グエンの正体
やっと雨が終わったと思ったら…今度は暑い(^_^;)
「ククク…クックックッ……」
ケフィアから麓のアンダーマインへと降りる山道をひとり、異様な雰囲気を隠すこともなくその両の腕に目立つ入れ墨を持った大男が歩いている。
何が可笑しいのか頻りに口端を歪めて不気味に笑い声を漏らす。その顔はどこか恍惚とすらして焦点も合っていなかった。
こんな人物を見掛ければどんなに胆が据わった人間でも思わず逃げ腰になるだろう。
だが、幸か不幸か男の下る最近整備された山道で鉢合わせる者はいなかった。
もう徐々に昏くなる黄昏時ならば珍しくない。
だがそれは平時であり、かつストローが未だケフィアに来る前ならばの話だ。
現在は山頂近くの村ケフィアでは数少ない春の催し物の真っ最中。しかもストローのもたらしたものによって例年では考えられないほどの大規模なものになった。当然、そうなれば普段山道を通らない時間帯でも人の行き来が途絶えることもそうない…はずなのだ。
だが、麓のアンダーマインが微かに望める緩やかな道に入ってもその大男の口から漏れる笑い声が周囲に静かに残るのみであった。
「……御機嫌よう。随分と機嫌が良いようですね。それならば、ケフィアに身を置く者としては重畳です」
背後からの声に大男の脚が止まる。大男は声がした方へと相変わらず不気味な笑みを浮かべてゆっくりと振り向いた。
「おうとも!こんなに気分が良いのは久しぶりだぜぇ」
「私はマリアード…まあ、名乗らずとも既にご存知であると思いますが。冒険者のグエン様…いえ、アデクの最大戦力“六色魔道”が一色、紫魔導士。“宣教師”ジャドウルフ」
グエンが振り向いた先にいたのはケフィアの追放司祭マリアード。それと両隣にはブラザー・ダースとシスター・ベスの姿がある。
だが、正体を難なく言い当てられたグエンの笑顔は崩れなかった。むしろ口端が大きく歪んで真っ白な歯が覗く。
「おう。オレっちを知ってんのかい? いやあ~歴代の精霊信仰者の中でも最強と言われるアンタ相手だと光栄だなぁ~」
「フフ。私などまだまだ未熟の極みですよ…」
「まったまたぁ~~~! んな事言われてらオレっち達みたいな半端者にゃ立場が無いぜぇ?」
グエンが大袈裟に両腕を広げて笑ってみせる。
「ところで遥々西方から参られたようですが、どんな心変わりでしょう? …貴方は金さえ渡されれば、どんなアデクの非道にも喜んで手を貸すと存じています。その実績も…」
「ああ? そりゃあ…オレっちは金が好きだからよぅ。アンタら人間は金が全てだろう。大好きなんだろう? 盗んだり、殺して奪ったり…他人の命なんぞよりもずっと大切だろう? だからオレっちは金さえ払えば獣人だろうが老人だろうが…子供を抱えて命乞いする女さえこんな酷ぇ世の中らきれいさっぱり! …消してやってんのさ」
グエンはまるで当然と胸を張って自慢するかのようにマリアード達に向って自身の仕事の尊さを語った。
「では。何故…ケフィアではそうしなかったのです? 貴方は単に観光する為にアデクから金を受け取った訳ではないでしょう」
「そりゃそうだ。だがあの村のもんでオレっちが救う必要のある奴はいなかったんでな。まあ、村の外から来てた連中は知らねえがな。 あ、でもあのブドウ髪の若造はなかなか今後が楽しみな価値はあったなあ~。見掛けたことがあっから恐らく西方の冒険者だな。あそこはゴミ共の溜り場なのによぅ、傷付かず濁らずに大したもんだぜ…」
グエンは何かを思い出したかのように目を細めて顎を扱いた。
「ケフィアで事を起こさなかったのはあの村にアデク共が利用価値を感じたと?」
「金さえ手に入れば女子供まで喜んで……この悪魔めっ」
普段、神殿戦士として暗黙の振る舞いとしてできる限り沈黙と感情を表わさない二人が珍しく怒気を孕ませてグエンに苛立った言葉を放った。
だが、これもまたヘラヘラと笑って返すかと思われたグエンの反応は極めて静かだった。
静か過ぎて恐怖を感じる程に…。
「「………っ!?」」
何が彼の琴線に触れたのは判らないが、そこに居たのは先ほどまでの不気味で軽薄な男ではなかった。
怒りでも悲しみでもない。二人に向けられれるのは純粋な嫌悪感。その眼からはまるで嫌いな虫を見るような…むしろその低俗さを哀れむものすら感じさせる。
グエンのその豹変ぶりに思わず二人は半歩後ろに下がってしまうほどだった。
「おお…グェンマリダ! 自身の真の価値を知らぬ愚かな者達に、卑しき者達に救いを与えるべきなのか…どうか、どうか…この羊飼いを御導き下さい」
グエンはブツブツと何かを呟きながら自身の逞し過ぎる腕で自分を抱きしめる。いや、抱きしめたのはその鋲打ちの皮着の中のものかもしれない。
「百年以上前に多大な犠牲を払いながら東ルディアから海を越えてこの地に辿り着いた“宣教師”の生き残り…。貴方達が慕い崇める聖母は、あの大破壊の後で更に荒廃した東ルディアに姿を現した。そして民を人とも思わぬ王族貴族達に真の人の価値を説いた。嬲られ、両目を潰され、裸にされて大衆に見世物にされてなお嗤って王に取り引きを持ち掛けたと。……それから暫くしてその大国は滅んだそうですね? 無人の都に金貨の山と無残な姿になった王ひとりだけを残して。そして彼女と彼女を慕い交わり、その血を受け継いだ者達は忽然と東ルディアから姿を消した。その後、その話は東ルディアでは最大の禁忌とされ、周辺国は大いに彼女達の存在と所業を畏怖した。…そう、悪魔グェンマリダ…と」
マリアードは大きく息を吐きながらグエンに向ける視線を強める。顔を覆っていたグエンが大きく溜め息を吐きながら苦渋に満ちた顔をマリアードに向ける。
「悪魔だと? 愚かな事を…。悪魔と呼ぶに相応しいのは、自分以外の民を欲に駆られて、“人間ひとりを金貨1枚に換える”ことを喜んでやった卑しい王を名乗る者達、人間だ。我らが聖母はただ、その卑しき様を哀れに思ってその愚行を微笑んで見届けただけのこと。……“人間の価値は金貨1枚であれば良い。”そしてこのジャドウルフは聖母の十番目の息子として、最後の羊飼いとしてこの地で“卑しき者に正しい価値を教える”仕事を誇りを持って遂行しているに過ぎない」
グエンの肉体が薄っすらと赤く光る膜に覆われている。
「人の価値とは誰が決めるのか? 精霊も女神も人間の価値など見出してはくれぬぞ? それは聖母の教えを受けた我らが羊飼いが決めることだ。私は聖母の教えに従って自身の価値を金貨1枚と定めている、が……精霊に縋る愚か者共。お前達はこの場で自身の価値を知る覚悟があるかね?」
グエンの目が黒と金色に変わる。咄嗟にブラザー・ダースとシスター・ベスが空を蹴って距離を取り戦闘態勢になる。
「…およしなさい。彼に力で抗おうとしても無駄です。そういう次元の力ではないからです」
「その通り。流石は金貨3枚と銀貨75枚、銅貨64枚だ。……安心しろ。私は自分より価値のある者に手は出さない。…だが、残念ながら残りの二人は違う。女はアデクへの嫌悪とそこの司祭への想いでややくすんでいる。価値は銀貨で80と少し…男の方も同じくアデクへの憎しみで歪んで輝きが酷く損なわれている。せいぜい銀貨60…65枚か。どうした? 大切な身内…目の前で父親がアデクの傭兵にでも殺されたか?」
「なっ!? ご、誤解ですっ!マリアード様っ!」
「コイツ…俺の記憶を…!?」
グエン…いや、人間の振りをした悪魔が無表情から残忍な笑みを浮かべている。
「落ち着きなさい。コレ以上の言い争いは無意味…我らはストロー様とケフィアの者達が害されなければそれでよいのですから」
「「…………」」
二人が武器をしまうとグエンはつまらなそうに自身を覆っていた光を解いた。
「なんでえ…やめんのかい? まあ、オレっちとしてもそこの二人を今、消しちまうのは勿体ねえとは思ってたんだが…近い内にその汚れが落ちれば少なくとも金貨1枚にはなるはずだろうしなあ~…まあ、どうせその汚れの原因はオレっちの獲物だったし…」
グエンは口調も雰囲気も元に戻ってマリアード達に向って背を向ける。
「じゃあな。おおっと、そうだ。アンタ達に忠告だあ。……さして時間を置かずに此処に中央の連中がアデク野郎の傭兵を連れてやってきやがるぜ。備えとくんだな。…オレっちもあそこは気に入ったから銅貨の価値もねえような小汚い連中を近づけたかあねんだがよう。その中に何人かだけ金貨1枚以上の奴らもいるから手を出さないって決めてんだ、悪いな?」
「「っ!?」」
「それは有難い情報です、ね…ジャドウルフ。貴方は金さえ払えば誰の味方もなさるのですよね?」
マリアードの言葉にグエンが振り向く。
「おうとも。アデクの大将からはそれなりに金を貰った。ま、帰りにブラブラしてく旅費以外は全部広場に居た可愛い嬢ちゃんにくれちまったがな!ガハハハッ」
「では、この金で私に雇われては下さいませんか?」
マリアードの手元にはいつぞやストローから放って寄越された金袋がズシャリと重い音を立てていた。
グエンが眉間に皺を寄せて値踏みするようにマリアードの顔色を窺う。
「……感心しねえなあ~。聖職者がオレっちみたいなもんの手を借りる為に金を使うのかい? アデクの腐れ坊主共のように?」
「勿論。ただの金ではありません。……あの御方が。我らのストロー様が役立てよとお預けになったものです。私にとっては身を切り刻むよりも重い報酬を差し出しているつもりです」
マリアードが見た目よりも遥かに金貨と財宝が収納されているマジックバッグをグエンへと投げ渡す。グエンはつまらなそうに中身を覗いたが大きくその目を見開いた。
「ウハッ!なんじゃあコリャ!? この中身で金貨と宝石の山が出来るぞ? こんなものをポンと寄越すたあ~流石は精霊っ! 自分の価値を解ってやがる! 自分の本当の価値を知った者はこんな金属片なんとも思わねえもんなあ! ウハハッ…ヒーヒッヒ!!」
グエンは狂気じみた涙を流しながら地面に笑い転げ出した。マリアード達は暫し呆然とそれを眺めていた。
グエンはストローを精霊と呼んだが、マリアード達は既にグエンはストローの正体を知っていて近づいたものと確信していたので特に動じることはない。
「…満足する金額であったようで幸いです。最後に…あなたにはあの村の住民とあの御方が、どのような価値あるものとして映っていたのですか?」
「ヒー!ヒーヒッ…」
マリアードの問い掛けに馬鹿笑いをピタリと止めたグエンがゆっくりと立ち上がってケフィアの方に視線を巡らした。
「オレっち達の言う事は誰にも理解できねえし、同じ光景は見れねえ。だから、聖母様が羊飼い達の前から姿を消した後、その教えを広めようとした兄弟は…オレっち以外皆死んだ。いや、聖母様の下へ還っていっただけなのか? まあ、いずれオレっちも羊飼いの仕事を果たせばわかるんだろうが…」
「…………」
「太陽」
「ん? なんと申されたのか」
「太陽…羊飼いは太陽を畏れる。母と信仰する存在から金貨1枚の価値ある者であれと言われ生きている俺達はその価値を落とされまいと、自身の細かい傷や汚れまで見透かすあの光がこの上なく怖い。…だが、同時に永遠に手が届かぬあの光は憧れだ。あそこに生きる者達は穢れない日の光を浴びて…まるで互いを照らして輝く無垢な宝石だ。金貨数枚で買えるその辺の石コロじゃない。この地では僅かに見掛けるかそうではない希少な魂の輝きがあそこに守られるようにして集まっている。だが、それもそのはず……あの場には太陽と同じ価値を持つ存在がいたのだから。俺は長く生きている…精霊を見るのは初めてじゃない。確かに精霊は大いなる存在だったが、俺の目にはどれもくすんで見えた。あの太陽ほどの価値はない」
グエン…いやケフィアに向って黒い眼を向けた光に憧れる悪魔は恍惚とした表情を浮かべていた。
「太陽はこの羊飼いの土で汚れたこの手を迷わず手に取って下さった…っ!心が震えた!! そして、我が聖母の存在を始めて目にしたというのに…我が聖母の望みを見事に言い当てた!!私の気持ちがお前らに解るかっ!? 私はあの場でグエンという冒険者の皮を脱ぎ捨て泣き叫びたかった!!太陽の前で跪いてしまいたかった!!」
グエンは涙を溢れさせながら絶叫を上げた。まるで心の底から大罪を嘆く咎人のように。
不意にズシャリとマリアードの手にあの金袋が滑り落ちてきた。その袋はちっとも軽くはなってはいないように思える。
「この羊飼いは正しき愛ある地主から確かに仕事の報酬を受け取った!最後の羊飼いとして罪なき無垢な羊達を安息の地へと導かん!ああ!グェンマリダ!羊飼いは正しき報酬を受け取り旅に出ることが叶った…!羊を盗もうとする卑しき者に救済を!おお!我らが聖母、グェンマリダ…」
その声で一瞬、手に落ちて来た金袋に気を取られてしまったマリアード達が咄嗟にグエンの方を見やるも姿は既になかった…。
ただ、やっと止まった時が動き出したように闇に染まるヨーグの山道に、あのグエンの笑い声が木霊しているような気がした。