☞宿屋で待つ者達の雑談
「………いっちゃったよ」
これはストローがウリイとダムダをカウンター奥のドアの先。通称、Pゾーンと呼称する空間に連れ立った後に宿屋に残された者達の会話である。
「大丈夫かなぁ。ウリ姉とダム姉…」
灰色が強い毛並みのネコ系獣人の少女、リンが尾をションボリと垂らして独り言ちる。その頭を横からワシャワシャとやや乱暴だが優しさを感じる手付きで撫でる大柄な赤毛のイヌ系獣人の女であるメレンが笑う。
「大丈夫さ! なんたって皆の前であんな事を言ってのけた旦那だよ。いやあ、アタシも流石に顔が赤くなっちまったよ。まあ、精霊様なんだろうがこの時勢に男であそこまでのことを女に誓うなんてねえ。アタシもあと20も若けりゃあ一緒に付いていきたかったくらいさ! リンもあと3年もすれば子供を産めるようになるし、あの二人と一緒に嫁さんにしてもらったらどうだい? アハハ!」
豪快に笑い飛ばす気風の良いメレンに周囲も表情も少し明るくなる。ただ、人間の奴隷の少女クリーは未だ心配そうにドアを見つめていた。
「…にしてもメレンの女将じゃあないが、凄かったよなぁ」
「ああ。俺達は一生言えんな、あんなセリフ」
「流石は精霊様だよなぁ」
テーブルが並ぶ食堂では女衆から離れて男の獣人達が先のことについて話していた。
この異世界グレイグスカの文明は中世よりも少し遡った程度の社会文明で長く停滞している。その要因はままあるが、最も大きな原因はやはり2百年前の悪神エイリスの引き起こした大破壊によるものが大きい。世界の半分を、人類を滅せるほどの損害を与えた影響は大きく、これが人類の営み自体を数世紀分は衰退させているのは確かだろう。場所によってはむしろ文明を捨て、原始時代さながらの生活を送る地域すら存在するのだ。
しかし、どのような世界や時代においてもやはり大まかな種族の社会意識は男尊女卑の形になり易い。ここグレイグスカの人間は特にそれが根強く、獣人・亜人もあまりそれは変わらない。ただし、獣人・亜人は男よりも女の方が強いことが多い。特に女神ジアが統治する南ルディアには昆虫の類の形質を兼ね備えた蟲人と呼ばれる種族が多く息づいているが、その男女差は圧倒的で男よりも女の方がサイズ的な意味も含めて強かった。顕著な種族では男女の対格差が数十倍以上に達する種族があるのだ。これは暗黒大陸である南ルディアから生還した別大陸の冒険者による著作物からでも広く知られている。
蟲人ほどではないが獣人も正直言って体裁上は男が上だが、実質は女がボスである場合が多い。そこで、ストローが何気なく言った言葉の重きがまるで人間とは違うものになるのだ。例えば、"一生面倒を見てやる"なんてセリフを獣人の男が言えば間違いなく獣人の女に無視されるか、酷いと張っ倒されてしまう。もっと酷いと殺される。何故ならこの世界の多くの獣では基本狩りをし、子育てやら防衛など重要な役割を果たすのはメス、女なのだ。無常だが男なぞは子作り以外にはいらないと言われると何も言い返せないのがこの世界の獣人社会の根底にある。ただ、男だって働くし、子育てにだって参加する。それは獣ではなく二本足となり言葉を話す獣人であればなおさらだ。しかし、女はその倍は働いているし、医療知識に乏しいこの世界では子供を産むのも命懸けだ。そういう点でも女に軍配が上がって当然。それは男の獣人達も余程の馬鹿を除いて了承している。だから、獣人社会では基本女が男を選んで夫とするのだ。だが、それでも女にも理想がある。それは女に守られる男ではなく、自身や家族を守り切れる自信に溢れた男である。敵の多いこの世界で、飢えさせない。安全な住処。欲しいものを手に入れてくれる。そして、どんな危険からも守り通す。獣人でなくともこの世界のすべての女が求めるものを与えてくれると言う言葉は、もはや男からの求婚以外なにものでもない。こんな事を言われてしまっては、相手が余程のホラ吹きでなければ一緒に添い遂げようとするのも致し方無い反応なのだ。つまりは獣人の女にとっては言って欲しくても聞けない愛の言葉、そう垂涎モノのプロポーズなのだ。それを言ってのける覚悟がありながら、女に求められる最も重要な仕事である子供を産むことを強制せず、気に入らなければ自由に自分の下を離れても良いなどと続けて言えてしまう男…なんという器の大きさ。ストローの言葉に獣人達はただただ感嘆の声を上げたのだった。
ただし、当人はそのような意味など考えもしなかったのが現実だが。
「ば、馬鹿!? 精霊様の許しもなく2階の階段を昇ろうとするんじゃねえ!」
「だ、だって気になるだろ?」
「…お前ら。あの部屋の奥が常世に繋がってたらどうすんだよ? 吸い込まれたって俺らは助けんからな」
「そうだぞ、黙って精霊様達が戻られるのを待つんだ」
若い獣人と村人が2階に興味があるようで階段から2階を覗いている。そして、絨毯に幸せそうに横たわる獣人と村人が数名。それを諫めるも羨ましそうにする者達が多数。そこに獣人の男イットが含まれる。ソファや暖炉、大きな窓に興味を引かれる者も現れはじめた。
「すげえ~。壁が透けてるぞ? 広場と大穴が見えらあ」
「馬鹿だな。そりゃあギヤなんちゃらとかいう透明な石の板なんだぞ?」
「この椅子回るぞ!?」
「ホントだ!? この丸い椅子は面白いな!」
遂には食堂の変わり椅子で遊び出したが、その時だった。
「ふぅあっ!!」
マリアードが床から飛び起きた。どうやら完全に気絶していたらしい。それを見た獣人と村人達は一斉に姿勢を正す。しかし、マリアードの顔が涙と汗にまみれた上に床にプレスされていた為か酷い事になっていた。運悪くそれを直視してしまった者は歯を食いしばってそれに耐えた。
「せ、精霊様はいずこか!? ストロー様はどこへ行かれた!?」
顔を乱暴に拭ってマリアードが近くの獣人に問いただす。何故か右手にはギラリと光る金属製のワンドが握られている。
「ひぃっ!? う、ウリイとダムダを連れてあのドアの奥へ…」
「精霊の領域に踏み入れたのか!? ああ、何と私は無様な…!」
更に獣人の女衆がマリアードが二人を嫁、精霊の支族として迎え入れた事を告げるとマリアードが号泣しだしたので宿に居た面々は思わず後退った。
「おおぉぉ!? まさか精霊の支族とは!! なんという奇跡!!なんという慈悲っ!! …だのに私は何故にその場に居ながらそれを見届けられなかったのだ!? この愚か者め! 愚か者め!!」
マリアードが手にしたワンドで自分自身をやたらに叩き出したが、その身体に傷はまったくついていない。ただ信じがたい鈍い衝撃音だけが部屋に響き、周囲の者を恐怖させた。
…狂信者。 誰ともなくそう心の中に思う光景であったことを加筆しておく。
そこへ急に食堂の方にあるドアが開いた。そこはPゾーンの厨房と直に繋がっている。
「いやあ~お待たせ、お待たせ!」
「「うわあああああ!?」」
ストローの突然の登場に全員が飛び上がる。そこへまるで空中を蹴る様にして移動してきたマリアードがストローの前でダイビング土下座を決める。
「不肖、このマリアード!これほどまでに己の恥を知った事はございません!! ストロー様、どうか先の痴態を晒した愚かな私を御赦し下さい!!」
「うおっ!? マリアード…どっから降ってきた? まさか2階か…あまり危ない事はしないでくれよ。まあ、俺もイジり過ぎたから悪かったな。とにかく腹ごしらえして落ち着いてくれ」
ストローは奥からワゴンを運んでくる。慌ててマリアードや周囲の者が配膳を手伝おうとする。
男達は並べられる料理に釘付けになっているが、ストローの側に女達が寄ってきた。
「あの…す、ストロー様。その、ウリイとダムダは?」
次の料理を取りに戻ろうとするストローにクリーが小さな声で遠慮がちに問いかけた。勇気をだしたのだろう、小刻みに体が震えている。
「いやねえ、旦那。この子はあの二人を心配してるんですよ。生娘の具合はいかがでした?」
いやらしい笑みを浮かべてメレンがクリーを庇うように肩を抱く。
「ああ、色々あったが無事に終わったよ。…今は二人とも休んでるからな。明日には顔を出せるかもしれないな」
ストローが少し照れた顔で答える。
「え!ちょいと早くないっスか…?」
先程の失言から皆に責められた男がまた無意識に口を滑らせていた。この焦げ茶の毛皮を持った獣人はよほど正直な男なのだろう。
Pゾーンと地上での時間の流れは異なる。その為、宿に残された者にとっては、ストローが二人をドアの奥に連れていってからまだ15分ほどしか経っていないのだ。
またもや沈黙が場を支配し、すかさずマリアードが影絵のような動きでストローの視界から隠すように男の前に移動する。その顔は恐ろしいほどの笑顔をたたえている。
「(※超小声で)一度ならず二度までも… 改心…なさりたいのですか…?」
凄まじい殺気を放つマリアードの右手の裾から鈍く光るワンドが見える。
「ああ~そっかそっか、その辺の説明からしようか」
相も変わらず特に気にしない男、ストローは頭を掻きながら皆に説明しだした。




