☞トリスモンドの三王子③
三王子編は取り敢えずこれで終わりです。
次回からは一気に話の内容が緩くなったり、そうでもなかったり(笑)
トリスモンド王国でも異例の処刑と粛清騒動があってから数日の王宮にて。
第四王子エリックは家老頭トニと共に兄の第二王子であるライヲンの自宮へと訪れていた。
現在王宮内は第三王子ヴェトロによる一方的な処刑や断罪によってかなり混乱しており、特にトニ達のような真に王族と国を想う懐古派と欲に溺れ、あわよくば王国を牛耳ろうとするアデク派との睨み合いが激化していた。王族の中で最も幼く武力も無いエリックにはいつも以上に近辺警護に力が入れられていた。
今日もエリックが自宮から出ると言った際にも母親である第三王妃カナーナと姉である王女シゼルから激しく反対され、行くのなら自分達とその私兵も同行すると言い出して聞かなかったのだが、エリックが向かう先はライヲンの自宮だと告げるとまるで引き潮のように彼女らは身を引いたのだった。今は亡き皇太子ジョイスと同じく老王マーポーと第一王妃との間に生まれたライヲンではあったが、聖戦士アンダインの再来と呼ばれていたのも過去の話。現在、いやだいぶ前…エリックが生を受ける前から既にその度を超えた獣人好きで王族内外で変人として知られ扱われていた。
「これはこれはエリック王子!」
「やあ、アガン」
「うむ………お主もか。ハア…まあ仕方ないライヲン殿下の数少ない私兵なのだから多少は儂も目をつむろう。しかしだ、仮にもお前は王族の宮を守る兵なのだぞ、アガン。まったくお前の父は優れた武官であったのに、さぞ死者の門で嘆かれておるぞ」
ライヲンは極度の人嫌いで唯一部下と呼べる者もこの宮の門を守る男、アガンであった。そも武人としては一流であるライヲンの下に就きたいと思う者は少なくなかった。稀代の槍術使いの前に士官を申し出る者は過去には多くいたがことごとくライヲンは追い返してしまった。そう、最大の難関は彼の王子の獣人愛を理解できるか否か。
そして、ライヲンのお眼鏡に叶い、かつ武力も申し分なかったのはアガンという男のみだったのだ。
「ハハハ…まあ、私にとってここは天国に最も近い場所なものですから」
そう言ってアガンは少し慌てて槍と盾を構い直すとともに肩に散らばっていたどこか甘い香りのする毛を手で払い落した。
つまり、彼もライヲンの同類だった。
「あー…ライヲン殿下は朝の鍛錬を終えられて自室にいらっしゃいますが~…えーと、そのぉ~」
「クスっ…構わないよ。慣れているからね」
「ううむ…」
エリックは苦笑し、トニが苦し気に唸る。どうやらライヲンはいつも通りに自室で愛人達と楽し気に過ごしているようだ。
「アガンよ。お主のような者ならばもっと上の位置に居てしかるべきであろう。どうじゃ、騎士団に戻る気はないか? 儂から騎士団長に話をつけてやるぞ」
「嫌ですよ」
アガンはこの国の重鎮であるトニに対して全く恐れなくそう言い放った。その顔には若干苛立ちすら透けて見えるほどだった。
エリック達は呆気に取られたが、トニがふと建物の影からチラチラとコチラを伺うふたりの若い獣人の娘達を見て溜め息を吐き出す。恐らく彼女達がこの男がここに固執する理由でまたあの毛の主なのであろうと。
「…もうよいわい。引き続きライヲン殿下を御守りするがよい。参りましょう、エリック殿下」
「うん。 すまなかったね、アガン。…今度、あのふたりを改めて紹介してくれるかい?」
「勿論ですとも、エリック様!」
開門したアガンはそう言って破顔した。
ゴンゴン。
エリックとトニは供回りを階下に残して宮の2階にあるライヲンの私室の前に足を運んでいた。何故か嫌な顔をするトニを制してエリックが自ら扉のノッカーを鳴らす。
程なくして息を切らして淫らな雰囲気を隠し切れていないメイリックスが扉を開いて顔を見せる。その隙間からむせ返るような汗の匂いがエリック達の廊下に溢れる。
「ハアハア…こ、これはエリック王子様!? 申し訳ありません!もう少々お待ちを…っ」
急いで乱れた服装を直した獣人のメイド頭であるメイリックスが引っ込むと、部屋の中から出るわ出るわ…乱れだ服装を直しきれていない獣人メイドが十人以上エリック達に深く頭を下げながら去っていった。それをトニはゲンナリした顔で見送り、頭痛がしてきたのか頭を抱えた。
「トニ、大丈夫かい?」
「…万が一にもカナーナ様とシゼル王女をお連れすることにならなくて良かったですな」
そんなふたりが「申し訳ありませんでした、どうぞお入り下さい」というメイリックスの言葉で入室する。既に大窓が開け放たれて換気がなされた部屋の特大サイズの寝台。その横のソファに半裸の男が堂々と腰を降ろしていた。筋骨隆々の体に引き締まった貌。金色の頭頂部はやや寂しくもあったが由緒ある王族の男がそこには居た。第二王子ライヲン・ダイン・トリス。
「邪魔をして申し訳ありませんでした、兄上」
「よい。朕としても少々羽目を外すところであったしな」
「しょ、少々…」
ライヲンの言葉に何か言いたげなトニであったが、ライヲンは気にしなかった。
「エリック。言わずとも良い。今日、朕の下を訪れたのはヴェトロの件であろう」
「…はい」
ライヲンは立ち上がると窓の方へと歩いていく。そこへそっとメイリックスが近付き絹のローブを羽織らせる。
「ヴェトロ兄上は自らを犠牲にしてアデクの根切りをするおつもりでしょう」
「朕もジョイス兄上が逝去されてから、目つきの変わったアイツを見て…そう思っていた。恐らくは目的を果たした暁には王位も放棄して、代わりにエリックを据えるつもりでいるのやもしれん」
今日のライヲンは獣人達とのやり取りで活性化しているのか、覚醒状態の継続時間が長かった。
「城の兵や騎士を件の遠征に伴わないのは…十中八九、アデク派の者が城で内乱を起こす時への備えでしょう」
「であろうな。ヴェトロが兄上を害した不忠義者達の首を刎ねたのを機に、混乱に乗じて多くのアデクの息の掛かった者が城の内外に入り込んでいるようだ」
「はい。兄上のお察しの通り、ヴェトロ兄上が処したアデクの空席を狙ってむしろ前よりも多くの者がひしめき合っています。…場合によっては、アデクからの刺客の可能性も高いかもしれません」
「……くぬぅ!」
それまで無言だったトニが悔し気に自身の腕を掴む。
「プールーの妖怪ジジイも許せぬが、最も許せぬのは儂と同じく陛下の恩情と信頼で貴族位まで得た者達が!皇太子殿下を亡きものにしたことですじゃ!! 大恩ある王族に対して恩を仇で返しおって…ぐぅぅ…!」
「トニ…」
身を震わせるトニの背をエリックがさすった。家老頭のトニは老王マーポーとは乳兄弟の仲であった。彼は先代国王からマーポーとトリスモンドを支えることを託された。そんな彼と肩を並べる貴族の者の中に今回のヴェトロの粛清によってその罪が暴かれた者達がいたのだ。
「ヴェトロ殿下を…やはり、殿下をそこまで追い詰めてしまったのは…我ら古き時代を生きた家臣のせいなのでしょうな」
「それは…」
エリックは断じて違うとは言い切れなかった。王族の中で唯一、南方の褐色の肌と銀髪を持ったヴェトロは周囲から奇異や侮蔑の視線を受けていたのは明らかだった。それもトリスモンドと争い滅びた王族と知っていれば尚更だった。
「今は時が過ぎ去るに身を任せ、備える他は無い」
ライヲンの言葉にエリックとトニは視線を送る。
「ヴェトロは今後、アデクの根深い西方からより大きな根を引っ張り出そうとしているのであろう。我らはただ邪魔にならぬようにして王都のアデク共を見張らねばならぬ。それ以外に出来る事があるとするならば…次の遠征からアイツが無事に帰還することを祈ることくらいであろう」
大窓から風が室内に入りライヲンの纏うローブの裾が踊る。ふと、ライヲンは自分に心配そうな視線を送る愛しい獣人の存在に気付いた。
「案ずるな、メイリックス。ヴェトロはあれでも兄上の…いや、朕の弟なのだ。そう簡単にやられはせんだろう」
◆◆◆◆
ヴェトロがケフィアへの遠征に出立するその日。王宮から城壁までの大通りは綺麗に掃かれ清められていた。一定の距離を保った城の騎士がその路を警護し、城壁の外にはガラの悪い数百人の傭兵達が屯していた。灰色の肌には朱色の紋様が彫られ、2メートル近い巨躯と2対の腕を持ったヴェトロが雇い入れている多腕族の傭兵団だ。
当の大将であるヴェトロは近衛騎士のピリオと共に城の広大な庭園をゆるゆると歩いていた。
「フン。流石に余がアレほどのことをすれば…見送りに出てくるほど欲張りな輩すらおらんようだな」
「左様ですね。まあ、私はむしろ清々しいほどではありますが」
「フフフ…お前も、一応はアデクの神殿騎士なのだろう? それに生臭い神官共から聞いたぞ。なんでもアデク教でも一握りしかおらぬ超能力の持ち主なのだ、とな」
「お戯れを…確かに私は“スピリット”を見る才があるようですが、最も重要視すべきは殿下を今は亡きルザ様の名にかけて御守りすることです」
「………母上か」
ピリオの口から出た人物は第二王妃であり、ヴェトロの母親であった。
「…“金は銀よりも勝るは明白”」
「殿下…そのようなお言葉を使うのはどうかお止め下さい」
「良いではないか。余と従兄弟のよしみのお前となのだからな。従者に紛れた王族の生き残り、我が母ルザの姉とトリス王族分家との間に生まれたお前と…余と同じく純粋なバルカ人の血を引くヘイスは、余によって欠けがいのない存在なのだからな」
「…………」
ピリオは黙ってしまう。ピリオもまた褐色の肌に翡翠の瞳を持っていたが、髪はトリスの王族と同じく金髪であった。そう、金の髪色だ。
かつて中央のトリスモンドと南方の王族の一角を担うバルカとの戦があった。争いは長く続いたが、停戦や友好への試みは何度も繰り返され、その時に幾度か政略としてバルカの女がトリスの民に嫁いだ。しかし、生まれた子供はバルカ同様に褐色肌と翡翠の瞳だっったが、決してバルカのような銀髪を持って生まれることなかった。これを古き時代を知る人間は理解していたのである。
そう、戦に大敗し、滅びたバルカからマーポーが亡国の姫であるルザ・バルカを第二王妃として娶った時には既に彼女が同族との間でヴェトロを胎に宿していたことを…。
「当時を知る者などもうトニ老しかおらぬでしょう」
「…それでも生き延び、そして伝え聞く者は余に恐怖しているのであろうな。いつか、この国を滅ぼし、バルカの名で支配するやも、と…フフッ。一体どれだけの人間がそのような事を本気で考えているのであろうか」
「……殿下。ヘイスは未だ若く、何も知りません。いかがなさるのですか」
「ヘイスは時期をみて余から遠ざける。ライヲン兄…では悪影響がありそうだからエリックにでも押し付ける。…無論、お前もな」
「御冗談を。陛下とヴェトロ殿下が御存命の内はそんな真似は死んでも出来ませんよ」
そんな会話を続ける内に庭園の最奥である建造物の前に辿り着いたピリオはピタリと足を止めて最敬礼をとった。
「殿下。それでは私はここでお待ちしておりますゆえ」
「わかった。少し待て」
◆◆◆◆
そこはトリス王族の霊廟だった。
庭園からの陽の光が僅かに入るそこは専属の庭師一族によって常に綺麗な状態に保たれている。花束を抱えたヴェトロの姿を見た庭師達が慌てて跪く。それを鷹揚に礼で返したヴェトロは最奥にある墓を目指して歩を進める。古参の庭師に続いて霊園に居た庭師達が外へと出ていき、霊園はシンと鎮まりかえり、微かに水路を流れる音が響くのみとなった。
ヴェトロがそこに辿り着くと既に本日の祈りが終わっていたのか、微かに香の匂いがした。恐らく、第三王妃カナーナに連れられてマーポーが来ていたのだろう。
ヴェトロは磨かれた御影石の彫刻にそっと花束を置くと跪いた。
「……兄上。お久しゅうございます。先日、やっと兄上を亡きものにした不埒者共を公の場に引きずりだし、仇を討つことが叶いました」
そっとヴェトロは彫刻のレリーフを指先でなぞる。そこには、トリスモンド国王マーポー・フリケス・トリスの子、皇太子、ジョイス・ベル・トリス、ここに眠る…そう彫られていた。
「まだ幼い私をまだ禍根が残る王宮内で一番に庇ってくれた兄上の死を早めたのは…私です。トリスモンドを我が物とせんとするアデクの悪鬼共が私に付け入ろうと兄上の命を奪ったのでしょう。母上を許し、この銀髪の私を息子と呼んで下さる陛下にはもはや死んで詫びようとも足りません…」
ヴェトロがグッと唇を噛んだ。
「幸いなことに。ライヲン兄上とエリックが双肩です。兄上には及ばずとも、あのふたりが無事ならばトリスモンドを今後守って行けるでしょう。ですが、私は…私は……!」
穏やかだったヴェトロの顔が怒りに染まり、涙が流れる。
「私は…余は、この国に蔓延るあの病魔共を許せないっ!そして、兄上を死なせてしまった自分すらも!! だから…このミスリルの鎧を民の拠り所を取り上げてまで作ったのだ!この鎧ならば西方のアデクの虎の子である“六色魔導士”の魔術すら跳ね返せる!もう少しだ…もう少しで奴らに手が届く!アデクを滅ぼし!我が民を真に害する敵を全て排除してやるっ!兄上と陛下に救って頂いたこの命…それを成せるならば惜しくなど微塵もない!! 余はその時やっと!…身内殺ししかできぬような愚かな過去の王族バルカの名を捨てて、トリス!王族に名を連ねるに足る者になろう!」
ヴェトロは迷いを断ち切ったかのように立ち上がると腰から吊っていたミスリル製のフルヘルムを被る。
そして、もう二度とジョイスの墓標へと振り向くことなくその場を後にするのだった。
後に彼は精霊の怒りを買った、最も愚かなトリスの王族。そう不名誉を残すことになったヴェトロ・バルカ・トリスであったが…その心中を真の意味で知る者は極僅かな者達だけだった。




