疑われたとしても
噴水のように噴き出る血の雨。
それは時間にして一秒程度のこと。だけど、僕には永遠のように感じられた。
永遠に等しい一秒が経過した後、須藤さんはゆっくりと体を傾け、そのまま受け身を取ることもなく床に崩れ落ちる。
全身に彼の血を降り被ったまま、僕は黙ってそれを見つめていた。
時間が停止したかのように、何もかもが動きを止めた部屋。
しかしそんな時間は長くは続かず。誰かが異変を察知したのか、扉を叩く音が聞こえてきた。
「あの、何か変な音が聞こえた気がするのですが……」
ゆっくりと扉が開き、それと同時にとよさんが顔を覗かせる。
部屋の中を見た彼女は驚いた表情を浮かべた後、そっと扉を閉め、倒れ伏した須藤さんの元に近寄った。
自然な動作で薄い手袋をはめ、呼吸と脈の有無を確認する。それから服をまくり上げ、体を調べ始めた。
「全身に切り傷と刺し傷あり。露出している部分だけでなく服の中にまで。だけど服には一切裂けている場所は見られない。傷の深さは薄皮一枚程度のところもあれば、数センチ奥まで刺さった深い傷もある。でもどの傷も乱れた様子はなく綺麗なもの。抵抗した痕も見られない……」
ぼそぼそと独り言を呟いていたとよさんは、あらかた気になることを抽出し終えたのか、髪をかき上げ京子さんへと姿を変える。そしてようやく、血まみれで立ち尽くしている僕へと視線を向けてきた。
「で、何があったわけ」
「……分かりません」
思考がまとまらない。
あまりにも唐突な出来事。
前触れも何もなく、本当にいきなり、須藤さんの全身が裂け始めた。
一体何があったのか? そんなこと、僕が一番知りたいくらいだ。
投げやりな気分で彼女を見返すと、冷たい視線を注がれた。
「別にあなたの見解は求めてないわ。ただ見たこと、聞いたことをありのままに答えなさい」
「ありのまま……。じゃあ、話してたら、突然須藤さんの体が裂け始めて、そのまま倒れました」
「ふーん、あなたがやったわけじゃないのね」
「僕が? ああ、言われてみれば、僕が一番怪しいですね」
「そんなことないわよ。一般人がこの短時間でこれだけの傷をつけるのは無理でしょうし。そもそもやる意味すらないんだから」
「はあ」
「まあでも、あなたが無事である点に関しては疑問の余地があるわね」
「はあ」
一体何なんだ、この質問は?
京子さんの意図が読めず、少しばかりイライラしてくる。
そもそも、この状況下でどうしてそんなに落ち着いていられるのか。つい数分前まで元気に話していた相手が、今は血まみれで倒れている。それも原因が一切分からない状況で。もっとパニックになるのが普通のはずだ。
僕は苛立ちを含んだ目で京子さんを睨みつける。すると彼女はスタスタと僕の目の前まで移動し、おもむろに左手を振りかぶった。
「落ち着け、馬鹿」
「いたっ」
思いっきり頬をビンタされ、目の前が一瞬暗転する。
須藤さんが切り刻まれた時と同じくらい唖然とした面持ちで京子さんを見返すと、彼女はそれ以上に不機嫌な顔を浮かべ、再度「馬鹿」と言ってきた。
「何をいまさら困惑してるわけ? ここでの事件には霊能力かSFじみた科学の力が使われている。それはあなた自身とっくに理解してたことでしょ」
「それは、そう、だけど……」
「だけどじゃないのよ。それから一つ誤解してそうだから言っておくけど、まだ須藤さんは死んでないわ」
「え!?」
あれだけの出血、てっきり死んでいるものと思っていたのだけれど――というか!
「死んでないなら早く応急手当てをしないと! いやそれ以上に救急車を呼んで――」
「だから落ち着きなさいって。救急車なんて呼べるわけないでしょ」
「いやいや、何言ってるんですか! 三浦さんと違って須藤さんは救急車を呼べば助けられるかもしれないじゃないですか! あ、いや、救急車を呼ぶより美智雄さんに運んで行ってもらった方が早いか。今すぐ美智雄さんに――」
「だから落ち着け」
「いたっ!」
再び頬をビンタされる。
喜んでいいのか分からないが、少しばかり冷静さを取り戻す。それと同時にほんの少し尊厳も失われた気がしたが。
しかし、冷静さを取り戻してなお、美智雄さんに病院まで運んでもらうという選択が間違っているとは思えない。この場で唯一回復能力を持った須藤さん自身が倒れたのだ。科学の力に頼る以外道は無い。
そんな僕の思考を読み取ったのか、京子さんは大きくため息をつきつつ「今のあなたの立場をよく考えなさい」と言ってきた。
「僕の立場って……それはまあ、第一発見者的な?」
「そうよ。で、第一発見者であるあなたは、病院でなんて答えるのかしら。彼の体は何もないところで突然裂け始めました。助けてあげてください、とでも言う?」
「あ……」
言われてみれば、確かにどう話せばいいか分からない。さっきみたいに正直に答えても、頭のいかれた狂人だと思われるのが関の山だろう。いや、それで済むならまだましな方。最悪僕が彼を襲った犯人だと考えられるかもしれない。
「やっと本当の意味で、霊能力者の関わる事件で警察を呼べない理由が分かったみたいね」
「……はい」
確かに僕は、霊能力と警察の相性の悪さを甘く見ていた。こんなことを警察相手にどう話せというのか。
正直に話せば狂人扱い。かといってこんな異常な事件、警察に疑われないようなシナリオを作るのは不可能だ。今無策で彼を病院に運べば、間違いなく僕らの今後に影を落とすことになる。
だけど――
「今すぐ、美智雄さんを探しましょう。それで須藤さんを病院に運んでもらいます」
京子さんが眉間にしわを寄せ、僕を見つめる。
「……私の話聞いてた? そんなことしたらあなたも、私たちもただじゃすまないわよ」
「だとしてもです。悪いですけど、僕は霊能力者じゃありませんから。霊能力者の未来より、今死にかけている知人の命の方が大切です」
「はあ……、好きにすれば」
嫌そうな声ながら、京子さんも積極的には止めてこない。
僕は新たに血が付くことも厭わず須藤さんを持ち上げると、部屋の外へ出るため扉を開けた。
「おや。これは大変なことになっていますね」
扉を開けた目の前には、なぜかクラーラさんが立っていた。
そしてどういうわけか、彼は血まみれになった弟子の姿を認めると、三日月形の笑みをたたえた。




