大山祁山登頂完了
謎の寒気を感じてから約二十分歩き続け、ついに大山祁山の山頂へたどり着いた。
山頂はごつごつとした岩場で、走り回るのはちょっと大変そうな場所だ。
そんな岩場の中央には、見るからに年季がかった木製の家が、ぽつんと一軒だけ建てられていた。
なんとなく神社や寺をイメージしていた僕としては、しめ縄も鳥居も存在しないその場所を拍子抜けする思いで見渡した。
きょろきょろと周りを見渡している僕と違い、師匠は至極冷静に唯一の建物へと足を進めていく。確かこの会談に参加するのは師匠も初めてだと言っていたはずだが、この場所に対する驚きや興味と言った感情は特にわかないらしい。
師匠が家へと歩いていく以上、それを放って散策をするわけにもいかない。僕も師匠の後を追って、霊能力者会談の舞台となるであろう家屋に足を進めた。
この大山祁山の頂上に建っている家の入口は、田舎とかでよく見る引き戸タイプの扉。師匠は無作法にも特にノックすることなく、がらりと扉を開けた。
すると目の前には、白い巫女服のようなものを着て、三つ指ついてお辞儀をする女性の姿があった。
ノックもせず勝手に扉を開けたのだし、当然そこには誰もいないと思っていたのに……まるで僕達が来ることを既に予期していたような状況。正直僕なんかは驚きから口が半開きになりかけたが、師匠もまたこうして待ち構えられていることを予期していたらしい。動じることなく挨拶を行った。
「初めまして。霊能者の深瀬一刀です。今日から五日間宜しくお願いします、大麦香弥子さん」
「深瀬一刀様、浅草恭一郎様。本日は我が主、大山祁黎明の呼びかけに応じわざわざこのような山奥まで有難うございました。こちらこそ宜しくお願いいたします」
お互い初対面であるはずなのに、まるで顔見知りの如く挨拶を交わしている。というか、師匠はどうして相手の女性の名前を知っているのだろうか? そしてこの女性もなぜ僕と師匠の名前を知っているのだろうか? 師匠はともかく僕の顔を知っているとは思えないのに。
と、僕がそんな疑問を抱いている間に、二人は淡々と話を進め家の中に足を踏み入れていた。
僕もあわてて二人の後を追いかけながら、家の中を見渡してみる。
出入口の引き戸を開けた先には今僕たちがいる玄関があり、その玄関と段差を作って木製の床が続いている。玄関は人が十人ぐらい横に並べる広さがあるが、木製の床に上がるとすぐ狭い一本の通路になる。その通路の両側には扉が三つ均等に配置され、また通路の突き当りにはやや仰々しい竜の絵が描かれた扉が存在した。大麦さん曰く通路の両側にある六つの扉の先は全て客室。そして廊下の突き当りにある仰々しい扉の先は、霊能力者会談の主催者でもある大山祁黎明の瞑想の間だという。
また驚くべきことに、トイレも台所も風呂もこの家にはないのだと大麦さんは言った。家の裏側に簡易的なかまど、トイレ、ドラム缶があり、彼女と大山祁黎明は普段それらで済ませているらしい。
現代っ子の僕からしてみれば些か信じられない話だが、世俗から離れ修行を行う霊能力者的には別に不思議なことでもないのかもしれない。
と、それはともかく。僕らはまず、廊下に入ってすぐ左手の客室に案内された。
客室、とはいったものの中は何もない(比喩表現でなく)空き室で、部屋は部屋でも物の置かれてない物置部屋と言った印象だ。
取り敢えず背負っていたリュックを隅に下すと、休む間もなく大山祁黎明の待つ瞑想の間へと案内される。
大麦さんは扉の前で軽く拝礼すると、扉をノックせずに押し開けた。
中は、小さな体育館、いや、剣道場のような部屋。客室同様物は全く置かれておらず、僕なんかは物寂しさを感じてしまう。
そんな部屋の中央には、今、目と口を堅く閉ざし胡坐をかいて座っている、一人の男がいた。
髪は白く、ひげも白い。まるで修行僧のようなぼろぼろの衣服を身に纏い、その衣服の隙間からは痩せて骨ばった手足が見え隠れしている。頬も痩せこけ、その容貌だけに視点を当てたなら、がんを患って余命いくばくもない病人にも見えてしまいそうだ。
しかし、実際に正面からその男の姿を見ると、不思議と溢れ出る生命力のようなものが感じられた。見た目は五十、六十に見えるのに、そのうちには生まれたての赤子よりも強い生命力が漲っているような――そんな不思議な錯覚を抱いてしまう。
完全に圧倒され、呼吸することすら忘れかけていた僕の肩に、師匠がそっと手を載せる。
すると金縛りから解放されたかのように全身の力が抜け、僕はようやく我を取り戻した。
師匠はそんな僕の姿を確認してから、一歩前に出て口を開いた。
「深瀬一刀です。この度は私のような未熟者をお招きいただき誠にありがとうございます。此度の会談では皆様の足を引っ張らぬよう努力して参る所存でございます。今日から五日間、何卒よろしくお願い申し上げます」
師匠は深々と頭を下げ挨拶を済ませる。
それを聞いた大山祁黎明はぱちりと目を開けると、
「よく来た」
とだけ告げ、再び目を閉ざしてしまった。
これ以上ここにいることは彼の瞑想の邪魔にしかなりえないことが伝わってきて、僕らはすぐに瞑想の間を後にする。
扉を閉め、瞑想の間を外界から隔離する。
すると大麦さんは僕らに向き直り、「残りの方が参られるまでにはもう少々時間がかかります。それまでご自由におくつろぎくださいませ」と告げ、家の外へと歩いて行ってしまった。
取り残された僕と師匠は特に行く当てもないため、割り当てられた客室に舞い戻った。
師匠は客室に戻ると、僕が持ってきたリュックの中から本を一冊取り出し、壁にもたれてそれを読み始めた。タイトルは『筋肉は世界を救う』で、筋肉ムキムキの男がほぼ全裸でポーズをとっている表紙の本。作者はマッスル美智雄などという明らかにふざけた名前の人物だ。
普段師匠は本など滅多に読まないのだが、今回の霊能力者会談への参加を決定してからたまに本を買い込むようになった。『筋肉は世界を救う』はその中の一冊。山に登らないといけなくなったため筋トレの必要性でも感じて買ったのかと思っていたが、あくまで読むだけで中に書かれてある筋トレ法を実践したりはしない。
とまあ、師匠は持参した本を読み始めてしまったため、必然僕は会話相手もいなくなり暇になった。大麦さんがどうして僕たちの来訪を察していたのかとか、大山祁黎明は具体的にどれほど凄い人なのかとか。いろいろ聞いてみたいことはあったのだが、師匠の態度を見るにそれらの質問に答える気はなさそうである。
なので適当に時間を潰そうと思うも、やることがない。
僕も何か本やゲームなど暇を潰せるものを持ってくればよかったのだが、荷物をできるだけ軽くしたい一心で何も持ってこなかった。
大山祁さんを見習って瞑想でもしていればいいのかもしれないが、正直五分と経たずに飽きてしまう自信がある。
結局この家の周囲でも見回ってこようと思い立ち、僕は師匠に「少し辺りを見てきます」と告げて大山祁山頂上の散策に乗り出すことにした。




