☞マリアードの試練①
スピリットが可視化するシーンでは魔王ム●ーのあのBGMを流したい(笑)
聖暦202年。夏の中ほどを過ぎたことである。
建国から2百年を超えた北ルディア中央を統べるトリスモンド王国。その次期国王であるトリスモンド皇太子が不慮の病死を遂げ、王国内外の混乱の兆しがより濃く漂っていた。
各所に無数に存在している隣人。精霊信仰者の密偵達がもたらした情報によれば、皇太子ジョイスの死にはアデク派の勢力の息が掛かっていることはもう調べがついていた。
現国王陛下、老王マーポーと皇太子は悪行の温床となるアデクを元より快く思ってはいなかった。アデクにとって、このふたりを排す事が叶えば北ルディアの裏も表も牛耳ることがより容易となるだろう。そして、それはもはや成されようとしている。
次期国王として現在最も有力なのが第三王子ヴェトロである。彼は王子たちの中では最も軍拡派であり問題行動が近年目立つ。中央外の東西南北の国々に軍事的な圧力をかけており、近年緊張が高まっている。さらに悪いのが、アデク派の貴族の大半が彼に付いていることだろう。
アデク教は人間という種族においては他の教派を凌ぐほどの勢力圏を持っている。その成り立ちの歴史に不明な点は多いが、"獣人は罪深き存在、その獣人を救済する為に獣人を正しく導くのがアデクの努めである"という教義の下、多くの獣人を支配下に置いている。しかし、その多くが奴隷という労働力として人間達の生活を支え日夜犠牲となっているのが現状である。そして、奴隷商や他の犯罪組織がアデクの名を盾に各地で暴虐を働いているのである。まさに、他派の教徒からは人間の汚点とも言える。しかし、少数ではあるが純粋に獣人を救いたい、また獣人も生まれ持った罪を清算し、次の人生では人間として生まれ変われると信じる者もまた存在しているのだ。
だが、この世界では最も古く、信仰が深い精霊信仰者達はアデクに対して大いなる怒りと懸念を持っていたのだ。それは"愚かな者達の行いが精霊の怒りを買い、人類は今度こそ見捨てられる"というものだった。
彼らの言う精霊とはその名の通り、彼らにとっての信仰対象そのものである。多くの教派は主神マロニーやその他の女神を尊ぶ。しかし、精霊信仰者は地上には直接干渉することはない女神よりも、その代行者であり、自身にとって身近な存在たる精霊を恐れ敬う者達である。そして精霊だけでなく女神達の産みの母である大地そのもの。地母神ガイアの名の下に世界の安寧を願う信徒である。
その信徒のひとりであるマリアードはその日、王都ウエンディと彼が身を置く寒村ケフィアのあるヨーグとの中ほどにある精霊信仰者の秘密の集会所に足を運んでいた。
マリアードは精霊信仰者でも有数の位を持つ人物だが、元はアデクの若き枢機卿候補であった。しかし、聡明であった彼はアデクの実態に失望し、十数年前にアデクと決別し、偉大なるガイアの下へと付いたのだった。現在は王都から追放された司祭としてあの辺境の地へと送られた体裁としているが、彼の本当の顔と目的は精霊信仰者の者以外は知る術もない。
「ブラザー・メイジ……いや、今はマリアード司祭であったか。貴殿をかの大地の精霊ノームのおわす霊峰よりここに召喚した件についてだが…わかるか?」
薄暗い集会所の中心人物がマリアードに向って口を開く。マリアードは静かに腕のクロスを解くとそれに答える。
「はい。ヨーグの峰より周辺の様子をここ十年伺っていましたが、ほんの数日前…召喚を受けヨーグを下りたその時、ブルガの方から微かにですが…スピリットの乱れを感じました。ここまでの道中、周囲の獣たちもやや落ち着きが見られませんでした。…なにか得体の知れない存在を感じているかのような」
マリアードの言うスピリットとは魔力ではない別次元の力を指す言葉だ。他の教派においても、最も精霊という存在に近しい精霊信仰者でも、厳しい修行を積んだ限られた者しかその力を感じることができないとされる。
「…やはりか。本来であれば、貴殿の下に我が神殿戦士を走らせたかったのだが…どうにも最近、王都周辺でアデクの動きが怪しさを増している。…貴殿も耳に入っているやもしれぬが、かの第三王子が王城の宝物庫を勝手に開け放ったばかりか王国近隣から精霊様からの遺物を簒奪しておる…!」
マリアードの後ろからバキンッという音が聞こえる。マリアードの左後ろに控えていた神殿戦士、巨躯のブラザー・ダースが乳酒の入った杯を握り砕いてしまった為だった。その覆面から覗く瞳はあまりの怒りでワナワナと震えていた。
「……怒りを鎮めなさい。ブラザー・ダース。皆、お前と同じ気持ちなのですからね。…精霊様の遺物。ということは精霊銀、ミスリルを集めて回っているということ…元々ミスリルは精霊ノームの持ち物です。…過ぎたる強欲は、いずれ精霊の怒りを呼ぶでしょう…!」
「…そうだ。しかし、第三王子の私兵はアデクの悪を共にし、多くの傭兵を飼いならし、罪なき獣人を盾にしている。現状、うかつに我らも手出しが出来ぬのだ…」
薄暗い集会所が沈痛な感情に支配される。しかし、場の中心人物が頭を垂れないマリアードの瞳を真っ直ぐに見据える。
「だが、試練の時は訪れたのだッ! マリアードよ、貴殿が懸念した通り巫女のもとへ、かのブルガの森からケフィアの地へと精霊が降臨されるとのお告げがあったのだ!」
「なっ…!?」
その言葉には流石に常に表情を崩すことない男でさえ絶句させるのには十分だった。
「精霊…ということはあの地を治めるノーム様、ということでしょうか?」
「かのノームは霊峰の下にて山の支柱を成される存在…地上に出ることは叶わぬだろう。残念ながら、降臨されるのは恐らく…新たな精霊である可能性が高い」
その言葉にマリアードは我慢が出来ずにその場を立ち上がる。新たな精霊…それは女神達から地上へと遣わされたもの。そして、それは女神の代行者としての使命を帯びている。千年前。かつて、北ルディアの南方には中央を遥かに凌ぐ文明国家があった。所説あるが精霊ノームから神の知識を盗んだことにより急激な発展を遂げた種族だというのだが、助長したその者達は他の大陸に攻め入るどころか、女神の神域すら侵そうとしたという。その所業に怒った女神はその地に精霊を遣わした。炎の精霊、サラマンダー。その精霊はその地からあらゆるものを燃やし尽くしたという。そして、世界すら手に入れられるほどの力を持った大国はこの世界から姿を消した。
その新たに遣わされた精霊の真の目的は人類には到底わからないだろう。しかし、かの炎の精霊と同じ目的であるならば、今度こそ北ルディア、いや世界から人類を消し去ってしまうやもしれないのだ。
「…ブラザー・ダース。シスター・ベス。私達は一刻も早くケフィアへと戻ります。私達の足であれば2日で村まで戻れるでしょう。…覚悟は良いですね!」
マリアードは鬼気迫る顔でふたりを見やる。覆面と装束を身に纏ったふたりは立ち上がって頷く。その手は極度の緊張からか微かに震えている。無理もない。殆どの精霊信仰者が願っても逢いまみえる事など叶わない、自身たちが恐れ敬う存在とこれから邂逅するのだから。
「マリアード。我らの運命は地母神ガイアと共にある。何も畏れることはない。もし精霊様が滅びを望むのであれば…我らは喜んでこの身を捧げようぞ。…精霊と共にあれ」
「「精霊と共に…」」
集会所の全員が印を結んだあとで腕をクロスさせ深く頭を下げる。
「感謝します。我らは常に精霊と共に…」
マリアード達は同じ所作で頭を下げると集会所を足早に去った。
◆◆◆◆
ケフィアを目指し、休みも取らずにマリアード達はまるで途中の雑木林や小村を信じられないスピードですり抜ける。マリアード達は精霊信仰者の中でも特殊な訓練を積んだ精鋭の中の精鋭だ。肉体の強さや能力の高さは常人とは桁違いであり、それ故にこのような人間離れした動きが可能であった。
「マリアード様。何者かが近づいてきます」
「…どうやら兄弟姉妹達のようですね」
先頭を行くマリアードの側にブラザー・ダースとシスター・ベスが近づき耳打ちする。そこへ程なく覆面を被った装束の者達が現れたので、マリアード達は足を止めたが、近づいてきた同胞達の様子があからさまにおかしい事に気付いた。
「…兄弟姉妹達よ、どうしたというのです」
「マ、マリアード様!どうかお助け下さい!」
「我らはもうあのヨーグには恐ろしくて近づけません…!」
マリアード達は涙ながらに訴える精霊信仰者達の話を聞いた。ケフィアには純粋な心根の村人達しかいない。しかし、いつでも影ながらマリアード達、ガイアの徒は村人や山へと逃げてきた獣人達を悪意ある者達から守る為に必ず数名の精鋭達を山の入り口に潜ませていた。
だが、マリアード達がケフィアを立って数日後に異変が起きた。ヨーグの頂、ケフィアの村の方角からスピリットが津波のように押し寄せ、周囲のモンスター達が一目散に逃げだしたという。様子を伺いに山へと向かおうとするも、精鋭達は壁の様に迫るスピリットに恐怖し、身動きが取れなくなってしまったというのだ。
「……遅かったか。ブラザー・ダース!シスター・ベス!急ぎますよ!」
マリアード達は風の様に走った。余計なトラブルを避ける為に、麓の村であるアンダーマインを避けて別ルートから山を登ろうとしたのだが…
「…………ウッ…!!」
「マリアード様…」
ブラザー・ダースとシスター・ベスは動きを止める。平静を保つマリアードですら額から一筋の汗を流した。
「…これが精霊のスピリット、ですか。私も始めてで動揺を隠せませんが… まるで、山々をスピリットの海が覆っているようですね…」
マリアード達にはケフィアを中心にまるで七色の巨大な水球が憑りついているかのように見えていた。
「…これから私達はガイアの側近くへと向かいますが、ブラザー・ダース。シスター・ベス。貴方達はまだ若い。無理をして私に随行することはありませんよ」
「そんな事はできません!」
「私を拾い育ててくれた司祭様の恩を返すまでは、私はどこまでも司祭様についていきます!」
ふたりが震えながら、まるで幼子の様にマリアードに縋りつく。それを見たマリアードが実に優しい笑みを心から浮かべる。
「私はガイアの徒の代表として精霊の下へと行かねばなりません。もう、戻る気など私にはありません。…あのスピリットが肺臓を満たせば、そう長くは正気を保てませんよ? それでもあの地へ行く覚悟はありますか?」
ふたりは真剣な眼差しでコクリと頷く。
「そうですか。…では、私の愛する愛弟子よ。共に参るとしましょう。我らガイアの徒の旅の終着点へ…!」
マリアード達は意を決してヨーグの山を登る。…陽の光は既に昇り始めていた。