヘトの顔でジョッキにエールを注いでいる。そういや、前日から何日もかけて麓からエール樽を担いで運んでいるんだから…そりゃあ死にそうな顔にもなるか。それにしてもウイナンは元気だなあ。流石はドラゴンスレイヤーの子孫。
「まあ、藁の旦那の宿で出る酒と比べれりゃあ雲泥の差だが、あそこの極上の酒じゃあ…この雪麦にゃあ釣り合わねえだろうし」
「逆に旦那の酒じゃあ、折角嫁さん達が焼いてくれたパンが可哀相だしなあ…」
「つまりは唯一ウイナンとこの酒がこの1年で釣り合うってこったなあ」
「違いねえ。ガハハハッ!」
「ぐギギギぎっオギギ…っ!」
「おい…ヤバイぞ?」
「また親方が泣いちまうぞ…だが、反論できねえよな?」
「「藁の旦那と比べられたらなあ…」」
歯を食いしばるウイナンを擁護できるものは同じ工房で働いている者達にもいなかったようだ。なんか最近、ウイナンには悪いことばっかしちまってるなあ…。
「でええいっ!俺だって少しでもあの酒の味に追いつこうと頑張っての!! そんなに言うんだったらこの祭りの間だけこのエール銀貨1枚で飲み放題にしてやらあ!!」
「「ちょ!親方!?」」
ウイナンの暴走に慌てて回りの従業員が止めに入るもウイナンはジョッキを両手に暴れる。
しかし、そこへ思わぬ者からのひと声が入り、彼にトドメを刺してしまう。
「えっ…高くないっスか?」
その言葉は焦げ茶の毛皮を持った獣人…確かビーバー族のイスケト青年だったな。うん…なんというか…彼に悪気はないんだろう。 だが…。
「確かに…ここの宿じゃ、まあ俺達も未だに妖精に鼻を摘ままれたような気分だが。たった同じ銀貨1枚であれだけ上等な酒や料理を好きなだけ飲み食いできたしなあ?」
「まあ、ここだけの話…王都での噂を聞いた時は眉唾もんだったが。あそこまで凄い経験した後じゃそう思えるかもしれん」
そこに今日、正確には前日から俺の宿に宿泊していた中央の冒険者達が腕を組んで頷く。それに釣られて長年ウイナンとの付き合いのあるケフィアの住民までもが頷き始めてしまったものだからウイナンも堪らんだろう。
なんせ酒類の嗜好品はピンキリだが決して安くないらしい。ケフィアに宿を出したばかりの頃に長老がくれたあの微妙なワインですら銀貨10枚(約2万円)を軽く超える品だというから俺も驚いたもんだ。
そんな世の中でウイナンが自棄気味に提案した飲み放題は破格と言える。しかし、この場に限ってはそんな彼の必死の思いですら残酷にも打ち砕かれてしまった。…スマン、ウイナン。
「ぶっ…! ふあああああぁあああぁぁ~!!」
「泣くなよ父ちゃん!男だろ?」
「情けないぞウイナン!そんな事で挫けるでないっ!お主はそれでもオーディン家の末裔なのか!」
弱っていたメンタルが限界を迎え、泣き崩れるウイナンを叱咤激励する息子のチクアと先祖たるラズゥ。しかし、今回のウイナンは周囲がドン引きするほど酷い様だった。
だがそんな彼はその背後からの一撃で吹き飛んだことで泣きやまざるを得なくなった。
「この泣き虫!情けないったらありゃしない。皆が見てる前で大の男がなんだい? すいませんねえストローの旦那さん。うちの馬鹿が騒ぎを起こしちまって」
「……(ウイナンは気絶したのか?)いいや、俺の宿はインチキめいたやり方だからウイナン達の苦労が思い知られるよ。今日の祭りの為に色々と骨を折って貰って悪かったな? ブンコの女将さん」
「なあに、いいんですよ旦那!マリアード様から前から仕込み代やら何やらと色々と都合してもらってるんで、うちの酒造所は大いに潤ってますから。…まったく馬鹿亭主が変に負けず嫌いなのは困ったもんですよ…」
そう言って俺に指で輪っかをつくりながらニヤリとする大女…いや大柄な美人がウイナンの妻でチクアの母親であるブンコだ。恐らく一般人では破格の女傑だろう。たまにリレミッタと意味ありげな視線を交わしては互いに微笑んでいる。正直言って怖い女性だ。
「ホラ、この馬鹿は一旦私が樽に詰めて麓に持って帰るからアンタ達は残ってエールを捌きな。チクア!あんたも遊んでないで手伝いな!」
「へ、へい!」
ブンコはまるで重さを感じさせない挙動でヒョイとウイナンを担ぎ上げると俺達に軽く会釈した後にズンズンと広場脇の階段を昇っていってしまった。
因みに逃げ出したチクアも捕まって彼女の腋にガッチリとホールドされていた。必死にその場に居た村の子供達に助けを求めたようだが、マンモとナウマン達はそっと悲し気に顔を逸らしただけだった。
「凄いね。人間じゃ珍しいくらい強いんじゃない?」
「ばあ。もしかした俺ぃといい勝負かもぉ」
「……そうかもニャ」
騒然としたその場も直ぐにまた賑やかさを取り戻した。チラホラと1階のダイニングへと出入りする者達が見えてくる頃合いになると、そこからウイナンのエールとスパイスベリーのジャムを包んだ雪麦のガレットを手にしたワインとキャロットがコチラに歩いて来た。
「よお、藁男。まあ、昨日のうちから宿に人が多かったが…すげえ賑わいだなあ。王都の大市ばりの人集りだぜ?」
「おはよ」
ワインは元気ハツラツだが…キャロットが怪訝な表情だったのは察しがつく。
昨夜はワイン達に2階のダブルの部屋を宛がったからな。まあ、二人は仲の良いの男女だから俺も思い出を作って欲しいという老婆心からだった。
因みにシングルとダブルの違いはベッドの収容人数だ。ダブルには最大2名まで寝ることができる。コレは広さの問題じゃなくて俺のスキルの設定なのだ。
恐らく、ベッドでイチャコラする気だったのだろうが…悪いな。うちの宿のベッドはどんな種族のお客様にも快適で安全で完璧な癒しの安眠をもたらすベッドなのだ。上に乗ったが最後、朝までグッスリなんだ。ちなみに料金を前払いしてないなら再度支払わない限り二度寝はできないようになっている。当宿は御寝坊さんにも優しいのだ。
致したかったらフカフカの床かソファを使って貰うしかないことをそっと忠告すべきだったかな? でも余り野暮な真似はするなってリレミッタに言われてたからなあ…。
俺は丁度テーブルに椅子が2脚余っていたのでお二人さんに薦めた。
「邪魔じゃあねえのか?」
「いいってことよ。お前さん達は俺にとって特別な客でもあるからな」
「お邪魔します…」
「うんいいよ。二人のことは御主じ(ジト目を向ける俺)んんっ 旦那様から聞いてるよ。ボクはウリイ」
「お、俺ぃはダムダですぅ」
ウリイとダムダ達が自己紹介して暫し取り留めのない会話が続いた…が、どうしても俺とウリイ達のなり染め話になってしまいがちだった。
「そいや藁男…冬の間に俺達と同じ西方冒険者のアイツが来てたんだって? さっき3階のロビーでネコ獣人の嬢ちゃんが話してるのを聞いちまってなあ」
「うん。トロール級冒険者パーティ“極寒の光彩”…問題は起きなかった?」
「ああ、アイツらか…兎に角あのテレンスっていう奴のキャラが濃かったなあ。 …それにしてもうちの宿のスイートに何泊かしてったけど、良い奴らだったぞ?」
俺の言葉にワインとキャロットが口を揃えて聞き返した。
「「良い奴?」」
俺がその表情に笑いを堪えられなくなって噴き出した。
そう言えば、冬は冬で客足が多少引いたけど…別の意味で騒がしかったよなあ。
俺はウイナンのエールでシチューを救ったパンを流し込むと、あの忘れられない来訪者達の事を思い出して口元を歪めた。




