☞トリスモンドの三王子①
そろそろ平日に設定集を更新しないと筆者が困る(笑)
聖暦203年。
建国から2百年を超えた北ルディア中央を統べるトリスモンド王国を今なお玉座に鎮座する老王、マーポー・フリケス・トリス。その次期国王と誰もが期待していた神童、トリスモンド皇太子、ジョイス・ベル・トリスが昨年に不慮の病死を遂げた。
マーポーは既に高齢であり、余命も然程長くないのは明白であった。
故に次期国王として現在最も有力なのが第三王子ヴェトロ・バルカ・トリス。
バルカとは、南方の王族の民に名である。彼だけは他の兄弟とは異なり、南方人特有の褐色の肌と翡翠の瞳をしていた。それもそのはず、彼の亡き母親はかつてトリスモンド王国に敗れ去った今は亡き王族の姫であったのだ。
しかし、本来ならば彼よりも年上でかつ外様の血筋ではななく王族本来の血筋…つまり建国の王、聖戦士アンダインの血をより濃く引いている第二王子ライヲンであるはずだったのだが…。
その日、王都ウエンディの王宮の会議室にて久し振りに件の第二王子ライヲン。アデクの威を借ると揶揄される武闘派の次期国王筆頭の第三王子ヴェトロ。そして末弟、第四王子エリックがジョイスの葬儀以来の久しい顔合わせとなる集会が催されていた。
「…随分とヴェトロは待たせるでふね? ボクチン、退屈過ぎて疲れたでふ。 …エリック。もうボクチンは自宮に帰ってもいいでふか? 愛する妻達との時間が惜しいんでふが」
「兄上…そう言わずにもう暫し我慢なさって下さい」
でっぷりとつけた顎の肉を揺らしながら薄くなった金髪をなでつける男こそ第二王子ライヲン・ダイン・トリス。そして隣の席でそんな男を宥める少年が第四王子エリック・トリス。まだ成人間近の14歳である。
そんな彼らのやり取りを見る重鎮たちの反応は大きく分けてふたつ。マーポーの代から王家に仕えてきた者達はその王族としてのやる気を感じさせないライヲンと幼いエリックを悲観して出た溜め息が多い所謂懐古派。本来ならば、皇太子亡き今で由緒正しいふたりのどちらかに王座について貰いたいと願う者達である。
そして、どこか欲を腹芸で隠しつつもこれからの自身の得られるであろう旨味についついニヤけてしまうヴェトロ派…いや、厳密には裏でアデクと癒着した汚職者達である。
そんな締まりのない空間の正面扉が勢いよく開け放たれ、ズカズカと大人数が入場する。第三王子ヴェトロと近衛の者達であった。
ヴェトロは挨拶も無く、二人の正面の椅子にドカリと腰を下ろすと帯剣していた宝飾された剣を傍仕えの文官であろう少年にぞんざいに手渡す。すかさず逆位置に控える近衛騎士であろう男がヴェトロのマントを外す。
だが、そのヴェトロに眉をひそめた懐古派筆頭の家老頭トニが我慢できずに口を開く。
「ヴェトロ殿下。無礼ではありませぬかな? 仮にも兄君であるライヲン殿下と弟君の前なのですぞ」
「…年寄りは煩くてかなわん。だが、遅れた非礼は詫びよう。そこの獣人狂いと本の虫と違って余は多忙なのでな。ジョイス兄上が逝去されたのを切っ掛けに王都周辺の下々が反意を持ってきているのをお前達も知っていよう。余は今後の国の和を乱さぬようせわしなく様子見に出掛け働いておるのだぞ? …そんな疲労困憊の余に余りな言葉ではないか。労いの言葉のひとつくらい寄越したらどうだ。なあ、皆もそうだろう」
トニがふたりを見てせせら笑うヴェトロ達に怒りの表情を強め、「ですが…」と口を開くが、ヴェトロの後ろに控える人物がそれを遮る。
「トニ殿。もうよいではありませんか。次期国王に向っての態度ではありますまい」
「ぐっ! …アデクの回し者めが。貴様らの好き勝手に出来ると思うなよ」
トニ達懐古派が苦渋の表情を向けるのは宰相補佐のひとりの地位にまで上り詰めた老人、プールー。元は弱小貴族の出ともアデクの悪徳商人の出ともされるが、この場で最もアデクと結びついている悪党なのに違いはなかった。
「随分なお言葉ですな。…確かに、儂は熱心なアデク教信者ではありますが、生きてこの方悪事に手を染めた記憶などありませぬがな」
プールーの言葉に彼の周りに侍るアデクの有力者達がクックックッと笑い声を漏らす。
「フン!ヴェトロ殿下の影に隠れて主らが好き勝手に悪行を振るっているのは明白なのだぞ! 殿下!民の不安は殿下が連れているその者らが大元の原因なのですぞ!殿下はどう思われておいでなのか!?」
「そう声を荒げるな、お前に何かあれば国王陛下になんと余は詫びれば良いのだ。……現在トリスモンドに敵は多い。南方の逆賊共に北方の蛮族共。東には我らから逃げ延びた獣人達の反乱軍が今なお数を増やしているのは知っているな。それにだ、最も油断ならんのはガイアの徒だ。どこにでも入り込む奴らは精霊の為という大義名分すらあれば我がトリスモンドすら容易く滅ぼしかねん。特に反乱軍を擁護している点も面白くない。このままでは国の内外、敵だらけではないか。ならばせめてアデクの徒と手を取りあい、軍備を強固にせねばならん」
家老であるトニにも思うところがあるのか、悔しい顔をしながらも席に腰を降ろす。それと同時にプールー達とアデク派の重鎮達も勝利を確信したような笑みを浮かべている。
「ですが、兄上。近隣の村からは簒奪は王族として如何のものかと思いますが」
その言葉を発したのはこの場で最も幼い少年、第四王子エリックであった。
「……エリックよ。何が言いたい?」
「国を思われての視察は結構。アデクの商会を通して軍備の強化も良いと思います。ですが、兄上が視察に向われた村々から王族への嘆願がいくつも届いております」
「フン。浅ましい真似を…。だが、エリック。お前はジョイス兄上も褒めていた通り、知識に長けるが世界の実情を知らぬ。コレは余が、戦地に向かう王族が使ってこそ意味があるものだ」
「兄上が身に纏われている全身鎧…“ミスリル”を鋳つぶして製作したものでしょう? 僕も書物でしか詳しくは知りませんが、それはかつて大地の精霊たるノームが恩情から民に手渡した聖物のはず…それを取り上げるというのは…やり過ぎなのではと愚考致します」
エリックの言葉にヴェトロは大きな溜息を吐く。
「いかんぞ、エリック。知恵しか武器のないお前がその様でどうする? 精霊などという迷信を信じるというのか。精霊など単なる怪物だ。人の手に負えぬモンスターの象徴なのだ。精霊は我らを助けてはくれぬぞ。いつからお前はガイアの徒の門を叩いたのだ」
ヴェトロの言葉にアデク派の面々からは失笑が漏れる。
「……ミスリルは彼の民にとっては先祖代々受け継いできた大切なものです。それを王族が力づくで抑えていては、さらに反意が大きくなるだけです」
「奪ったのではない。王族が正しく使う為に献上させただけだ。余が東西南北を平定した暁にはこのミスリルも返却し国の財貨も好きなだけ与えると約束している!」
「兄上。ですが、簒奪は実際に行われております。特に…兄上は国の兵を使うまでもないと雇っておられる多腕族の傭兵団によって、との報告が既に得られています」
エリックの言葉にヴェトロがハッっとした顔でギョロリとプールー達の顔を横目で睨む。思わずプールー達も縮こまる。
「はあ…戦以外で貴重な兵を割けるわけにいくまい。しかし、傭兵共の士気を保つ為だ…我がトリスモンドの未来の為に多少は民達に涙を呑んで貰うほかあるま…」
「うほおおおぉ~!やっぱりボクチンの妻は最高に可愛いでふねぇ~!もう、我慢ができないでふふぅ!?」
「きゃあ!? ら、ライヲン殿下…!」
その空気をぶち破るようにしてライヲンが暴走した。彼の専属である獣人族のメイドが二人の話に飽き飽きしていたライヲンを恭しく世話していた彼女、リカオンの獣人であるメイリックス。その余りある愛らしさに我慢できなくなったライオンが彼女を抱き絞めて頬ずりし出したのである。
そのあまりの光景にヴェトロとエリックを除く室内の全員が絶句して目が点になる。
「なんと汚らわしいのか。アレでも王族か?」
「…おい、止せ」
ヴェトロは止めたが、背後のアデクの有力者のひとりはまだ言葉を続けて罵る。
「殿下から離れろ!この獣人無勢がっ!何故、栄えあるこの場に奴隷が居るのだ誰かつまみ出せ!お前の毛がテーブルクロスの上に落ちるだろう」
上機嫌でメイリックスを抱き上げていたライヲンの動きがピタリと止まる。
「ライヲン。そんないくらでも替えの効く奴の首など惜しくはないが、殺すな。床の掃除が面倒だ」
いつの間にかテーブルの上に立ったライヲンが何処かからか取り出した装飾のロングスピアで先の暴言を吐いた男の首を刺していた。 …が、血は噴き出しておらず、太い喉の血管に僅かに切っ先が触れていた。ほんの少し手元がぶれるだけで男は絶命するだろう。
ライヲンが座っていた椅子にはメイリックスが代わりにチョコンと座らせられていた。
「奴隷だと…? 朕の愛しいメイリックスを愚弄する愚か者め。貴様の汚い血で汚したクロスを洗わせることになってしまう妻達が不憫だ。二度と朕と愛しき者達の前に顔を出すな。…今度貴様が我が愛しき者を侮辱した暁には、我が槍の錆にしてくれようぞ」
そう凛とした言葉を言い放ったライヲンはまるで別人のように引き締まった顔をしており、あの刹那で突きを繰り出したのにも関わらず、足元のテーブルクロスには皺のひとつもなかった。
喉元からスッと切っ先が抜かれると、男は泡を吹きながら倒れてしまう。
ヴェトロは「もうソイツは遠ざける。連れて行け」と手を払うと同じくアデク者達が男を担いでそそくさと退室していった。
颯爽とテーブルから飛び降りたライヲンはウットリと顔を赤らめるメイリックスを椅子から抱き上げた。しかし、その瞬間には既にでっぷりとした姿に戻って気味の悪い声で笑っていた。
「……話の腰が折れたが、この際だ。アデク派の連中に言ったおくが、余は王宮内でまでアデクのやり方を許す気はない。この王宮にはライヲンの手付けも含めてそれなりに獣人が居る。先の愚か者のように振る舞いたいのなら好きにすればよいが、その首がいつまでもついている保証はせん」
アデク派の者達が若干青い顔をしながらライヲンが立て掛けた槍を見る。
そう、この第二王子ライヲン。見た目こそはアレではあるのだが、その実。聖戦士アンダインの再来とされるほどの槍の使い手だった。その実力は百人力とも千人力と呼ばれる。
なので、本当に心の底から懐古派の者達は嘆き悲しんだ。ライヲンが「王などになったら愛しい者と過ごせる時間が減る」と端から王位を蹴ったことを。
「これで良い。調子の乗る者もこれでいくらか減るだろう」
「…………」
ヴェトロは少年文官を顎でしゃくると、少年文官は剣を近衛騎士に預けて、背負っていた背嚢から大きな地図をテーブルを広げる。
「失礼します」
「…? 兄上。コレは」
「エリック。お前のことだ地理も嗜んでいよう」
「……北ルディア全土の地図ではないですね。王都ウエンディから東…テパ周辺までの地図ですか。中央にあるのはヨーグ山ですか? 大分古い…百年以上は前のものに見えますが」
ヴェトロは「流石だな」と目を細め、逆に全くもって興味を示しもしないライヲンに頭を抱える。
「この印を見ろ」
「……ケフィア? こんなヨーグの峰に村があるのですか」
エリックはヴェトロに指をさされた場所を見やる。地図の中央の山の中に赤い印がついている場所に微かにかすれた文字で“ケフィア”の文字があった。
「そうだ。調べによれば、麓にはアンダーマインなる村がある。まあ、辺境の貧しい村だろう」
「しかし…こんな場所に何があると? 山は北方にまで続く山道とあのブルガの難所の森に続く山道があるのみのようですし、人通りなど殆どないはずでは? 東も内乱以降は中央との行き来も無いはず」
ヴェトロは「フフフ…」と笑いながら、トントンと指先でその印を叩く。
「だから、お前は城外の世界を知らぬのだと言ったのだ。最近、王都では噂になっている」
「兄上。それはどのような」
「フフ…何、どうでも良い与太話の類だ。なにせ冒険者の一部でのみ伝えられているらしいのだが、聞いて驚け…なんとこのケフィアには精霊が居るらしいぞ?」
「…は?」
その話の唐突さに思わず拍子抜けになってしまったエリックの顔を見てヴェトロは思わず裏の無い笑い声を上げる。その久しく聞いていなかった笑い声で流石にライヲンすらメイリックスとの乳繰り合いを止めて静かな目線で見やった。
「ホラな? お前だって精霊など信じておらぬではないか…ただ、余はな。ここには何かあると思っている。噂ではこんな山の上に王都の高級宿にさえ勝る宿屋があり、この世の者とは思えぬ馳走や癒しを得られるとか…まるで餓鬼の世迷言だな」
ヴェトロは「だが…」と言って強く印を指で弾いた。
「…余の次の目的地は、ここだ」




