1.人生終わった。そして始まった
1.人生終わった。そして始まった
「終わった……本気で異世界に来てる。マジか? どうしよう部長に連絡もできない……これ明日の出勤時間までに帰れるか?」
俺は、スマホの画面右上に表示された圏外の文字に、絶望で頭を抱えながら呟いた。
スマホの表示は午前1時だというのに、目の前に広がるのは見渡す限りのまっ昼間の草原。
元の世界と確実に違うと判断できる物体がぽよんぽよんと俺の隣を通り過ぎていく。
初心者向けですよ、と言わんばかりにあちこちにぽよんぽよんと半透明で緑色のスライム的な物体が跳ね回っている。
俺はズボンのポケットにスマホを突っ込むと、近くに来た一匹を両手で掴み上げる。
思ったよりも弾力があり、液体というよりは固体、水気がないけどしっとりとしたこんにゃくのゼリーという感じ。
バレーボールサイズの体にデフォルメみたいな顔がついており、ぐにぐにと体を揉むと( >ω< )みたいな表情をしている。
なんだこいつ可愛い。あとやたら手触りが良い。
「これはプルンという最下級の魔物ですね。……どうしました? 安藤さん。そんな一心不乱にプルンをこねこねして」
俺はプルンを抱えながら、声をかけてきた彼女の方へ振り返る。
そこにいたのはDEM……にしてはなんか小さくなってるな。
先ほどのDEMが大人の女性だとすると、こいつはせいぜいが中学生くらいだろう。
「あー、DEMさんの妹さんでしょうか」
「いえ、本体はあの場所から離れられないので、サポート役として私、軽量型デウス・エクス・マキナ・ライトが派遣されました。機能はオリジナルには劣りますが、同一人物と考えてもらって構いません。DEMちゃんとお呼びください」
大人モードの時と変わらず無表情の少女が、大分薄くなった自分の胸を叩きふんす、と息を鼻息を荒くする。
つかなんだよDEMちゃんって、馬鹿にしてんのか。
「そうか、それは良かった。サポートってことは、俺が困ってる事の手助けをしてくれるって事でいいか?」
「はい! 私の事は初めて表計算ソフトを開いた時に出てくる、例のイルカのような物と考えてください! なお消す設定はありません!」
「お、おう最近はあのイルカもめっきり見なくなったし、さすがにお前を消す気もないけど……それよりも元の世界に今すぐ帰りたいんだけどどうやったら帰れる?」
スマホの時計が正確なら、今から帰れば問題ない。
俺は一縷の希望を込めて少女に問いかけた。
「帰れませんが?」
「え?」
「あなたは既にあちらの世界のアカシックレコードから抹消されています。つまり元から存在しなかった事になっています」
元から存在しない?
どういうこと? じゃあ俺の仕事はどうなったの?
「えっと、さらに嚙み砕いて言えば、元の世界にあなたは生まれていない事になっています。だから戻れませんし、会社に安藤さんの席はもうありません」
なるほど。つまり仕事が云々以前に、そもそもあっちに俺はいなかったわけだ。
じゃあ俺が今までやってきた仕事も、育ててきた部下も、進めていた大規模なプロジェクトも、なんも無くなったわけだ。
「ああああああああああああああああっ!」
俺は叫びながら手元のプルンに顔を突っ込む。
「ぷぎゅい!?」
「安藤さん!? どうしたんですか急に!?」
プルンに口を付けたままのため、俺の唸り声は謎言語として出力される。
そもそも、まともな事を言う理性が残っていないためあまり関係がない。
プルンは俺の口撃がくすぐったいのか俺の手から逃げ出そうともがいているが、俺の精神安定のためにもしばらくこのままにさせてほしい。
つかこのまま窒息して気絶したら元の世界に戻れたりしないかなぁ。
「安藤さん!? 何か悩みがあるなら聞きますから!! 一人で抱え込まないで! さぁ!」
こ、この野郎……!
がばっ、とプルンから顔を上げて、俺は少女へ叫ぶ。
「誰のせいだと思ってるんだよ! 元の世界にいられなくなるって分かってたら進化しなかったわ!」
彼女はきょとん、とした顔で(相変わらず無表情だが)小首を傾げる。
「えっ、でも進化しなかったら安藤さんそのまま死んでましたよ?」
「えっ、何それ怖い」
それも初耳である。
「いやだって、安藤さん過労で心臓麻痺起こして倒れた直後に、商品を卸しに来たトラックに轢かれて私のところに来たんですよ」
「……記憶にないんだが」
俺の記憶ではコンビニを出た直後にあの空間に居たはず、あれ、本当にそうだったか?
意識した途端、なぜか記憶が曖昧な状態な気がしてきた。
「まぁ即死だったので安藤さんの感覚的には連続していたのかもしれませんね」
「即死というかダウン追い打ちくらってるんだけど」
そういえば、コンビニから出た直後になんか倒れたような気が……。
本当に死んでたのか?
じゃあもう仕事とか意味ないじゃないか。
「マジか、死んでたのか。しかも過労死とか、俺自分では全然元気だと思ってたのに」
「元気な人は毎日エナジードリンクを何本も飲みません」
「なんだよ別にいいだろエナドリ好きなんだから」
さて、俺がもう死んでたのはちょっと、いやかなりショックだし未練もあるが、立ち直りが早いのが俺の良いところだ。
深呼吸を一回。
よし、立ち直った。
俺はDEMに向き直り、親指をぐっと立てる。
「DEM、助けてくれてありがとうな。俺はこっちの世界で改めて働き口を探すぜ!」
「ちゃんを付けてください。……過労死してもまだ働く気ですかあなたは、スローライフとかしてもいいんですよ?」
DEMが俺を憐れむような眼で見てくるが、冗談じゃあない。
「普段から信者に信仰されているだけの神様には分からんかもしれんが、働くというのは人から必要とされるという事だ。忙しいというのは自分を必要としている人が多いという事だ。働けるのに働かないのは自分の価値と他者の信頼を見失うことだ。社長が言ってた」
まぁそれ言ってた社長も重役達も勤務時間中暇そうにしてたけど。
「そういう風にブラック企業で洗脳されてたんですねぇ……いやいい言葉かもしれませんけどサービス残業や休日無いのは明らかにダメですよ」
「うるせえな、お前もしかして労基の神様か?」
「機械神です!」
無表情のくせにギャーギャーうるさい小娘は置いといて。
さて、これからこちらで仕事を探すわけだが、こっちの世界にはどんな仕事があるのだろうか……。
あ、こいつ俺のサポート役って言ってたしこいつに聞けばいいんじゃないか?
「なぁDEM」
「DEMちゃんですが、何ですか?」
「この世界ってどんな仕事があるんだ? できれば学歴不問、資格不問、経験不問がいいんだけど」
なんせこっちの世界の学校には通っていないし、資格もない。IT企業以外の職歴もないのないないづくしである。
「そう、ですね。まず身分証として冒険者ギルドでステータスカードを作ってもらって、その内容次第で出来る仕事が変わってくると思いますよ」
また知らない単語が出てきた。
冒険者ギルドはアレだろ、派遣会社みたいな所だろ。
「冒険者ギルドはなんとなく分かるけど、ステータスカードってなんだ?」
「氏名、現在の職業、犯罪歴、身体能力を表す8つのパロメータの数値、持っているスキル一覧が記載されるカード型の身分証ですね。」
なんだそれ凄い便利だけど個人情報ダダ洩れじゃん。
「それって俺でも取れる? 日本語の氏名とか書かれたらこっちの世界では色々不味い気もするんだけど」
「カードの記名内容については申告制なので偽名でも大丈夫ですよ」
なら大丈夫そうかな? でっかい方のDEMがいうには人とほぼ変わらん事が出来るらしいし。
「じゃあとりあえず一番近い街に行ってそのギルドカードとやらを作ろうか!」
「あ、待ってください。街に入るのに身分証がないと金銭や、それに代わる物品が必要になりますよ」
げっ、金が要るのか。
財布にいくらあったっけな……ってあれ?
「なぁDEM。俺のスーツと財布とカバンとコンビニで買った商品しらない?」
いまのいままで気づかなかったが、俺の恰好は今、THE・旅人の服! みたいな服装だし手持ちの荷物もなんかこっちを見て「どうしたのー?」って表情を浮かべてるプルンくらいのものだ。
「基本、持ち込みできないようになってますからね。ちなみにその服と下着はこちらの世界の一般的な服装で、私からのサービスです」
そういやDEMもイカれたSFから中世ヨーロッパに居そう、くらいには衣装が変化している。
「あれ、でもスマホはあるんだが」
片手でプルンを抑えたまま、さっきまで見ていたスマホをポケットから取り出す。
相変わらず圏外の表記と狂った時間が表示されているが、電池はまだ100%の状態だった。
「それ、見た目は安藤さんのスマホのままですけど、実際は安藤さんの体の一部ですよ。今は元のスマートフォンの機能を再現していますが、設定すればこちらでも色々な用途に使えるようになりますよ」
俺の体の一部って、何それ怖い。
そういや大体の家電にできる事が出来るとか言ってたな……。スマートフォンも家電の一種だと考えればまぁそういうもんか。
「じゃあ街に入るにはどうすればいいんだ? 他になんもないぞ」
さすがに来ている服や自分の体の一部のスマホを渡す訳にもいかないだろう。
「簡単です。魔物を何匹かぶっ殺して素材として持ち込みましょう」
「何それ怖い」
「ぷきゅい」
あくまで無表情のまま、淡々と提案をした彼女に俺と俺の手の中のプルンは戦慄したのだった。




