●未来編:エピソード・ブルガ
申し訳ない、新話じゃないです。
アイロス編は外伝の別作品として再編集。
未来編は閑話として解体されました(笑)
◤ブルガ出版の新人記者、ソリン◢
聖暦818年、夏。
北ルディアを統べるエヴァケフィア共和国、建国3百年を記念して我がブルガ出版から新版偉人伝記を著作する大規模なプロジェクトが動き出した。しかもだ、入社2年目の新米である僕に、国…いや北ルディアの象徴である"大精霊"に纏わる伝記の記事を書くという大役…白羽の矢がたったのだ。…正直、身に余る光栄であると共に、責任の重さに腰が引ける思いでもある。編集長は一体何をお考えなのだろうか? …まさか、やはり僕の名前を面白がって任命されたのではなかろうか。はあ、もし僕がこのまま記事を書いて行けばその内に僕の名前が出るからだろう。はあ、僕のような一般市民がだよ? あの歴史に永久に語り継がれるだろう偉人達に関わり合いなどあるはずもないだろう。
今日は北ルディアの心臓にして貿易の中心であるニューブルガの都市を訪れている。ニューブルガに来れば手に入らないものはない。と言われるほどだが、都市の3分の2がマーケットとして展開している商業都市なのだからそれも頷ける。ニューブルガの旅行は買い物で終わる、とも言われている。
だが、今回は取材できたのだ。東ルディアからの輸入品である珍しい書物や新型のドワーフ製ガジェットにはかなり心惹かれたが、これも仕事だ。仕方ないよね。
「ようこそ、本日取材を申し込まれていた方ですね?」
僕はニューブルガにあるブルガ記念資料館を訪れていた。ブルガ伯に関する資料を管理している場所で、国営の監視下に置かれていない数少ない施設だ。それに、代表責任者も精霊支族の人間じゃなくて、歴代のブルガ当主が務めているとのこと。そして、今まさに僕に応対してくれた方がその当人である。僕は膝をついて恭しく頭を下げた。
「おおっと!やめてくだされ!共和国となった折、我がブルガは初代の取り決め通りに貴族位を放棄しております故、伯爵位などもはや飾り以外の何物でもないのですから。…申し遅れました。初代から数えて12番目のブルガです。畏まった言い方をしなければ、アレックス・クー・ブルガ12世。と、お恥ずかしい限りですが…」
僕の手を取って立たせてくれたのは、優しそうな壮年の男性だった。
「本日は僕…いえ我がブルガ出版の為にお時間をとって頂きありがとうございます。ブルガ出版の記者、ソリン・マアレッド・キシリアと申します」
「ほうほう。ほ…マアレッド? さらにキシリア姓…!それにその赤と黒の毛並み…貴方はまさか北方領の?」
やはり、そう言われてしまうのか…仕方ないな。
「いえいえ!しがない一般市民でしかない僕には畏れ多い!…まったく、良く言われてしまうのですよ。まあ、こんな大層な名前では仕方ないとは思いますけど。確かに僕の一族は旧北方領の出身で間違いないんですがねえ。北方の出身の僕のようなブラックバーン族の血を引く者なら誰しも憧れてキシリア姓を名乗ったからでしょうし、恐らく僕の先祖はレッドアイス家の城で下働きでもしていたのでしょう。まあ、身分が低いにも関わらずこの名を使う事は褒められたことではないと僕も思いますがね…」
「ほう。…確かマアレッドは旧北方領の統率者レッドアイス家の女が降嫁する際に与えられる名だったと思うのだが…まあ、自由に名を名乗れる時代なのだからそういう事もあるのだろうね…」
どうにも腑に落ちなそうな顔をしながらも伯爵は顎ヒゲをしごいて元の笑顔を浮かべる。
「それにしても伯爵様の…その御髪、まさにブルガ色。まるで初代ブルガ伯のようですね?」
「ほ。っほほほほ!この髪くらいしか儂には自慢できるものがないのだよ。先々代も我が子らもこの髪質を受け継いだ者はおらんしな。だが、13番目のブルガにサウスブルガの家を任せて、ここで気楽に隠居生活を送れるのも存外この髪のお陰かもしれんのだがね…」
そう言ってはにかむ伯爵の髪は翡翠に青が混じったような独特な色合いで、初代ブルガ伯とその妹君であるプフル女史の姿絵が民衆の記憶に強い。建物の正面エントランスに飾られた初代ブルガ伯の肖像もまた伯爵と同じブルガ色の髪を持っていた。
初代ブルガ伯。多くの書物で記される"ブルガ伯"とはある人物を指す言葉だ。
その名はボーゲン・ブルガ。後に東の王家の血を引く女性を娶った為に改めた名が、ボーゲン・クー・ブルガ。最初のブルガである。
多くの歴史書にはブルガ開拓の祖。偉大なギルドマスターと主に記載されている。彼の志と成した偉業が無ければ北ルディアの商業は2百年は遅れたとも言われている。
そして伝記の胆でもあるかの"大精霊"とも親交があったのではと推察されている人物でもあるのだ。
彼の出生は未だ謎が多い。が、聖暦190年代初期には旧王都ウエンディの孤児院に妹のプフルと共に預けられていたという記録がある。成人後は直ぐに王都ウエンディの冒険者となる。
若くしてトロール級冒険者となった彼は聖暦202年、なんと単身で当時未開拓の危険地帯であったブルガ地方に赴き、ワイバーンを見事討伐し帰還している。しかし、何故かその偉業を讃える祝辞を断り、冒険者としての等級も白紙にしたとの記録が残っている。
だが、彼の偉業はむしろこれからだ。
彼はその後、冒険者支援を中心に"命大事に"をスローガンにギルド内外で尽力し、多くの人望を得る。そして、たった数年でドラゴン級冒険者に返り咲くも冒険者引退を宣言し、当年に王都ウエンディの冒険者ギルド職員となる。
その時に幼馴染みで同じパーティの斥候クロカンと結婚。更に数年後、一時的にパーティを離脱し、精霊信仰者としての旅から戻った神官モグを第二夫人として迎える。
その翌年に当時の国王エリックから第17代目ギルドマスターとして任命されギルドに尽力する。その結果として多くの冒険者、周辺住民の命を守る事となり、聖暦225年の冬にこれまでの偉業を讃え、伯爵位と土地を下賜される。彼は未開の土地、当時はまだ忌み地とされていたブルガを望み、土地名であるブルガの家名を与えられた。
その際にギルドで彼を支え続けていた存在である女性、後のパラル・クーを第三夫人として迎えた。
その5年後の聖暦230年に後任に後を託してギルドマスターの職を辞任。有志の開拓民を募り、ブルガの開拓に赴く。その際に開拓に参加した者は人間・獣人・亜人問わず数千人に昇るとの記録があることから彼の人望の篤さが解る。開拓村というよりは都市レベルの開拓が行われた。
その後、ブルガは精霊都市ケフィアの直轄地となり恐らく聖暦史上、最も繁栄した都市となったのだ。いや、未だその繁栄は止まる事を知らないと幸運にもブルガに住む僕が証言しよう。ルディア全土の若者と精霊信仰者の憧れの土地なのは間違いないのだから。
晩年、彼はブルガの商業発展へと尽力。東西の貿易行路を繋ぐ大都市へとブルガを成長させる。
そして、聖暦279年の秋。現サウスブルガの屋敷にて家族に看取られながら死者の門へと旅立っている。ボーゲン・クー・ブルガ、享年98歳。正式な記録はないが、その場には、かの大精霊とその精霊支族も立ち会ったという。
翌年の聖暦280年、彼の死を悲しんだ大精霊の命令で精霊都市ケフィアの一角に彼の彫像が建てられたという。なお現在の精霊都市ケフィアはこの国の象徴であり、共和国となってからは一般の者が出入りすることは許されていない。…僕も3百年前に生まれたかった。
「…という史実が、主だと思われるのですが。伯爵様は如何と思われますか?」
「ほうほう。やはり、初代ブルガは偉大な人物であるということだな。その末裔である我らの誇りでもある。…しかし、"俺は英雄ではない"か…」
僕は伯爵に展示されている資料を案内されながら会話を続けていた。
「と、申されますと? ブルガ伯はどう考えても英雄たる人物に思えます。僕だけではなく、ブルガに住み者達は皆きっと同じ事を言うでしょう」
「…先々代から聞いた話なのだが、初代はあの大精霊様に対して死に際にな。"あの時に戴いたこの命、精霊様に今こそお返し申し上げる"と言って笑ったそうだ…恐らくだが、初代は間違いなくかつて大精霊様と直接お会いしたことがあるのだと儂は考えているのだよ。しかもまだ無名の冒険者時代にね」
初代ブルガ伯は名を上げる前に既に大精霊と会っていた!? これは、面白い史実が書けそうだぞ!
「初代様は遥か依然に既にケフィアの大精霊と邂逅していたと!?」
「ほう。そうだとも…その確たる証拠の品をこれから貴方にお見せしようと思うのだが、どうかね?」
確たる証拠!? コレはとんでもないぞ!もしかしたら過去の歴史研究家を抑えて僕が初めて公にできる歴史的発見かもしれないぞ!? 僕は必死に頷くと、伯爵は苦笑しながら奥の通路へと僕を案内する。
「うわあ!?」
「…………」
通路の奥には一室の扉があったのだが、何故か至近距離まで近づかなければわからなかったのか…僕には理解できなかったが、扉の前に黒の頭巾を被った黒衣の戦士が直立不動の姿勢を保っていた。
「…あ!も、申し訳ありません!そ、その精霊信仰者の神殿戦士の方ですよね?」
特徴的な黒い覆面と精霊を模した黒衣は精霊信仰者の神殿戦士の装束だ。神殿戦士とは、心・技・体、全てが揃った精霊信仰者の精鋭の中の精鋭。真のエリートである。特に大精霊に対する信仰心に揺らぎはなく、不埒な真似をするような者には容赦しない。
「驚かせてすまなかったね? …彼は先に伝えていたブルガ出版の記者だ。…この先にあるものを見せたい」
神殿戦士は無言で頷くと、腕をクロスさせてお辞儀をする略式の精霊信仰者の作法をし、伯爵も淀みない動きで腕をクロスさせて会釈する。
「我がブルガ家は初代から信心深い精霊信仰者の徒なのでね。さあ、コチラだ…」
「は、はあ」
僕が伯爵と共に奥へと歩を進めると、音もなく入ってきた神殿戦士が扉を閉じて内鍵を掛ける。…そりゃあ神殿戦士が悪い事をする訳がないのは知っているんだけどね。怖いものは怖いんだよね。
部屋の一室の奥にはガラスケースに入った何か動物の牙のようなものが大事に保管されていた。…随分と大きな牙だ。…え? こ、これって…!
「は、伯爵様!これはワイバーンの牙じゃありませんか? 書物の絵で見たことがありますが…これが本物のワイバーン…!」
「ほほう。流石はブルガ出版の記者殿だな。ワイバーンの牙と解るのかね? フフフ…そうだともワイバーンだよ。今や絶滅危惧種とされる竜種だが初代の時代では人民とって恐怖の代名詞といった恐るべきモンスターだったのだよ」
伯爵は顎ヒゲを撫でながら遠くを見ながら笑みを浮かべた。
「確か…ブルガ伯が単身で討伐したワイバーンの素材の一部が他の保管所に置かれている話を聞いたことはありましたが…ワイバーンの牙は聞いたことがありません…」
「ほほ。その牙を良く見てみたまえ…」
…ん? …随分古い文字だけど、…ボー…ウギ・イン? ボーゲン!?
「これは初代の名では!? 何故こんな事を…いかにかの時代に生きた方であってもですよ? 貴重なワイバーンの牙に名を刻むなど…!?」
「ほほほ!」
伯爵は愉快そうな笑い声を上げると悪戯っぽい笑みを浮かべて口を開いた。
「そのワイバーンの牙こそ、我がブルガ家の最大の宝なのだ。その牙は…初代、ブルガ伯が死者の門に旅立った折に精霊都市より訪れた精霊支族の方から直々に、幼い3番目のブルガに下賜された…イヤ、返還された品なのだよ」
「へ? 返還? 返されたという…ことなのですか!」
「…その牙はブルガ伯がまだ無名の冒険者であった時に、自身の命を救って下さった大精霊様に献上した牙なのだよ!…しかもだ、その牙に初代の名を刻んだのは、その牙を受け取って下さった大精霊様がてずから刻んだものなのだよ…我らとってこれほど以上の誉れはない!」
僕は開いた口が塞がらない。それが余りにも滑稽だったのか、伯爵は腹を抱えて笑う。
扉の前に立つ神殿戦士の顔は、眼以外を覆面で覆われいたものの、その目元は嬉しそうに笑っていたのを僕は見逃がさなかった。




