仮説
自分の弟子が死にかけているのに、なぜ笑っているのか。
訝しんだ視線を向けられても気にした様子はなく、クラーラさんはずかずかと部屋の中に足を踏み入れる。
ぐるりと部屋内を見回すと、笑顔で京子さんに声をかけた。
「あなたですか? 守平君を殺害したのは」
「ち、違います……」
流石に髪を下すのは間に合わず、京子さんは俯いてごまかす。
幸い彼女の正体に気づくことなく、クラーラさんは僕へと視線を向けた。
「では、恭一郎君が彼を?」
「ち、違いますよ! それより美智雄さんを探すのを手伝ってください! 今すぐにでも――」
「っ! 逃げますよ!」
「へ――」
急に走り出した京子さんが、僕の手を取り部屋の外へと飛び出す。
何が何だか分からず理由を尋ねようとするも、「話は後で!」と遮られる。
彼女はそのまま出口に向かい、端に並べられた自身の靴を一瞬で履いた。僕も慌てて靴を履こうとするが、焦っていてすぐには履けない。
焦れた彼女の顔がどんどん険しくなっていくなか、何とか履き終え「だ、大丈夫です」と声をかける。
それと同時に再び走り出した彼女についていくさなか、僕は一度後ろを振り向いた。
視線の先には、緩慢な動きでちょうど部屋から出てくるクラーラさんの姿があり――なぜ京子さんが逃げ出したかの理由を悟った。
森の中までもう一息となったところで、人影が視界をかすめる。
それに気づいた京子さんは警戒した様子で足を止めた。
彼女の緊張が僕にも伝わり、警戒心を露に人影を見つめる。しかし、現れた人物を見てほっと胸を撫で下ろした。
「美智雄さん、こんなところにいたんですね」
この場にあっては誰よりも頼りになる人。
霊能力者としてのしがらみを他のメンバーほど受けず、それでいて圧倒的な強さを誇る。
こちらの尋常でない雰囲気を察したのか、美智雄さんは首を傾げながら近づいてきた。
「一体どうしたんだい恭一郎君。それに……とよさん、かな? かなり見た目が変わっているが」
「それが、僕らも何が起きたかよく理解できていないんですけど……。取り敢えず須藤さんが大変なんです! 突然全身から血が――」
そこまで言ったところで、僕は口を閉ざした。というか閉じざるを得なかった。
というのも再び京子さんが僕の手を取り、美智雄さんを避けて森の中に駆け出したからだ。
振り払いこそしないものの、流石に意味が分からない。
僕は彼女に向かって、「なんで逃げるんですか!」と叫ぶように尋ねた。
「私たちの身が危険だからよ」
すぐさま京子さんから返答があるが、それだけで納得できるわけがない。
「だからその理由を聞いてるんです! 京子さんは何か気づいてるんですよね! 須藤さんが突然傷だらけになったのも、クラーラさんがナイフを使って僕らを殺そうとしたのも! まさか美智雄さんも何かあるんですか!?」
ついさっき、家から出て振り返った僕の目に映ったのは、ナイフを持ち薄ら笑いを浮かべているクラーラさんの姿だった。
いつの間にあんなナイフを取り出したのかは分からない。だけど京子さんが僕の手を取って逃げ出したのは、彼がそのナイフで僕を殺そうとしていたからに違いないだろう。
僕とクラーラさんは仲が良かったわけじゃない。だけど、殺し殺されるほどの因縁は一切ないはずだ。
一体、この山で何が起きているというのか。
京子さんは今度は口を開かず、一瞬背後を振り返る。
それから「完全に二人だけになったら話すから、今は信じて付いて来て」と言ってきた。
本当に、何が何だか分からない。
僕は沈黙で彼女の声に応じ、数分の間、行き先もなく森の中を突き進んだのだった。
「流石に、ここなら誰もいないでしょう」
周囲を数度見まわしてから、京子さんは大きく息を吐きだした。
僕もその隣で荒い息を吐きながら木にもたれ、「それで、いい加減話してくれますか」と問いかける。
真夏にもかかわらず、鳥の囀りも虫の鳴き声も聞こえない清閑な森の中。背丈の高い天然の傘が月明りを遮るため、山頂よりもずっと暗い。
音も光も薄れた世界はどこか現実感が乏しく、冥府に迷い込んだような気分になる。
その感覚は京子さんも同じようで、軽く腕をさすりながら彼女は口を開いた。
「今から話すことはあくまで仮説よ。それも最悪の。だから正しいとは限らないし、むしろ間違っていてほしいと思ってる」
「前置きはいいです! それより早く――」
「人を操る能力」
僕の言葉を遮り、彼女はぴしゃりと明言する。
「そう言った類の霊能力を持った人が、この中に紛れ込んでいる。そして私たち霊能力者を全滅させようとしている。それが私の考えよ」
「そんな馬鹿な……。いくら何でもファンタジーすぎじゃ……」
そう呟く一方、頭はその可能性がゼロでないことを理解していた。
これまで培ってきた常識が、超人たちが集結したこの場所では通じない。普段なら一笑に付すことが、容易に起こりえる。
認めたくはない。認めたくはないが、認めない限りここから生きて帰ることはできないと、本能が告げている。
僕はいったん彼女の言葉を呑み込み、その思考を辿った。
「……人を操る霊能者。もし本当にそんな人がいるとすれば、こうして誰もいない場所まで逃げてきたことも、美智雄さんからすぐに離れたことも理解できます。……でも、なんでそんな仮説に至ったのか分かりません。超能力じみた力をありとするなら、他にいくらでも可能性は考えられると思いますけど」
そんな僕の疑問に、京子さんはこともなげに答えた。
「簡単な話よ。未遂を含めて、ここには最低三人の人殺しがいるからよ」




