壁
「それで、これから僕らはどうしたらいいんですか」
京子さんが懇切丁寧に説明してくれたおかげで、今ここで何が起きているのかは理解できた。だけど本当に大事なのはここから。状況を把握したうえで、僕らはいったいどうすればいいのか。
京子さんは顎に手を当てしばらく沈黙した後、
「警察を呼びに行くわ」
そう宣言した。
僕は少し驚いて、「本気ですか?」と尋ねた。
「さっきまであれだけ警察を呼ぶの嫌がってたのに、どうして急に?」
「仕方ないでしょう。ここに集まった霊能力者相手に私たちじゃ太刀打ちできないんだから。今後の対応は死ぬほど面倒だとは思うけど、警察でも呼んで盤面を一度ひっくり返さないと。何か文句ある」
あっさり前言撤回したことを責められていると感じたのか、少し怒ったように彼女は言う。だけど僕に異論などあるはずもない。
「京子さんがいいなら、僕としては何も文句はないです。というか、僕は最初から呼ぶ気でいましたし」
クラーラさんの登場で有耶無耶になってしまったが、元から須藤さんを助けるため山を下りるつもりでいた。
京子さんに手を引かれた際に須藤さんを部屋に置いてきてしまったため、今から山を下りても助けられる可能性は限りなくゼロになってしまったが。
「ただ、山を下りるならやっぱり美智雄さんの協力が必要じゃないですか? 僕たちだけで今から山を下りるのは危険ですよ」
「その必要はないわ」
京子さんはポケットからスマホを取り出すと、それをシャカシャカ振って見せた。
「大山祁山は高木が多くて視界が悪いし、かなり急峻な山だけど、標高自体はそこまで高くないわ。何より町から遠く離れた場所ってわけでもない。ここはまだ圏外みたいだけど、もう少し下っていけばどこかで電波が通じるようになるはずよ」
「そう言えば京子さんスマホ持ってましたね。やっぱり困ったときに頼りになるのは霊能力より文明の利器でしたか」
「その言い方は少し癪に障るけど、まあそうね。てなわけで、下の方に向かうわよ」
夜の山が怖くないのか、彼女は迷いない足取りで獣道を進んでいく。
僕もはぐれないよう、慌てて彼女の後ろをついていった。
スマホの画面を時折見ながら歩くこと数分。僕らは並んで立ち止まり、唖然とした表情を浮かべ目の前のモノを見つめていた。
「これ、何ですか……?」
「……壁、でしょうね」
「壁って……この山一帯を覆うほどの規模のものが? そんな急に、どうして」
「そんなの、私たちを逃がさないためでしょう」
僕たちの目の前には、昨日この山を登ってきたときには絶対に存在していなかった、五メートル級の銀色の壁が、見渡す限りどこまでも続いていた。
おそるおそる触れてみたところ、傷一つない滑らかで冷たい触り心地。見た目に反し柔らかい――などということは当然なく。殴る蹴るはもとより、近くに落ちていた太い木の棒で叩いても破壊することは叶わなかった。
僕は持っていた木の棒を投げ捨てると、京子さんを振り返った。
「取り敢えず壊すのは無理そうです。そっちは電波繋がりそうですか?」
「全然だめね。というかここまでしてきてるのなら、電波妨害もされてるとみた方がいいでしょ」
「そんな……。じゃあもう、完全にお手上げじゃないですか」
希望が見えず、僕はその場でへたり込む。しかしそんな僕とは違い、彼女は絶望などせず今まで以上に頭を働かせていた。
一切思考を止めようとしない彼女を見て、途方に暮れているだけの自分が恥ずかしくなる。とはいえこの狂った常識の一切通用しない状況を覆すアイディアなど思いつく気がしない。
ただ実のところ、一つだけ、今の状況を打開しうる方法がなくはない――のだが、それは僕自身にとっての最終手段であり、なおかつ事態を好転させるどころか悪化させかねない方法なのでやりたくない。
まして師匠のいない今、成功したとて僕が僕として戻って来れる保証もない。
人任せで申し訳ないが、ここは京子さんのサポートに徹しよう。そう結論付ける。サポートするも何も、彼女が今何を考えているのかさえよくわかってないけれど。
「えーと、京子さん、今何か手伝えることあります? というか今は何を考えておられます?」
「記者殺害事件についてよ」
「あ、そこからですか」
その件はついさっき解決したばかりじゃなかったか。いや、早くもその推理は否定されたのだ。何せこんな所業を一晩でやってのけた以上、犯人は人を操る程度の能力でなく、個人でもっと強大な霊能力を持っていることが証明されてしまった。
となれば当然、最初の事件である三浦さん殺害事件についても考え直す必要が出てくる。ただ、もともと彼については誰に殺されていてもおかしくないという結論だった。犯人が強大な霊能力を隠し持っていると分かった今、なおさら考えても答えは出ない気がするが。
「ああでも、そう言えば一つ気になってたことがあるんですよ」
「何ですか」
こちらに顔を向けないまま、声だけ返ってくる。
こちらも特に気にせず疑問を投げかけた。
「別にたいしたことじゃないんですけど。三浦さんが崖下で死んだふりをしてるのを発見したあと、誰が崖から降りようとする美智雄さんを止めたんだろうって。美智雄さんならあのくらいの崖は余裕で降りられるって知らなかったんですかね?」
「うん? それは勿論……」
京子さんは口を開いたまま、唐突に固まる。かと思うと体を折り曲げ、「くっくっくっ」と笑い出した。
「ああ、なんでこんな簡単なことに気付かなかったんだろう。そりゃそうか、こんなの深く考えるまでもないじゃん」
急に何か思い至ったらしい彼女の様子に、僕は目を瞬かせる。
そんなヒントになるような疑問を投げたつもりはなかったが、彼女はどこに引っかかったのか。
僕が詳しく聞こうと口を開いた直後、ゾクリと背筋が震えた。




